わが子の死とわが子を虐待で殺した事件

時々ではあるが人の不幸を知ることになる。今日、私たちの学校の卒業生(女性)が先月末になくなったことを知って弔問に行った。まだ30歳の若さ。病死。
両親や祖母の悲しみと涙を短い時間ではあったが共有することになった。

親が先に死ぬことは順序から言って当然だが、先に子どもに死なれた親やその親の悲しみは計り知れない思いだと想像する。
「神様どうしてこんなむごいことをしてくれるのか」などの台詞が人ごとでない。

私はまだ自分の子どもも孫たちも元気だ。親である自分たち夫婦が順番通りになるだろうとほとんど確信している。

テレビでは、幼いわが子を虐待死させたというニュースを報じている。大きな怒りと深い悲しみを禁じ得ない。自分が死んでもわが子の命を守りたいというのが「常識」だったと思っていたがどうもそうでもないらしい。

自分たちの都合で(夫婦のどちらかの子どもであるからいない方がいいとか)子どもを死に追いやるような人間を本当に許せない。
子どもを虐待死させたという親に対しては同じように肉体的に苦しい体験(昔なら拷問)を体験させて死刑に追いやった方がいい、とすら思う。

わが子のために自分はどんなにつらいことがあっても耐え抜くという親もいることはわかるのだが、時々上のような子どもを虐待で殺すなどのニュースに接すると気持ちが高まる。たまたま子どもの死に極度の悲しみにくれていた親たちと一緒だったからかも知れないが。
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