「北の縄文世界と国宝」展

7月22日から10月1日まで、北海道博物館で開催中。これに参加した。今日は金曜日だったが、列をなして入場するというように参加者は多い。
私も長年高校で歴史の授業をしてきたし、高校では「北海道科」などを設けて道民は北海道の置かれている状況を歴史的視点を踏まえて確認しよう、という趣旨の授業もやってきた。しかし、授業時数の関係で、北海道のいわば先史時代ともいうべき縄文の時代を時間をとって指導したことはなかった。
あらためてこれを、多様な遺物をふくめて見学して、あたためて北海道が日本の一部であっても、その歴史的特異性は評価し直すべきだ、という感想をもつ。

その特異性というか、北海道の特殊な歴史的あゆみ、つまり先人たちの生活の営みの、本州各地と違うところを、しっかりおさえた授業を十分組み立てることができなかったことを、今になって反省もする。
縄文世界展は、実に多様な北海道の先人たちが残してくれた土器の遺跡が示されている。もう一度見直してみたいと思うのだが…。

日本史的には、先史時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代…とわけて大きく歴史的特徴を理解してもらうのだが、たとえば、日本人が大陸(中国や朝鮮から)の影響から米作り、鉄製武器などを始めた弥生時代、これがいわば日本歴史の始まりといっていい。今から2000数百年前からだ。北九州で小さい「国家」ができ、すぐ殺し合いを始めて、各地がボスたちによっておさえられるようになってきた。大和朝廷を軸とした国家体制ができてくる。6世紀以降だ。
しかし北海道では、上の弥生時代という米作り、武器づくりの時代ははるか後のことになる。

1万5千年前から旧石器時代、1万2千年前から1200年前ころまでが、縄文時代。尤も、縄文草創期、早期、続縄文後期などの区分があるが、大きくは「縄文期」だ。
その後、オホーツク文化、擦文文化(アイヌ文化)の時代と区分する。北海道の地で、国家体制に組み込まれていくのは織田・豊臣の時代あたりからだろう。

実に多様な土器が「鑑賞」してください、という顔で陳列されている。北海道史が日本史の一部に位置づけられるには、もっと深い理論的視野を構築しなければならないのではないだろうか。今になってきづいたテーマだ。
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