かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

古代史のテクノロジー

2023年05月05日 | Books


今日は、4連荘ゴルフの2戦目。
南風が吹きつける厳しいコンディションで、前半は、さっぱり。
ところが、後半覚醒し、何とホームコースベストの30台が出た。
わからないものだ。



本書は、出たばかり。

長野さんの本は、何冊目だろうか。
理系で土木に強い方で、普通の古代史関連本とは、全く違う切り口で、面白い。
本書も、たいへん面白かった。

記紀や、考古学の発見を元に様々な説を展開する本は山ほどあるが、本書は、まず記紀は信じない。
そして、考古学の発見を、当時の技術力を踏まえて考察することにより、全く別の解釈にたどり着く。

例えば、巨大古墳。
墳墓ではあるのだが、あの土砂は、土木工事で発生した土砂を積み上げることによりできたと説く。
当時の輸送は、水路が主流で、その水路を作るために出た土砂を積み上げた結果が古墳になった。
そして、そこに並べられた埴輪は、そこを行き交う人々のためのピクトグラムのようなものだったと考える。
最初は、朝鮮半島の出身地毎に、方墳、円墳に分かれていたが、共通に使えるように、前方後円墳が作られるようになった。

三内丸山遺跡の復元された塔は、私も見たが、当時の技術力からすると高すぎるという。
確かにあれだけの木材を建てて、固定させるのは、並大抵のことではない。
そして、その用途は、北海道を青森間の連絡をとるための狼煙タワーであったと解く。
狼煙タワーであれば、そこまで高くする必要がない。
当時の技術だと、狼煙をあげてから、北海道から到着するまで5日間で渡れたはずという。
それにより、交易が行われた。

邪馬台国については、国などではなく、単なる一交易者と見る。
そして、その所在は、丹後ではないかと見る。
それは、魏志倭人伝に出てくる鉄の流れ、九州に着いてからの行程が、日本海側の港をつないで東に向かったと考えるのが、一番自然という。
ヒスイは、逆に、西に移動した。
日本に流入した鉄と交換されたのが、傭兵で、それが、朝鮮半島で、当時倭として、恐れられたのではないかと推理する。

とにかく視点が全く違うので、あげると切りがない。
ただ、一番深堀りして欲しいのは、やはり当時の湖(特に関西や、吉備の)とそれをつなぐ水路の状況かもしれない。
当時の治水技術は、未発達であり、治水のためにできた土手のように見えるのは、当時の港の跡で、そこを中心に人々が行き交っていたのではと考えられている。
そう考えると、当時の日本の全く違う姿が見えてくる。
今の陸地を前提に考えてしまうと、大きな勘違いを起こしてしまうかもしれない。

ということで、古代史ファンに、広くお勧めできる。
コメント
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