三省堂辞典の「凡人」

今日学校で、新明解国語辞典の語釈について話題になった。例えば昨日記した「凡人」の説明を、新明解は「自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人」と記しているが、ウチの学校の国語担当のTさんが異議を唱えた。「この説明ではわれわれ凡人は全く役立たずの人間で終わるとされるが、ちょっとひどすぎないか」と。

昨日「面白い解説」と記したが、面白いにしても適切というには当たっているようには思えない。一般庶民の感覚とずれていないか。
新明解は、上の説明に続けて「家族の幸せや自己の保身を第一に考える庶民の意にも用いられる」とある。
二つの説明を合わせると「凡人」とは「自分以外の他人のためになるようなことは全く考えることなしで、何事もやる気がなくしかも役立たずの人」ということになるが、こういう説明でOK?

さきのTさんのコメントで、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩でうたわれているように、賢治がそういう人に私はなりたい、と結んでいる「そういう人」とはまさにデクノボーと呼ばれる凡人であると。
もっとも賢治の「雨ニモマケ」ない主人公は南に東に人助けをする人だから、新明解の凡人ではないのかも知れない。
「…
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ」
                                        

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