kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

公民館講座を実施して数年を振り返る(3/3)

2009-07-14 06:11:44 | パソコン市民活動

サポートは尋ねた時だけにしてほしい。

サポートの役割は何であろうか。それをサポートの人は、言葉ではわかっていても、身体がついていけない状態であろう。それだけ熱心なのか・・・。<

受講生がわかっていることまで、余計に説明している場合がある。受講生には迷惑な話である。しかし、これも受講生の個性によって大きな違いがあるようだ。つまり、同じサポーの説明でも、サポートの説明が十分すごる人、また物たりない人、もう少し詳しく説明してほしい人等がいる。そんな受講生について大まかな個性を直ぐに見わけられるようにしたい。これは大変難しく、講師や講座の経験の差が大きく左右すると思う。各受講生に適したサポートになるよう心がけよう。

テキスト内容をよく理解させるために教材を作ろう。

例、イベント案内状を作る講座で、最初に案内状の文面(文字列)だけを書く。暫らく時間をとる。遅い人もある。それを待ていては予定時間が遅くれる。次のワードアートや写真の挿入に進みたい。そんな時に、教材(案内状の文面)に切り替える。全受講生が、一斉に次の作業に書かれる。(案内状の文面)こそ、素晴らしい教材である。<o:p></o:p>

このように受講生の理解の深めやすい材料を工夫することが、教材を作ることである。講師の経験の結果の技量であろう。

初めて、オートシェープで山などを書く場合に、描く順序に点(ドット)をつけておく資料も、よく工夫と努力した教材である。受講生は、初心者にも関わらず、スムーズにオートシェープの形づくりに入ることができたことを、記憶している。

講師は、誰のためのものか。受講生のためのものである。受講生は、講師の知識・操作技術の伝達をうけ、それを自分のものにして生活に生かせるようにする。その相互作業のなかで、人柄の交流も存在する。講師も人柄が育っていく。つまり、教えることは教わることである。(91)


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