「脱原発」は「遠い将来の希望」なのか

菅首相が、いわば人気取り的な思惑もあったのか「脱原発」を強調した。これにさっそく多くの人が反論している。首相はどれだけ内閣の意志をまとめたか、あるいは党の意見を主導したか、はあいまいなのだが、脱原発はいわば国民的な気持ちではないだろか。これをどう実現するか、を道筋をつくって示していくことが重要だと思う。

ところが枝野官房長官は「遠い将来の希望として首相は語った」という認識を示した。国民的議論を展開するスタートとしての方向性、だという。

脱原発はたしかに将来の希望であるが、これは「福島」をはじめとした日本の原発安全神話崩壊の現状から必然的に議論しあわなければならない最重要なテーマである。「あれは将来の希望を語ったものですよ」とにこにこして枝野さんがコメントしているのだが、菅さんの行き当たりばったり的発言も問題だし、またこれを軽く受け流しつつある部下(官房長官)の態度はどうしたものだろうか。

また財界系の人は「原発をすぐ稼働しなければ、企業は海外に向かいます。経済の空洞化現象は進みます」と、脅迫する。日本経団連の米倉会長は「国民と共に歩みます」とその基調をいっているのに、国民に背を向ける態度をいうのもいかがなものか。
そういえば、かつて愛国心教育の大事さをさかんに強調していた財界は、自分の利害に少しでも関連する問題があれば、「海外に出ますよ」と全く反愛国(これを売国という)の発言をする。

あちこちに危機の進行が点滅していることが悲しい。

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