kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

有間皇子?・・歴史の狭間の悲劇の皇子らしい。 その5

2014-03-19 10:36:00 | 日記
中大兄皇子


3.  有間皇子の処刑の経過

3-1 新政権の実権を握っているのは中大兄皇子の一派で、彼らから見れば孝徳天皇は、だだの飾り物。やがて、孝徳天皇軽視の姿勢はあからさまになって来ます。
  653年、孝徳天皇が反対するにもかかわらず、皇太子・中大兄皇子は都を難波から飛鳥に強引に戻した。孝徳天皇を難波に置き去りにしたまま、全員で飛鳥に引っ越した。
失意の孝徳天皇は翌年、孤独のまま亡くなってしまいます
この時、有間皇子15歳でした。

3-2以前、邪魔者だと思えば容赦なく死に追いやってきた中大兄皇子

聡明な有間皇子は、次のターゲットが自分である事を感じずにはいられませんでした。
そして、先の皇極天皇がもう一度即位して、斉明天皇となった頃、有間皇子は気がふれたふりをして身を守ろうとして、病気治療として牟婁(むろ)の湯(和歌山県・白浜温泉)にしばらく滞在するのでした

3-3 3年後、病気が治ったと、都(飛鳥)に戻って来るのですが・・・そんな時、斉明天皇がことのほかかわいがっていた孫の建(たける)皇子が、わずか8歳で亡くなってしまいます。病気のように落ち込んでしまう斉明天皇。

ならば、「あの有間皇子の病気を治した牟婁の湯へ我々も行こう」と、いう事になります。
  後から思えば、この旅行は中大兄皇子の計略だったのかも・・

  次に続く・・・・