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日記 … Kametarou Blog
「国のために命を捧げた人たち」
安倍首相の発言が報道された。「国のために尊い命を落とした尊いご英霊に対して尊崇の念を表する、これは当たり前のことであり、我が閣僚においてはどんな脅かしにも屈しない。その自由は確保している。これは当然のことだろう」。靖国神社参拝を批判するアジア諸国への反論の骨子である。
靖国神社には200万以上の「英霊」が祀られている。これは周知のようにあくまでも「天皇のために死んだ人」であって、たとえば西郷隆盛のようないわゆる「賊軍」に属していた人は、どんなに人気がある人であっても外されている。
では靖国神社が祀っている人たちは皆「国のために命を捧げた」と言われて、その魂は「まさにそうです」と答えるのだろうか。戦場に駆り立てられ「お国のために」とか「天皇陛下のために」とかと言われただろうが、そのほとんどの人たちは「戦争に駆り立てられた」とか強制されて戦場に送られたと思っていたに違いない。つまりアジア各地で、あの戦争によって犠牲になった1000万を超える人たちと同じく犠牲者だった。だれのせいなのか。あの戦争を指導した人たちがその責めを負うべきである。戦後の東京裁判はそのことを国際的に証明したといえる(東京裁判や「戦犯」を否定する人が少なくない)。安部さんもその一人だろう。
しかし現在の世界のほぼ共通の理解は安倍首相の思想や靖国神社の思想ではない。かつて戦争に関する認識を日本政府は明確に示しているのである。例の「村山談話」だ(1995.8.15 村山首相の内閣を代表して発表した声明。その後日本政府は、当の安倍首相自身もかつてはこの声明を認めていた)。
「…わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。」
この日本政府の声明(「談話」というよりは政府の「声明」である)が、まさに共通理解であり共通の歴史認識になって初めてアジア各国と共通の「未来への土俵」に立てるのではないだろうか。
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