落葉松亭日記

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ドル・ユーロの凋落

2012年02月14日 | 政治・外交
国際基軸通貨のドルは、1ドル360円から77円におよそ1/5にまで下がった。
円の値打ちが上がったと喜ぶ人もいるが、海外に投資したものは莫大な為替差損に苦しんでいる。

日本政府も外貨準備で米国債を大量に購入しており、売ったことがないそうである。
米は売ることを許さないとのこと。日本の資産ではなく米に対する上納金ということになる。
円換算差損がいまや50兆円にもなるのに責任は取られていない。(植草一秀著「日本の再生」)

不景気な米は、苦しくなるとドルを印刷し、信用を落としてきた。
米政府と云うよりも国際金融資本、彼等が米政府を操っていると云われる。
結局のところ胴元とカモ、当方のようによくわからないものは悔しいがカモになるしかない。
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成24(2012)年 2月13日(月曜日)通巻第3555号
http://www.melma.com/backnumber_45206/

何が危機の本質なのだろう? 通貨への信任が激減していることではないのか?
信用が希釈化すれば、経済は現物への投機と安全な通貨へひた走る


 「円高」は日本経済を痛めつけている。
 石油ショックの前、原油は1バーレル=4ドル前後、2012年現在のそれは100ドル前後、じつに25倍の値上げである。
原油取引の決済に使われる米ドルが事実上の減価をしたからだ。

 ところがこの数式には幾ばくかのトリックが隠されている。
 1974年のドル相場は一ドルが308円、現在は一ドル=77円である。ということは、石油ショックのおりの原油価格は4x308(=1232円)、現在は100x77(=7700円)、日本にとって事実上の値上がりは6・25倍である。

 同様に1971年にニクソン・ショックがおこったとき、金価格は1オンス=35ドル、2012年2月の金価格は1オンス=1800ドル台。だからといって単純に金価格は51倍に跳ね上がったわけではない。

 ニクソン・ショック前のドル相場は1ドル=360円、現在は77円(2012年2月11日現在)。数式は35x360(=12500円)。現在は77x1800=138600円、つまり事実上の金価格の暴騰は11倍である。

 ことほど左様に私たちは単純な数字のマジックにひっかかって物事の真相をあやまって判断しがちとなる。 金本位制への復帰が目の前にぶら下がったかのように。

 ユーロ危機は、率直に言ってドル危機の副次的産物に他ならず、ドイツとフランスのドル離れ、「欧州の栄光よ、もう一度」を夢見て、世界の基軸通貨にドルと平行させるところ独仏枢軸の狙いがあった。

 ▼欧州連合の究極の目的はユーロの世界基軸通貨システムの確立だった

冷戦終結とともに米軍への依存、NATOの東方への移行にともなって、西欧が米国の軍事支配ばかりか経済上の支配に対抗することが隠された目的であり、ロシアからの原油、ガス輸入決済のみならず、イラクの原油代金をユーロで支払い、ドバイの金融センターを活性化させ、中東の産油国にもユーロの影響力を徐々に浸透させつつあった。
これは建国から僅か二百数十年しかに米国に比較してギリシア・ローマ時代からの伝統と矜恃とナショナリズムの燃える欧州人の心意気からすれば当然の論理的帰結でもあった。

ニクソン・ショック以来、ドルの垂れ流しと金兌換離脱により、米ドルへの信任が一気にあせた。
そのうえ、1981年にレーガンが登場した折の米国の借金はたったの1兆ドルにすぎなかった。八年間で2・6倍の2兆6000億ドル、いまから見れば可愛い数字である。
クリントンの8年間にじゃぶじゃぶと増刷されたドルはブッシュ政権になってイラク戦争、アフガニスタン戦争の戦費がかさみ、ついにオバマ政権で15兆ドルをこえて、議会がこれ以上の輪転機を回すのは止めようと財政緊縮を決議する。

米国の赤字上限の設定は経済運営のフレキシビリティを奪う。
したがって米ドルは下落に次ぐ下落を重ね、世界の投資家は最後のリゾートとして、金(ゴールド)と日本の通貨(円)あるいはスイスフランを選んだ。

好況をそやされる中国の人民元に投資する投資家は皆無となり、そればかりか中国人が金と日本国債を大量購買のためにやってきた。
 ユーロは米国の赤字累積を不安として独自通貨に踏み切ったわけだが、ユーロの基軸通貨入りは米国にとって不愉快千万な動きである。
とくにドイツの復活を意味することは米国のみならず英国にとっても脅威である。サッチャーはユーロに加わらないことを決断し、スイスは独自のポジションを保持し、独仏連合は、このため一挙にスペイン、ポルトガル、ギリシアなど加盟条件を満たしていない国々も会計基準や数字の操作を黙認して、強引に加盟させてしまった。

 1999年のマーストリヒト条約発効にともなって1ユーロは140円でスタートした。リーマン・ショック直前のレートは1ユーロ=170円だった。2012年1月、1ユーロは100円を割り込み、一時的には97円をつけた(余談だが昨秋以来、欧州各国を闊歩する外国人観光客は、それまでの中国人の猛威をしのいで日本人がカムバックしている。どこをみても日本人、日本人、日本人。欧州の観光業者は「久しぶりに中国人ではなく日本人のイナゴの大群のようなツアー客の来襲をみた」と驚いたが、原因は単純明快。「円高」「ユーロ安」である。「それっ、いまのうちに欧州旅行へ!と皆が浮き足立って押しかけたからだ)。

 この先の通貨の運命はと言えば、歴史の教訓から学ぶしかないだろう。
 かつて世界帝国=ローマの通貨はギリシアに由来しており、アテネで鋳造されたコインが、流通した。
「銀貨は18世紀後半まで欧州の主力通貨で、様々な鋳造がされた。17世紀のオランダで両替ビジネスは花盛りをむかえていた。じつに341の銀貨と、503種もの金貨が流通し取引されていた」(キンドルバーガー『西欧の金融史』)。

慶長小判に天正小判に宋銭に明銭に、銀本位制だった関西と金本位制だった江戸を、日本の江戸時代の両替商も数百の通貨を交換していたように。

 スペインとポルトガルが世界帝国として海上交通路を確保し、世界各地の金鉱山の利権を奪ったのも、経済の覇権確立が目的だった。そもそもコロンブスのインド大陸発見という冒険は黄金のくに=ジパングを目指していたのである。
  (この項、つづく)



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