kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

間皇子?・・歴史の狭間の悲劇の皇子らしい。 その4

2014-03-18 10:30:57 | 日記
2-2 その夜赤兄は皇子の市経の家を囲む一方,天皇に皇子の謀反を報告した
皇子と4人の側近は牟婁温湯に送られ,中大兄皇子が謀反の理由を問うと,「天と赤兄]が知っているだろう。私は全く知らない」と答えた。

皇子は藤白坂(海南市藤白)で絞首刑に処され,ふたりの側近は斬刑に処せられた赤兄は処罰されないで,天智天皇時代(662~671)の左大臣となった

『日本書紀』の注に引用されているある書物は皇子が謀反計画を立てたとする。しかし,『日本書紀』はこの事件を赤兄の謀略として描いている

『万葉集』は皇子が牟婁に護送される途中磐代(和歌山県南部町岩代)で詠んだという「磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見む」ほか1首を載せる。奈良時代この地は歌の名所となり,結び松に寄せて長意吉麻呂,山上憶良らが歌を詠んでいる(前述)。