「日本国」考(3)

以前記したが、日本国史でいうと、現天皇は第126代。この数え方の基準が決まったのは大正時代という。初代が神武天皇。しかし初期の天皇は100歳以上生きた人が何人もいて(初代の神武天皇は127歳まで生きたことになっている)、創造された人だということは誰の目でもわかる。では何代目あたりから実存したか、といえば学説いろいろあってはっきりしない。第15代の応神天皇あたりからでないか、という意見が結論だろうか。

言いたいことは、日本歴史で天皇の地位とか役割とか、が小さくないのだが、平安時代ころからは多少の差はあっても、天皇が政治上の実権をもって日本を統制・支配したというよりは、常にその時代の最有力者に利用され、戴かされて存在し続けたのではないか、そこに世界の「王国」とは違うものがあったように思えてならない。

平安時代(「平安時代」はナクヨウグイスの794年からイイクニつくろうの1192年までの400年間)には藤原氏をトップとした貴族たちに、鎌倉時代以降は武士階級に、天皇制が活用された。藤原氏は「摂政」とか「関白」として、また武士は「征夷大将軍」という名称で(源頼朝が1192年に征夷大将軍として登場する)いずれも天皇を手助けするという立場だった。

鎌倉期は源氏が、室町期は足利氏、江戸期は徳川氏、それぞれ天皇に「征夷大将軍」という地位を委嘱されて、天皇にかわって蝦夷(エミシ・時の支配者に反旗を翻す者たち)を征伐する役割を果たした。だからその最有力者にとって、「オレは天皇さまに委嘱されて、言うことを聞かない悪者たちをやっつける任務をもっているのだ」という気持ちにさせたし、多くの人たちもそれを了解したのではないだろうか。

信長はそういう立場を得ることがなかったから家臣の明智に殺され、秀吉は「関白」にはなったが、この「関白」という古臭い地位は時代遅れでは、と感じた連中(徳川家康など)から軽く見られ息子の代で終わったといえるのではないか。

江戸幕府がその役割を終えることが「大政奉還」だった。武士の役割を終わった、天皇が再登場するという形になった。そして明治維新以降、新しい代の勢力は天皇をそれまでにない地位(万世一系の神聖な神の子孫)に置くことによって政治を支配し(「神国日本」と大ボラをふいた)、東亜の盟主たろうとし、大戦で敗北した。そして戦後、天皇は「象徴」の地位に格上げされたと言えるのではないだろうか。

しかしそもそも「象徴」って何だろう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 「日本国」考... 「日本国」考... »