来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
12月8日は「太平洋戦争」の開戦の日
1941(昭和16)年の12月8日、それまで進めてきた中国での戦争を一段と飛躍させる対米英開戦に踏み切った。
もちろんこれは日本政府であるがこの時の首相は東条英機である。彼は戦後「戦犯」として処刑されているのだが、300万人以上の日本人が(アジア全域では2000万人を超える)死ぬことになった戦争がなぜ行われたのか、改めて真剣に考える必要があると痛感する。
日本の軍国主義を推進した張本人である軍部のボス、そしてこれを容認しそして自ら加担したといっていい当時の国民(臣民だった)、今日のこの日、どれだけ真剣に深刻にこの史実を考えても考えすぎることはない。
今日の道新の夕刊は、1940年に取り決められた「日独伊三国同盟」は、当時の海軍将校(軍部の中堅どころ)が「この同盟はアメリカへの宣戦布告」だと部下に訓示していたことを示す資料が見つかったと報じている。
しかし当時の国民は、その時の日本の政治が「東洋平和」とか「東亜の新秩序」を指向しているのだと信じていた。そのような国民(無辜(むこ)の民、などといわれていたが、「罪のない人」というような意味だが、別に言えばダマされやすい民でもあったのだろう。上の三国同盟をめぐる海軍将校の認識は無辜の民をダマしてきたことを、今になって私たちに教えている。
あれもこれも、国民をだました当時の支配層とそれに安易にだまされていた国民、そういう構造をしみじみとわれわれは繰り返し思い返さなければならないのではないか、とまたまた痛切に感じたこの日だった。
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