靖国神社参拝

靖国神社の歴史などは別のところで参照してもらうことにするが、この神社に行ったとき、特に付属の施設「遊就館」では驚いた。1945年8月14日以前の日本にタイムスリップしたのではないか、と錯覚したと言っていい感想であった。

今の「日本史」の教科書は、ニュアンスの違いはあっても、昭和6年の満州事変から昭和20年(1945年)8月15日まで続く太平洋戦争は、日本がアジア各地に武力をもって「進出」し、戦争拡大を推し進めたという論調である。ただ「侵略」という表現はない(「東京書籍」版)。
南京虐殺にも触れている。「日本軍が女性や子どもをふくむ多くの中国人を殺害したため(南京大虐殺)、諸外国から非難をあび中国の抗日意識をさらに高めることになった」。

靖国神社は、私の父のような、召集されて戦争の犠牲になった者も祀っているのだが、上の戦争・大虐殺を進めたものも祀っているのである(皆「○○命(○○のみこと)」という名前で「神」になっている!)。

中国や朝鮮は、日本によって大きな犠牲を受けることとなったことは事実であろう。この犠牲を強いた最高の責任者(「戦犯」)を神にしている靖国に参拝するということは、どう考えても問題ではないか。だから「国のために犠牲になった英霊に対して尊崇の念を表してどこが悪いのだ」という調子はどうもいただけない。
中国・韓国のみならずアメリカもヨーロッパからも非難・批判が寄せられているのは当然ではないだろうか。

ドイツが自国の戦争責任を深刻に反省することによって、ヨーロッパ各国からの信頼を勝ち得ているという。これに反して日本の指導者の態度は国益を損じていると言わざるをえない。加害の痛みは忘れるが受けた被害は決して忘れることがない。被害の痛みに思いを致すことなしに「近隣との親善」を言っても逆効果だろう。

第2次世界大戦終了50周年の1995年に当時の村山富市首相は画期的な謝罪談話を発表している。安倍首相は今年2月の国 会でも、戦時中の侵略に対する政府の謝罪を見直すのかとの野党議員の質問に対し、村山談話を読み上げ、これを踏襲する考えを示していた。
だからこの村山談話踏襲の理念と靖国参拝は百八十度異なる方向性である。

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