学校における「体罰」について-1

周知のように昨年12月23日大阪市立桜宮高校のバスケットボール部主将だった高2男子生徒が自殺した。顧問教師からの常軌を逸する「体罰」を受けておりこれが直接の理由だったことは報道されているとおりだろう。
この高校の顧問教師は「部を強くするためには『体罰』は必要」といっているという。そして、この行為を校長を含め他の教師も、部の生徒も全員が知っていたにもかかわらず生徒が苦しみに耐えかねて死に追い込まれることを阻止することはできなかった。誰もがこの教師の行為を注意し抗議し糾弾し告発することはなかった。「昨日今日のこと」ではなかったということも報道されている。

「体罰」に関していくつかの点についてコメントと意見を記したい。

1.知られているように、学校教育法では子どもへの「懲戒」は教育上認められている。もちろん「体罰」はあってはならないことは法規上も文科省の指導からも明白である。
 この「懲戒」はあくまでも教育的配慮からである。
 では文科省がいう教育的配慮というのはどういうことだろうか。
 学校教育法第11条で、「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない」と規定する。
 必要があるときとはどういうときか。文科省は平成19年2月5日の「通知」で「懲戒の行為が体罰に当たるかどうかは、当該児童生徒の年齢、健康、心身の発達状況、当該行為が行われた場所的及び時間的環境、懲戒の態様等の諸条件を総合的に考え、個々の事案ごとに判断する必要がある」と記す。体罰はダメといっていながら、この判定は微妙であるというのだから、一部教師は総合的に考えて「体罰」ではない、もしくは懲戒の変形であっていわば許容範囲であると主張するのではないか。
 そもそも「懲戒」などという語句を教育的措置の一つとしてあげることは妥当であるといえるのか、という問題を考える必要がある。

2.文科省がいう必要性は、端的にいえば、問題行動をおこす子どもを懲戒することによって他の子どもを守ることと、問題行動を行う子どもへの「こらしめ」である。
 この点からいって、桜宮高の問題はこのどちらでもない。しばしば部活の中で顧問教師が部をつよくするために部員を叱咤激励し、いっそうのがんばりを促すために行う体罰などは「懲戒」ですらない。こういう「体罰」はどういう点から教育的といえるのか。
部活そのものは「問題行動」ではない。部活動の中で部員が問題行動を起こしたとか、があるわけではないのだから、部活と体罰が言われるのはまったく別次元ではないか。
 
※ 明日、和寒町での冬季スクーリングがあり、これに参加するので続きはその後ということになる。

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