来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
「青い目の人形」の話
これについて、このブログで何度か記している。特に、09年4月25日に私たちの高校の開校式に際して生徒たちが演じた朗読劇「青い目の人形」について、その数日前にこの由来等を記している。
今回は、いわば補足である。
本校の校舎は当時「三和小学校」だったが、平成9(1997)年に、この開校90周年と校舎落成記念のイベントがあった。これにあわせて「年輪」という記念誌が出されている。この記念誌に「青い目の人形」の記事があるので引用しておこう。
昭和2年に約1万5千個は、ニューヨークに本部のある世界児童親善協会が日本に「友好使節人形」として送ってくれた。しかし大半が太平洋戦争中に敵国の物というだけで破壊された。現在はたった195体しか残っていない。
この人形が、学校の理科室の教材の中から見つかったのは昭和53(1978)年だった。この人形を和寒の駅まで迎えに行った須貝ミヨさん(平成9年時82歳)は次のように語っている。
「小学校6年生の夏の頃だったと思います。受け持ちの先生といっしょに前川さんと私が、アメリカのお人形を迎えに和寒の駅までいきました。先生が英語の手紙を読んでいましたが、多分仲良くしようということが書かれていたと思います」と。
この須貝さんという方は今はもういない。私の母とほぼ同じ年代だったが、私自身この人形の話は聞いたことがない。知ったのは、21世紀になってからのことだから、長い間「古い教材と一緒に埋もれていた」のだろう。人形自体も、またその意義のある話も。
今本校の資料室にある。町の教育委員会が一時持ち出している。
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