kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

城ケ島 その1

2011-05-08 06:20:50 | 観光

城ヶ島(じょうがしま)は、神奈川県三浦半島端に位置する

周囲長約4 km、面積0.99 km²で、神奈川県最大の自然島である。東西幅約1.8 km、南北幅約0.6kmと東西に細長い菱形の地形であり、東西南北にそれぞれ安房ヶ崎(東)、長津呂崎(西)、赤羽根崎(南)、遊ヶ崎(北)という岬がある。長津呂崎には城ヶ島灯台、安房ヶ崎には安房埼灯台が建つ。安房ヶ崎は神奈川県の最南端でもある(北緯 35 7'32)。行政区分は三浦市で、220世帯604人が暮らす(2005101日現在)。

尚、しばしば伊豆城ヶ崎と混同されるが、三浦三崎周辺に城ヶ崎という地名は存在しない。

連休の5月4日、懐かしの城ケ島に遊んだ。

自宅を8時30分出て、武蔵野線・東上線で成増駅下車。娘夫婦の車で10時30分城ケ島に向かって出発。現地に15時着食事。なんと4時間半の乗車。年寄りに身体がきついい。電車の方がグット楽だとの家内の本音。

 

大変がっかりの城ケ島。今から30年前、数回この地に遊んでいる。当時を連想し、懐かしい気持ちになれると胸を膨らませていた。

大橋を渡り、現地に向かおうとした狭いん道に、江の島と同じ「お店」が立ち並んでいた。はじめて見る風景であった。

これには、大変がっかり、興味・懐かしさも半減してしまった。

 

店を通り抜け島の先端に出た。昔と変わらぬ風景に出合いました。眺めを満喫し、灯台に上った。(143)

爺・婆が上野動物園へ・・・・29日孫にひかれて  その1

2011-05-02 08:30:54 | 観光

ゴールデンウィークが始まった。年寄りは、世間の邪魔にならないように家でジットしてようと心していた。

祝日最初29日の10時頃、孫家族から上野動物園にいこう。動物園前に14時と、家内が約束したようだ。

 

何十年ぶりかな、いつ行ったかな、記憶が定かでなかった。しかし、予想外であり嬉しいやら懐かしいやら・・・、そわそわの心になった。

 

子供に返った気分で、上り電車に乗った。

園内は夥しい人であった。パンダを見る列は、2時間待ちとのこと、大変な人が並んでいた。

子供ずれの家族が主であった。

昔入園した時と、動物、建物、園内の飲食・休憩施設は大分変っていた。

 

前半は、像・ゴジラ・猿・ライオン・カバ・くま等の大きい動物を見学した。

人の隙間から眺める状態だった。眺め観察する姿勢は歳をとっても同じである。

 

時代が流れ、動物も当時とは入れ替わったであろうに、身分の見る姿勢に変化なない。

単なる、同じ動物、生態も同じであろうとの既成概念にとらわれている、自分が情けない。新しい始点から観察できる眼がほしい。


ひなびた駅が・・・近代駅に早変わり  交通新線の誕生で

2011-01-16 08:44:47 | 観光
つくばエクスプレスの守谷駅である。この線の主要駅で、始発や終点の電車も豆に
走っている。この駅が出来る前は、私鉄関東鉄道常総線のひなびた小さな駅であった。
駅付近に多少の民家が点在し、広い田畑で囲まれていた。

つくばエクスプレス線と交差する立体駅舎ができ、広々と近代的な先端をいく建物に変わり、目を見張るばかりである。更に付近は広い道路・普通道路が、碁盤の目のように造成された。高層ビル群・銀行・商店街が発展途上で、夢の都会が出現しつつある。

都心から30分足らずの田舎町が近代都会に変化しつつある今日である。
創設駅の持つ影響力の素晴らしさに目を丸くした。

反面、同じ私鉄関東鉄道常総線で、守谷以上に大きな市であった町は、10kmと離れていないのに、商店街はシャターを下ろして店が多く、今日の発展から取り残されてしまった。
その町の住民は、つくばエクスプレス線を呼び込めないのが、町のさびれの原因とあきらめているようだ。

以上が、目の前に広がった厳しい現実を見せてくれた旅だった。

羽田国際空港の江戸小道

2011-01-15 09:35:13 | 観光
• アジアをはじめとする訪日外国人旅行者の増加や、羽田空港の国際線就航を期待する声に 応えました。 海外からのお客さまをお迎えする商業施設のコンセプトは、「Made In Japan ~ 羽田Only One」。 「江戸小路」(4階)、「TOKYO POP TOWN」(5階)から ...

• 10年10月31日 ... 10月21日にオープンした「羽田空港新国際線旅客ターミナル」の中でも、テレビや雑誌で 紹介され話題になっているのが、“江戸”をイメージした4Fスペース。江戸の町並みを再現 した“江戸小路”と、飲み屋街をイメージした“江戸前横丁”から ...
 以上、インターネットの解説から・・・・。

 客は日本人の見学者ばかりであった。近代建築の中に、江戸小路の街が再現しすごいことをしたなと感心した。
また、飛行機の滑走も眼の前に展望でき楽しい時間を過ごした。1度は見学されるのもよいのではないでしょうか。


湯治場温泉に浸って・・・芦野温泉(その2)

2010-07-03 08:55:35 | 観光
ここは、湯治場温泉で、入浴を楽しみことが主目的の方が多いと思う。前回も述べたとおり高齢者の方が多い。特に、ホテル宿泊者は、顔のしわの割に、派手な浴衣を着ていることが爺の目を捉えた。

湯は、大変大きく広い温泉で、特に、湯船に入るときの手すりが頑丈につくられていた。それが1番先に目についた。年寄りを大事にしていることが分かった。その手すりは、各湯船ごとに、4角櫓のように頑丈にできていた。

薬草湯も、2つの湯船にわかれていた。黒茶色をしており、入浴していて気持ちが落ち着かず、直ぐの飛び出し、隣の露天風呂に飛び込んだ。

露天風呂は、規模が小さく、後で付けたしたように思えた。数人で満杯になりそうである。
しかし、周りは山の木々に囲まれ、小鳥の声も聞こえてのどかな温泉気分になれた。

友達の別荘は、野郎たち3人の宿泊だったので、朝食は、温泉の朝食を依頼して、宿泊気分を楽しんだ。

朝の入浴は、ただ湯であった。監視人もおらず、自由に入湯できるようになっているようだ。大らかな温泉であり、ゆったりと湯につかり、普段の疲れを解放した。

友人よ・芦野温泉よ、有難うございました。他では味わいない温泉気分(湯治気分)を満喫できました。(713)


浅草寺境内めぐり

2009-10-15 09:15:45 | 観光

10月9日会食会が14時に終わったので、上野から浅草寺まで歩くことにした。今は地下鉄銀座線が浅草駅まで2駅につながっている。昔は都電があった。歩いて30分程度で適当な距離にある。

浅草寺につき仲見世を通った。相変わらずに賑わいである。中学生・高校生もグループで見学していた。

本堂は、屋根一面が囲まれており、修理工事を進めていた。本堂の本尊様におまえりをするため堂内に入った。

本尊は電灯の明かりに照らされ、周りは真っ暗であった。

1.淡島大明神(上の写真)

現在の淡島堂は、戦後の仮本堂であった旧影向堂(ようごうどう)を移築・改修したもので、本尊は阿弥陀如来。淡島明神のほか、虚空蔵菩薩、取子(とりこ)地蔵菩薩をまつる。

2. 影向堂(上の写真

観音さまのお説法やご活躍に不断に協力されている仏さま方を「影向衆(ようごうしゅう)」とお呼びし、これらの仏さまをおまつりするお堂。

3.駒形堂(写真なし)

『浅草寺縁起』によると、推古天皇36年(628)3月18日の早朝、檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)の兄弟が江戸浦(現隅田川)にて漁撈中、1躰の仏像を感得した。郷司土師中知(はじのなかとも)はこれを拝して、聖観世音菩薩さまのご尊像と知り、自ら出家、屋敷を寺に改めて深く帰依したと伝えられる。

4.薬師堂(写真なし)

 慶安2年(1649)、江戸幕府第3代将軍徳川家光(1604~51)の再建による三間四方のお堂は「橋本薬師堂」と呼ばれ、浅草寺に現存する古建築の一つ。

まだまだ、見る物がたくさんあるが、疲れたので浅草を後にして家路についた。楽しく有意義な1日であった。(92)


初めて能登半島に渡る(その3)

2009-10-11 09:05:14 | 観光

1.    輪島の朝市

河井町本町通りに店を並べて立つ露天市。朝市は8時から12時、夕市は午後4時ごろから7時ごろまで開かれる。鮮魚や海藻類、野菜や果物を運んで並べる。漁村や農村の日焼けした女性の方が多く、その季節に取れるものを何でも売っている。市内には野菜屋や魚屋はないという。旅行者が多くのものを買っていく。大きな露店の間で、手作りの野菜や手芸品を売るおばあさんの姿に引き付けられた。元気でいつまでも、頑張ってね!!。

2.    御陣乗太鼓

輪島郷土に伝わる郷土芸能で県指定の無形文化財。上杉謙信の軍勢が攻めてきたとき、村の長老が考え、鬼の面や木の皮に目鼻をつけ、海藻で髪の毛をつけるなどして夜陰に乗じて敵を逆襲したという。きっと神が村人たちの情念に乗り移ったのだろうと「御陣乗り移り」「御陣乗り」が御陣太鼓と呼ばれた。面相には亡霊、おきな、鬼などがあり、質素な衣装で、表情やしぐさに霊感が漂う。

見学料は15分で1500円と割の高いは、会場には他のホテルや旅館からも大勢見学に来ており会場が一杯であった。時間ぎりぎりに来た人は、見学する隙間探しに大変だった。

 忙しい旅行であったが好奇心を満足させてくれ有難う。老いも若きも48人が1つの団体として行動し、いろいろな交流があって、大変勉強になった。皆さん、有難う。(93)

 


初めて能登半島に渡る(その2)

2009-10-09 06:13:42 | 観光

1.    禄剛崎灯台

北緯37度31分、東経137度19分の断崖上に白色の2等灯台が偉容を誇っている。フランス人の設計で明治16年完成した5万5000燭光、高達距離30キロ。ここは昔、海上の警備のため烽火をあげた地で、現在も狼煙という地名が残っている。

個性のある灯台で、他の多くの灯台を見たイメージと大分変っているので、脳裏に焼きついたと思う。無人灯台で、日本海の船の安全を守ってくれている。ごくろうさん、よろしくね!!。

2.    見付島(軍艦島)

田園風景が広がる海岸に高くたちはだかる島、その昔、弘法大師が佐渡から能登へ来たとき最初に目についたのでその名があるという。島の形が波を蹴って進む軍艦に似ているところから軍艦島といわれる。このような島は、あちこちで見られる。北海道の積丹半島の海にそそり立つ「ろうそく岩」を思い出した。

3.    千枚田

高洲山の裾が海に落ち込む急斜面に作られた稲田で、平均3畳ぐらいという小さな田が、ガイドさんの話では1171枚あるという。昔は18個の農家が耕作していた。苗代の時は美しい水田風景であった。休耕田が出るようになり、役所が補助金を出すようになったが、時代の波に抗しきれず現在はオーナー性になっているとのこと。田植えや稲刈りには都会からオーナーがきて作業をしている。

特に、田植えの時期の水面が光る眺めは素晴らしいとのこと。残念ながら、それには程遠い眺めであった。

次回は最終回です。よろしくお願いします。

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初めて能登半島に渡る(その1)

2009-10-08 09:09:57 | 観光

「あせって物事を決めると失敗する」の1事例である。

爺は、「能登にはいってみたい」との気持ちが強かった。新聞に、飛行機で1泊2日22000円との募集記事が載っていた。早速応募した、応募1番のりだったようだ。家内は1度旅行しているので気がのらなかったが、無理に承諾させた。

能登までは、羽田から1日2便のみ。朝10時45分の離陸し、次の日は13時には羽田に着陸した。

こんな旅行初めてであった。参加者の殆どの方が、帰りの時刻を現地午後4時ごろの便にしてほしかったとの不満だらけであった。

その後、能登への旅行案内やチラシは多く見られた。中には、新幹線を利用して2泊3日で、ゆっくりと半島内を回り、しかも、ローカル線にまで乗れるという。

反省しても、「自己の責任である」と意識を改め、楽しく旅をするように努力した。

1.    能登金剛・巌門

玄徳崎、増穂浦、機具岩、吹上の滝、巌門,、鷹の巣岩など荒波の浸蝕によってできた奇勝が続く能登金剛の中心になっているのが巌門である。巌門の一帯は、松本清張作の有名な「ゼロの焦点」のロケ地である。大変に景色が良い。特に船にのって海からの眺めが良いとのこと。

2.    陽の暗くならないうちに「禄剛崎灯台」を見学しようとのことで2時間の道程で現地に向かった。(98)


次回に続く。

 


上野不忍池は蓮の葉に覆われる

2009-07-03 06:04:56 | 観光

先日、所用があって、上野まで行った。所用が昼過ぎに終わったので、天気に誘われ上野不忍池に足をのばした。ここには桜の花見、美術館鑑賞の時ぐらいしか立ち寄らない。

池の大半がハスの葉で覆われていた。時間があるのでデジカメを向けたり、木陰の椅子に座り、景色を眺めたり、本を読んだり、休んだり、ゆったりと時間を過ごした。

木の小枝の隙間から見た弁天様(下の右図)、池のボートエリアの風景(下の左図)も印象に残った。

特に、濃い緑の蓮の葉は、湖面を隠し、人の目と心を引けつけて離さない。それほど緑に吸い込まれていった。同じように、池の周りで時間を使っている人が多かった。

やがて、池を1周して上野公園に戻った。今改築中の隣にある西郷隆盛像(右中)・上野彰義隊の墓(右上)等を見て帰路についた。

インターネットより

東京・上野恩賜公園の不忍池(しのばずのいけ)に、たくさんのハ(蓮)が咲いていると聞いて出掛けてみました。上野恩賜公園は、元々は寛永寺の境内だったものが、後に公園となったものです。博物館や美術館、動物園があり、有名な西郷隆盛像があります。不忍池は公園の西側にあり、3つに分かれているのですが、そのうち野外音楽堂と弁天堂の間の部分がハス池となっていました。

上野不忍池からの発信でした。(92)