来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
「遣唐使」のことなど(空海のこと)1
今、司馬遼太郎の「空海の風景」という大長編小説を読んでいる。タイトル通りテーマは空海(弘法大師と言われた)という平安時代の代表的僧侶の活動、生き方、当時の日本等の政治と文化、宗教などまさに総合的な材料を組み合わせて描かれる壮大なドラマだ。
私たちは、日本史の授業などでも奈良時代から平安時代に重要な役割を果たした「遣唐使」について触れてきた。しかしこの小説を読んで、遣唐使の派遣というのがどういう国家的または国際的なドラマを構成してきたか、などを語ることはほとんどなかった。
その関連事項の、ほんの一部について(続けていろいろ引用させてもらい紹介したいのだが)記してみたい。
まず当時の交通事情だ。つまり航海のようす、このテーマだけでも物語はいくつもできるのでは、と思う。司馬遼太郎という歴史小説の大家は、これを歴史資料を下敷きにしてドラマティックに描き出す。
当時、中国というアジアの支配王朝ともいうべき世界を訪問することがいかに大変だったか。
延暦23(804)年の夏の初め、遣唐使船は難波ノ津を出帆(しゅっぱん)した。第18回遣唐使。太宰府から唐へ向かう。
このころ、天測して方角を知るという航海法は、日本にはなかった。航海中、天候の事情によって危険に遭遇するのは当然のことだった。この場合は占卜に頼った。ただ読経することだ。仏の力に頼るという方法しかなかった。死の不安。この船は、海上を34日間漂流した。遣唐使船の最長記録。
8月10日、船は華南の地に着いた。しかし「遣唐使」といっても空海は天皇によって派遣された使者ではなかった。「とにかく福州に行かれよ」と。10月3日。福州の町をみる河口に着いた。国使の証拠はない。しかし空海には、当時の唐の言葉や文化(特に詩歌)などに長じていたから、それを披露することによって、唐の役人にみとめられたという。
私たちは、日本史の授業などでも奈良時代から平安時代に重要な役割を果たした「遣唐使」について触れてきた。しかしこの小説を読んで、遣唐使の派遣というのがどういう国家的または国際的なドラマを構成してきたか、などを語ることはほとんどなかった。
その関連事項の、ほんの一部について(続けていろいろ引用させてもらい紹介したいのだが)記してみたい。
まず当時の交通事情だ。つまり航海のようす、このテーマだけでも物語はいくつもできるのでは、と思う。司馬遼太郎という歴史小説の大家は、これを歴史資料を下敷きにしてドラマティックに描き出す。
当時、中国というアジアの支配王朝ともいうべき世界を訪問することがいかに大変だったか。
延暦23(804)年の夏の初め、遣唐使船は難波ノ津を出帆(しゅっぱん)した。第18回遣唐使。太宰府から唐へ向かう。
このころ、天測して方角を知るという航海法は、日本にはなかった。航海中、天候の事情によって危険に遭遇するのは当然のことだった。この場合は占卜に頼った。ただ読経することだ。仏の力に頼るという方法しかなかった。死の不安。この船は、海上を34日間漂流した。遣唐使船の最長記録。
8月10日、船は華南の地に着いた。しかし「遣唐使」といっても空海は天皇によって派遣された使者ではなかった。「とにかく福州に行かれよ」と。10月3日。福州の町をみる河口に着いた。国使の証拠はない。しかし空海には、当時の唐の言葉や文化(特に詩歌)などに長じていたから、それを披露することによって、唐の役人にみとめられたという。
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