2. 小林多喜二の一生
2-1 明治36年(193)貧しい農家の次男坊として小樽市に生まれ、明治40年小作料が払えず、北海道に移住した。
2-2 叔父の補助で府立小樽小学校に入学。また叔父の補助で小樽高等商業学校に入学、大正13年卒業し た。拓殖銀行小樽支店に勤務した。
2-3 対象4年上京し、国立商科大学を受験したが不合格。田口たき宅に住まわせてもらう。
2-4 昭和2年(1927年)24歳より、社会科学の学習を始めた。
2-5 小樽港湾争議を応援し、ビラノ制作等をした。労働芸術家連盟参加し、また、労農党、小樽合同労働組合達と結びつき深めた。
2-6 昭和3年(1928)25歳で、普通選挙の国会選挙に労農党候補、共産党を応援した。
3.15事件がおこり、数人の同志が検挙された。
2-7 この年、蟹工船を書き始めた。戦旗に発表。発売禁止を受けたが、非合法の配給ルートによって8000部が配布された。(1960)
2-1 明治36年(193)貧しい農家の次男坊として小樽市に生まれ、明治40年小作料が払えず、北海道に移住した。
2-2 叔父の補助で府立小樽小学校に入学。また叔父の補助で小樽高等商業学校に入学、大正13年卒業し た。拓殖銀行小樽支店に勤務した。
2-3 対象4年上京し、国立商科大学を受験したが不合格。田口たき宅に住まわせてもらう。
2-4 昭和2年(1927年)24歳より、社会科学の学習を始めた。
2-5 小樽港湾争議を応援し、ビラノ制作等をした。労働芸術家連盟参加し、また、労農党、小樽合同労働組合達と結びつき深めた。
2-6 昭和3年(1928)25歳で、普通選挙の国会選挙に労農党候補、共産党を応援した。
3.15事件がおこり、数人の同志が検挙された。
2-7 この年、蟹工船を書き始めた。戦旗に発表。発売禁止を受けたが、非合法の配給ルートによって8000部が配布された。(1960)