「『北星余市の教育』とは何か」?

校長名で、「『北星余市の教育』とは何か」というA4・8ページの資料がわがフリースクール宛に送られてきた。多分多くの中学校やフリースクールなどにも送られているのだろう。この文書は昨年夏にも送られた。また同校のサイトにも揚げられている。

北星余市の教育の歴史、同校の編入制度の経過、また同校の教師集団の教育力のすばらしさ、などをうたっている。こういう自分たちの自信についてはともかくとして、続いて「不登校・中退生の原状」に触れながら「日本の学校教育の中で、『子どもたちは、集団の中で成長する」という視点が少なくなっているいること、その問題点の一つに、「不登校生や中退生が大量に通信制高校に在籍していること」を指摘する。
そして、通信制高校は「ただ在籍しているだけという現実」があり、「集団の中で子どもたちを指導する」という教育が難しくなっていること、を指摘する。そして、繰り返し「子どもは集団の中で成長する」ことを強調し、通信制高校はこの当然の立場から外れていることを繰り返す。この欠陥が子どもたちに「生きる力」が欠落する要因になっているともいう。

私は、昨年夏にこの文書が配られたとき、「通信制高校すべてが問題」ような書き方は問題ではないか、という意味のことを忠告した。しかし同校の文書には、限定なしで「通信制高校が教育上の欠点を助長している」ような意味のことを続けて記しているのが非常に気になるのである。

一つは、子どもは集団の中で成長する、という安易な(あるいは無限定な)叙述は適切なのか、という疑問である。私も、人間はさまざまな人間関係の中で時には自分を傷つかせながら、また時には自分自身を成長させる、という意味のことを記してきた。しかし「集団の中で」と、その昔の集団主義的な教育論を思い出させるような記述は、当てはまらないだろう、と思っている。しかし、北星余市の教師諸兄姉が、集団主義的教育観をもつのは、それはそれでいいだろう。自由である。

今一点は、あたかも「通信制高校はどれも人間教育の観点がない」的な書き方が問題であると思う。もしこういう書き方をして、各学校各方面にバラまくのであれば「ドロ試合」的な傾向をつくり出していくだろう。あなた方は、一人ひとりの子どもがつらい思いをしながら登校していることを知っているのか、などと。いろいろと自分の良さを宣伝することはいいだろうが、いわば節度をもって、限定的に、範囲を明確にして指摘しないと天に向かってツバを吐くようなことになるのでは、と同校にいいたい。

昨日、毎日新聞の「新・教育の森」にあった「生徒数増える通信制高校」の記事も冷静に受けとめた方がいいと忠告したい。

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