金正日総書記の死、日本の指導者の発言の軽さ

金正日が急死したニュースはPCの画面で知る。夕刻からのテレビ画面はこのニュース一色。国民に対して直接訴えることがないにも関わらずあたかも神のような存在だった彼の死を、多くの朝鮮人民がまさに「発狂」したように泣き叫ぶ姿が映し出される。そしてあの数万の兵士たちの一糸乱れぬ行進のシーンが重なる。

野田首相を初めとする日本の指導者たちはほとんどすべてが襟にブルーリボンをつけている。これはいうまでもなく拉致被害者解放をアピールするシンボルである。私はこのリボン姿の政治家を見るたびにひっかるものを感じる。本当に拉致を解決しようとしているのか。むしろこのリボンを襟にかざしていることによって、敢えて言えば拉致解決作業をサボるいいわけの証拠でないのか、という感じを持っていると言えば言い過ぎだろうか。

金正日の死についての首相の発言も、誰でも言う程度の軽さだ。リボンをつけたこれまでの何人かの首相の誰が身体をはって北にもの申してきたのか、よく分からない。
「軽さ」は北朝鮮への発言だけでない。アメリカに対してもどの外国に対しても日本の主張が、「よくいってくれた」という拍手をおくりたいという内容でないことが悲しい。

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