ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

私の関西百山(3) 七七頭ヶ岳

2013-10-22 09:35:45 | 私の関西百山

3.七七頭ヶ岳(693m) <伊吹山地>
【ななずがたけ】湖北余呉湖の北に位置する。山麓の集落から七つの尾根を山頂に集めているのが山名の由来とされ、麓から仰ぐ山容の美しさから地元では丹生富士と呼ばれている。

<山頂に美人の肌を作る池が…>

上丹生の野神橋には「伊香西国二九番札所 七七頭ヶ岳観音参道」の古い石標が立っている。美しい丹生富士の姿をカメラに収めて林道を進み、高時川を渡って県道と再合流するところに車を置く。ヒノキの植林の中に山に向かって道が延びている。「山頂まで1.9km」の標識があり、木の杖がたくさん置いてある。地元の人がよく登る山のようだ。やがて雑木林に変わり、溝状の急な登りになる。エンレイソウ、シュンラン、イカリソウなどを見ながら30分程登るとなだらかな尾根道に出て、「十三丁」と山頂西林寺までの距離を示す石標がある。そろそろイカリソウにも見飽きる頃に、黄金色のヤマブキ、背の低い真紅のヤブツバキが点在していて、新緑に美しいコントラストを見せる。

ヤブレガサの群落が現れると「あと1000m」の標識。花を見ながらゆっくり歩くので、全く疲れを感じない。少し急坂になり、大きな松の木が立っている所に来る。眼下に上丹生の田園風景が拡がっている。新緑の梢越しに墓谷山、金糞山を見る気持ちの良い尾根道をしばらく行き、最後の急登になる。ヤマツツジが咲き始め、上部に来たのでショウジョウバカマの花が今、盛りである。大きなブナやミズナラの疎林の中で、いろんな種類のスミレが咲き、シュンランもたくさん見つけた。


タムシバの白い花に迎えられるように、山頂部に着く。小さな石塔と山名板があり、横の祠には両洞山西林寺の扁額がかかっている。三角点ははすぐ先の小台地にあった。樹木に囲まれて展望はなく、風が強く寒さを感じ始めたので、「るり池」への標識に従って北側へまわる。辺りはイワウチワの花の大群落で、中にイワカガミも交じっている。急坂を下ると、汚れた残雪の横に苔むした岩から滴り落ちる湧き水があった。これを二本の樋で集めた水場が「るり池」である。村娘の顔に出来た腫れ物を治したという伝説の池である。少し登った林の中で昼食。足元はイワウチワの花、目を上げると梢越しだが新谷山と、まことに贅沢なオープン・カフェである。

一時間を過ごして、登ってきた同じ道を下る。急坂に積み重なった落ち葉で足首まで埋まり、フワフワと新雪を踏むような感じである。下りは早く、登りの半分の時間で元の駐車場所についた。やや歩き足りない思いは残るものの、快晴の空の下、思いがけぬたくさんの花達の饗宴で本当に楽しい山行だった。

 七七頭ヶ岳のシュンラン

【コースタイム】矢田部橋(上丹生側登山口)9:30…七七頭ヶ岳11:00~12:05…矢田部橋12:50(2001.04.21)


私の関西百山(2) 横山岳

2013-10-21 11:14:06 | 私の関西百山

2.横山岳(1132m)  <伊吹山地>

三滋賀県伊香郡木之本町と余呉町の境。岐阜県との県境から南西に派生する尾根上に位置する大きな山容の双耳峰である。古くは白山修験道の流れを汲む山岳信仰の霊場であったという。

<山開きの日>
2000年5月21日(日)は、たまたま山開きの日であった。満員の白谷登山口駐車場に車を置き、いくつも美しい滝を見ながら白谷ルートを登る。何度か流れを渡り返して、空海が大般若経を書写するのに身を清めたという経ヶ滝に着く。水量が多く堂々と飛沫をあげている。休んでいると、御幣を担いだ神主を先頭にした地元の人が続々と登ってきた。ニリンソウ、イチリンソウ、ヤマルリソウ、キランソウ、ユキザサ、ホウチャクソウ、エンレイソウ…。花の多い山で、前を行く人に聞くと50種類は咲いているそうだ。

30分ほどで五銚子ノ滝に着く。御幣は、銚子の形をした五段の滝が落ちる中央の岩に捧げられた。『滝の左手の草原の道を登る。胸を突く急坂になり、突き当たりの岸壁を右にトラバース。固定ザイルを伝って滝の落ち口にでる。ここからも何度かロープや木の根を掴んでの急登が続く。ぬかるんだ道を大勢で歩くので、ずるずる滑り歩き難い。』大部隊に追われながらもヤマシャクヤクやイカリソウなど、次々現れる花々に疲れも感じず快調に登る。若葉が美しいブナ林に入って傾斜が弱まると山頂は近い。


標高差900mを登り切った山頂は人で埋まり、ともかく食事場所を確保するのに大変だった。頂上から見る『奥美濃の山々はガスに包まれている。さっき、「能郷白山が見える」という声がしていたが、どの山だろうか。反対側には墓谷山、遠くに琵琶湖面が光っている。頭上には爽やかな青空が拡がってきた。』
 下りは墓谷山に続く三高尾根のコースをとる。ブナの大木が並ぶ中、滑りやすい急な道を下って鳥越のコルにでてる。コエチ谷に下り、しばらく林道を歩いて朝の駐車場に帰った。地元の「杉野山の会」の皆さんのお蔭で、登山道も安全に歩けるように整備され、花の種類も多くて素晴らしい山だった。

 三高尾根より横山岳山頂を振り返る


私の関西百山(1) 伊吹山

2013-10-20 11:25:42 | 私の関西百山

国土の80%が山地であるわが日本には、どれほどの数の山があるのだろう。三省堂「コンサイス日本山名辞典」には13000(峠を含む)、日本山岳会編「新日本山岳誌」には4000の山が記載されている。勿論これらの書物に取り上げられなかった山も無数にあるだろう。
  
深田久弥氏の「日本百名山」以来、200名山、300名山をはじめとする「名山」を「制覇」することが一時ブームとなって、関西でも1998年に山と渓谷社大阪支局が「関西百名山」を選定した。別に宮崎日出一氏と阪上義次氏が1993 年、「新ハイキング」誌関西に発表された「近畿百名山」があり、この二つで重複する山は68座ある。
 
そもそも 「近畿」の名が文献に現れたのは1889年の国定教科書「地理」で、「大阪、京都、兵庫、和歌山、奈良、滋賀、三重の2府5県」がその範囲とされた。現在は1963年の近畿整備法で福井県が加えられた2府6県となっている。一方、関西は鎌倉時代の「吾妻鏡」にも見られる古い言葉だが、関八州の関東に対して「関」(鈴鹿・不破・愛発)の西というだけの漠然とした言い回しである。一般的には「大阪、京都、兵庫、滋賀、奈良、和歌山の2府4県」を指すことが多いが、行政的な定義ではないので、関西地域振興財団では上の近畿2府6県に鳥取、徳島の2県を加えた広い範囲を「関西」としている。昭文社「関西の山あるき100選」(2000年刊)は奥美濃・奥越、中国・四国までも含めた広い範囲を関西ととらえている。「山には多くの顔があり、楽しみ方も多様であるという考えを基に百山を選んだ」という選定方針は、○○名山を意識しない私にはお誂え向きの本である。以下は上記の各資料を参考にしながらも、あくまでも気まま勝手に選んだ「私の関西百山」の回想記である。

1.伊吹山(1377m)   <伊吹山地>

<頂上からの大滑降>
伊吹山には
何度か登ったが、夏季、高山植物を見るためにバスやマイカーで九合目まで行って頂上周回路に入ることが多い。しかし最初に頂上に立ったのは厳冬期、しかもスキー登山だった。山を初めて間もない1961年2月19日。山好きな職場の先輩たちと前夜、山麓の民宿で泊り、リフトで4合目へ。シールを付けて八合目まで登り、当初はデポする予定だったがアイゼンに履き替えて、急斜面に息を切らせながら登る。頂上山の家で昼食後、頂上へ。『測候所は一面エビノシッポで覆われて、まるでおとぎの国の城みたい。14~5mの西風は強いが、時々ガスが晴れた時の素晴らしい眺望に満足』していよいよ滑降。五合目までは斜滑降、キックターンの連続。ここから快晴となって長い斜滑降とボーゲンで滑り下る。数えきれぬほど転倒したが楽しかった。

<夜間登山>
1970年代に勤めていたT高校では毎年、山岳部主催で一般生徒を対象にした夜間伊吹登山の行事があった。1977年9月23日、近江長岡駅を22時50分に出発。登山口の神社境内で夜食を喰って、秋分の日の24日0時45分出発。
『一合目のスキー場を過ぎると、ススキの原の急坂の登り。二合目で休憩。吹き降ろす夜風に汗ばんだ肌が心地よい(2時)。五合目から七合目までは町々の灯りを見下ろし、いい調子で登る(3時)。七合目を過ぎて、岩がゴロゴロしているところでは、ムカデの幼虫らしい奴がビッシリ岩には張り付いていて気味悪い。このころからガス。…』4時15分、ようやく小屋に入り、夜食の残りを食べ、ウィスキーを飲み、キルティングをかぶって時間ほど仮眠する。明け方の冷え込みで目を覚まし外へ出たが、濃いガスで殆ど視界ゼロ。6時過ぎ、下山開始。『三合目の広場で朝食をしていると快晴になって、山頂も青空にくっきりと浮かび上がっていた。』

<親切な山小屋>
2004年7月18日、町内と近郊の人で作っている山の会17人で翌月の夏山(白馬岳)のトレーニングに行ったが、ゴンドラ駅前の駐車場に着くと、あいにく雨になった。三合目から雨具をつけて、雨に濡れた花を見ながら登る。『八合目からの岩のゴツゴツした急登になる頃から、霧も出てきて、まるで夕方のように暗くなってきた。…下りてくる人が、流れる雨水に足を滑らせて難渋している。』

頂上に着き、日本武尊像の前でこれからの行動を思案していると『親切なメキシコ人の小屋アルバイトがいて、三角点まで案内して記念写真のシャッターを押してくれた上、高山植物の説明までしてくれた。彼の働いている小屋主の奥さんも「気にしないで、空いたところを使って…」と言ってくれたので、ご好意に甘えて靴を脱いで上がり込んで弁当を使わせて貰う。おかげで雨に濡れず食事が出来たが、別に買い物を強制するわけでなく、実に気持ちのいい応対だった。』ゆっくり食事をさせて貰って、山頂の遊歩道を巡り終えるころ雨は止んだ。ガスの中を元の三合目に下る。下は強風でゴンドラは運転休止になっていたので、薄日に光る琵琶湖の湖面を見下ろしながら駐車場へ歩いた。(『』内は当時の山日記から引用)

高山植物の宝庫・伊吹山の名を持つ植物も多い。写真はイブキジャコウソウ
他の花の写真はこちらにあります。http://mountainpenguin.web.fc2.com/flowers/ibuki/ibuki.htm


今年最後の月下美人 (2013.10.15~16)

2013-10-17 08:36:50 | 花日記

台風26号が本土に近づき雨が降り続く夜。思いがけず、また我が家に月下美人が訪れました。

二鉢に3輪と2輪付けていた蕾のうち、3輪が開きました。

昨16日夜、最後に残った2輪が咲きました。
今年も長い間、美しい姿と香りを楽しませてくれた花たちとも、いよいよお別れのときが来たようです。
ありがとう。さようなら。来年もまた元気で会いましょう。


秋の色と味

2013-10-15 20:20:34 | 我が家の歳時記

10月になっても暑い日が続いていましたが、ようやく秋の気配も濃くなりました。 

我が家の庭で…キンモクセイは僅かな香りを残すだけですが、ホトトギスが満開です。


セージの色が鮮やかで、秋風にススキの穂が揺れています。柿の実が次第に色づいてきました。(10.13) 

今頃になってやっと羽化した蝶々さん。長い間このままの姿勢で美しい水色の羽を乾かしていましたが、気が付くと飛んで行っていませんでした。台風が来るのに大丈夫かなあ(Photo by ♀ペン)

 

京都のお土産に頂いた♀ペンの大好きな阿闍梨餅です。(10.14)


北東北のお土産

2013-10-14 20:07:46 | 旅の想い出

 

北東北の旅のお土産の一部。「もちもち三角」は初めて食べたバター餅です。

我が家の郷土玩具に「なまはげ」を加えました。赤と黒の面が表裏になっていて「この生はげを持っていると 貴方と貴方が思っている人に よりよい幸福と健康を もたらすことでしょう」と書いてあります。


雨模様の北東北の旅(4)~ 八幡平

2013-10-13 08:37:27 | 旅日記

10月8日(火)昨夜の「天気まつり」では飲み足りなかったのか、祈りも空しく夜半から雨が降り続いている。早くも今年26号の台風が影響しているらしい。8時バスで出発。

十和田湖畔を走り発荷峠から十和田湖を見下ろす。晴れていれば絶景の展望台だが、湖面が見えているだけでよしとするか…。峠を下ると真っ赤な鈴なりのリンゴ畑や、古代のピラミッドと言われている三角錐の山など見ながら八幡平を目指す。


 

登るにつれ次第に激しさを増す雨に、楽しみにしていた今日の山頂ハイキングは遂に中止になる。ビジターセンターで二人のガイドさんを乗せて、一応山頂まで登って行く。アオモリトドマツが雨に濡れている。上に行くほど風や雪のせいで丈が低くなり、葉は三角旗の形になるという。


 

バスの中で雨具をつけて、頂上ターミナルから外に出てみる。晴れていれば、時には月山まで見える好展望台だそうだが、濃い霧に雨まで加わり何も見えない。すぐ近くの秋田・岩手県境の写真を撮ってバスに帰る。


 

添乗員さんとガイドさんが相談の結果、後生掛温泉近くの自然観察路を歩くことになった。後生掛は周辺に数ある温泉の中でも「馬で来て足駄(ゲタ)で帰る後生掛」と言われ、今も湯治客の絶えない名湯である。


私たち第1班のガイドは「71歳の元気なお爺さん(添乗員の言)」Wさん、ゆっくりと丁寧に説明してくれる。最初に大小の噴気孔が二つ並ぶオナメモタメを見る。この辺りの方言で「オナメは本妻、モタメは妻妾」のことである。昔、ここで牛飼いをしていた青年が重病にかかるが、巡礼旅の娘の手厚い看病で命を取り留め、やがて二人は結ばれる。ところが、この男には何とあの岩手の「久慈」に妻と子供までいたのだ。ジェ!、ジェ!!、ジェ!!!である。ある日、妻が訪ねてきたので娘は妻子の幸せのために噴気孔に身を投げる。その思いに打たれた妻も大きい方の噴気孔に後生を掛けて投身…。後生掛温泉の地名はここから生まれた。それにしても後に残された子供が不憫だなあ。


紺屋地獄は湯沼ともいい、染物屋が染料を煮る様子に似ていることから名付けられた。左の丘の上に十字架が立っているのが見える。十字架岩といい世界平和を祈って近頃立てられたものらしい。


小坊主地獄。噴気孔、マッドポッド、温泉がたくさんある。


  

何年か前の大雨で山崩れがあり、途中で分断された。


大湯沼。紺屋地獄のような小さな池が集まって形成された。盛んに噴煙や音を上げている。西の方の活動が活発で、こちらに広がりつつある。


中坊主。この辺りは特に活動が盛んで、道の両側でブツブツと音を立てて泡が出ていた。


泥火山。地上に出ているのは1mほどだが、地下に7~8m続いている。数年に一度爆発する、れっきとした火山である。


 

ここからは帰り道となり、赤や黄の紅葉の中を紺屋地獄まで円を描くように歩く。右は昔、硫黄を採掘したところで見た典型的な噴気孔である。


一周約40分のウォーキングを終えてバスに乗り、下山の途中でビジターセンターのある大沼で下車。


  

添乗のIさんは、センターでジオラマや写真展示を見る人と分かれて「ちょっと覗くだけ」を頼んだらしいが、Wガイドさんは張り切って、早足になるがと断った上で池の周囲を30分ほどで一周してくれた。八幡平は何度か訪れないと良さは分からないという。機会があれば八甲田山も含めて再訪してみたい。


秋田空港で最後の買い物をして、17時発のJAL機に乗り、途中羽田で乗り継いで伊丹に帰る。雨にたたられはしたが、これも思い出に残るだろう北東北3日間の旅だった。 


雨模様の北東北の旅(3)~ 奥入瀬渓谷

2013-10-12 07:45:24 | 旅日記

開湯300年を誇る名湯・酸ヶ湯を出て、バス車内で昼食の弁当を食べて午後は奥入瀬渓谷のウォーク。十和田湖畔の子ノ口からゴールの焼山までは14kmあるが、ツァーではその内、銚子大滝から石ヶ戸まで約7㎞、2時間半のコースが予定されている。さらにバスはいったん途中の見どころを説明しながら銚子大滝まで走って全コースを歩く人(10人ほど)を降ろし、帰り道で90分コース、60分コース、更には石ヶ戸周辺散策の人に分かれる。この夕暮れが早い季節に17時に石ヶ戸に帰るには、2時間半コースでは写真も撮る時間もないとの説明で、私たち4人はゆっくり歩こうと90分コースを選択した。幸い奥入瀬に着くころには雨も止んだ。

いったん銚子大滝で下車して写真を撮る。唯一、奥入瀬川の本流にかかる幅20m、高さ7mの堂々たる滝である。この滝があるためイワナやヤマメが川を遡れず、明治の初めに和井内貞行がヒメマスを放流するまで十和田湖には魚がいなかった…と教科書で学んだ記憶がある。昭和25年には大河内傅次郎主演で「われ幻の魚を見たり」という映画にもなった。「魚止めの滝」と言われた由縁である。バスに帰ってトイレのある玉簾の滝まで乗せて貰う。


 

15時、10人が思い思いにスタート。美しいブナ林の中を渓流沿いに歩く。私たちの歩く方向に、苔むした岩や倒木の間を縫うように時には激しく、ときには緩やかに清らかな水が流れる。十和田湖の子ノ口から流れ出した水は、最後は奥入瀬川となって太平洋に注ぐ流出河川なのである。上流の奥入瀬渓流には支流にかかる大小の滝が見られるので「瀑布街道」の名もある。


  

見上げるような大木の根から若い木が新たに成長していたり、切り株にビッシリとキノコが生えていたり、至るところで森の生命が息づいているのを感じる。


「白銀の流れ」を過ぎるとやや流れが広くなり、


天狗岩の横にかかる白糸ノ滝を見る。いく筋もに分かれて絹糸のように見えるということからの名前である。ここまでバスを降りて45分。


流れを木橋で渡ってバスが通る国道102を横切って、少し上へ歩いて支流にかかる雲井ノ滝を見に行った。高さ25m、三段になって落ちる豪快な滝である。


 

千筋ノ滝(上)、九十九島、飛金の流れ(下)などを見ながら歩く。すぐ頭の上を国道が走っているが、この先で国道脇の歩道に上る。乗用車が止まり、カメラを手にした人が下りてきた。


阿修羅ノ流れは奥入瀬渓谷を代表する景観で、ガイドブックなどでよく目にする場所である。苔むした岩を削るような荒々しい流れが奔っている。ここからしばらく国道横を歩く。


馬門岩(まかどいわ)。昔はこの岩に馬を繋いで徒歩で十和田湖に向かったといわれる。国道を横断して再び流れに沿う道に出るところで、道標を見ると残り1.4 km。途中で少しのんびりし過ぎた。集合時間が迫っているのでピッチを上げる。

 

石ヶ戸の瀬を過ぎると目的地は近い。


予定の17時に10分残して石ヶ戸の休憩所下に来るが、階段横にある名前の由来「石ヶ戸」を見落とした。しかし女房達は薄暗い中を説明板までしっかりカメラに収めていた。(石の写真は明るさなど修整を加えています)


 

奥入瀬は2005年5月、新緑の頃にも部分的に歩いたが、今の季節の渓流の眺めも捨てがたいものがあった。今宵の宿は十和田湖畔のH十和田荘。夕食には名前だけ聞いていた八戸名物「せんべい汁」が付いた。鍋用の南部せんべいを割り入れて食べる。ゆっくりビールを飲みながら食事を済ませたが、添乗員のIさんの話では、冷害を受けやすい山間部などでは「天気まつり」をして日和を祈るという。「な~に、われわれは酒を飲んで騒ぐだけですよ」とのことだった。部屋に帰ってから4人で、丸さんが売店で買ってきた地酒で盛大に「天気まつり」をして明日の晴天を祈った。


雨模様の北東北の旅(2)~ 八甲田山・酸ヶ湯コース

2013-10-11 08:44:39 | 旅日記

湯瀬温泉の朝は雨で明けた。8時、八甲田山へ向けて出発。

 

途中の花輪は花輪ばやしと「きりたんぽ発祥の地」として有名な処である。車窓から見る岩木山は大きな雲の帽子を冠っていた。酸ヶ湯への分岐から八甲田ゴールドラインに入ると間もなくロープウェイ山麓駅に着く。


 

定員101人乗りのゴンドラは標高差約600mの山頂公園駅まで約10分で運び上げてくれる。ここは田茂萢(たもやち)岳の一角で池や沼が散在し、夏は多くの高山植物が見られるところである。駅を出たところにある説明板にはゴードラインと呼ばれる周辺コースの案内図と毛無岱の説明図があり、毛無岱へは登山道である程度の装備と体力が必要などと書いてある。


見下ろすと毛無岱が上下二段に分かれていることがよく分かる。(左の薄茶色の処が上毛無岱、右が下毛無岱)

12人づつのグループに分かれて、私たちは若い女性ガイドに先導されてゴードラインに入る。標高1300mの平坦な湿原には木道が続き、まず赤倉岳を正面に見て歩く。田茂萢の中を歩くこのコースは8の字型になっていて、中央の交差で引き返すと短縮コースになる。


山頂駅から30分ほどの交差点付近には展望台があり、八甲田山の赤倉岳(1548m)、井戸岳(1550m)、最高峰の大岳(1585m)が並んで見える。幸い雨は止んでいるが、大岳の山頂は雲に覆われている。


  

少し山道らしくなり、湿原帯からアオモリトドマツなどの森林帯に入る。時々左手が開け、陸奥湾を望むことができる。


 

ゴードラインの終点(8の字の頂点)から笹原の中をしばらく登り、分岐で右に折れる。ここを直進すると赤倉岳へ登る道である。ここからガラガラの岩道になり小さな沢を三度ほど渡る。


 

次の分岐も右へ。左へ行くと大岳のコルにある避難小屋からの道が下ってきている。正面に大岳が見える。八甲田山というからには、あと90分のプラスで行ける赤倉~大岳の稜線を歩いて見たかったが、ツァーでは致し方ない。また今日の天気では展望もないだろうと諦めもつく。右の田茂萢岳を歩く人影を見上げながら歩く。


また木道が出てきたら上毛無岱。ここまで田茂萢湿原から40分ほどだった。南八甲田の山々を背景に、池塘にトドマツが影を写している。


ここから下毛無岱へ長く急な木段の下りが始まる。オオカメノキ、ナラ、ブナ、クヌギなど赤・茶・黄色に染まった木々の中の道で、眼下には絵にも描けないように美しい湿原が広がっている。


 

立ち止まって写真を撮りたいが、後ろの班が追ってくるのでままならない。後ろのガイドが「下りきるまで絶対に振り向かないで…」と言っている。


下りきって振り仰ぐと、なるほど待っただけの甲斐があって、今降りてきた上毛無岱からの道が通る山肌は息をのむように見事な紅葉だった。


 

しばらく休憩して写真を撮っているうちに雲行きが怪しくなり、今まで見えていた上の台地に雲がかかってきた。


(Photo by Miwako-san)

ここからは、しばらく木道が続くが、やがて急なごろごろ石の山道になる。下毛無岱から45分、最後は足を痛めた人がいたほどの急下りだった。


2時間半ほどのハイキングを終えて酸ヶ湯(すかゆ)に着くや、待っていてくれたように雨が降り出して、1時間ほど風呂に入ってバスに帰ると、遂に本降りになった。


雨模様の北東北の旅(1)~ 厳美渓と世界谷地

2013-10-10 08:27:35 | 旅日記

丸さん夫妻と一緒に3日間のJTBハイキング・ツァーに参加した。

10月6日(日) 8時15分伊丹発のJALで1時間の空の旅。富士山を右に、北アルプスを左に見ながらのフライトは1時間20分で「いわて花巻空港」に着陸。北国はあいにく今にも泣きだしそうな曇り空だった。しかも暑い!寒さ対策はしてきたが、これでは夏山より暑い。添乗員さんの出迎えを受けて大型バスに乗り込む。24 人のグループなので、後の数列は空席で自由に使える。岩手県は四国4県とほぼ同じ面積と聞いて驚く。殆ど稲刈りの終わった広い平野部をいったん南に下って一関市厳美町へ。


サハラ・ガラスパークという、体験工房もあるガラス製品ショップ内のレストランで山海和定食の昼食。天婦羅・焼き魚・筑前煮・山菜・笹かまぼこ・味噌汁でご飯は十六穀米、デザートにずんだ餅が付いていた。


店内をでて「ガラスの小道」を抜けると磐井川に架かる天工橋で、向かい側にも大きな店や駐車場があって厳美渓観光の中心地になっている。


厳美渓は太古、栗駒山の噴火による凝灰岩が侵食されてできた奇岩と「四十四滝」といわれる大小の滝、甌穴が織りなす美しい渓谷で国の天然記念物に指定されている。一周2キロの散策路が設けられて、観光馬車も待機していたが、時間がないので急いで橋のすぐ近くの河原の大きな岩の上に下りてみる。(写真は上流を見たところ)。


東屋が建ち傍らにドラが吊ってある。籠にお金を入れて木づちで鳴らすと、対岸のダンゴ屋から籠に載せたダンゴとお茶がロープ伝いに滑り降りてくる仕組みである。郭公屋という屋号だがTVで空飛ぶダンゴと紹介され「滑降団子」として有名になっている。


天工橋から反対の下流側を見ると、御覧場橋という吊橋にかけて両岸は見事な桜並木である。貞山公伊達正宗が植えたので低山桜として知られ春には花見客で賑わうという。


(Photo by Maru-san)

再びバスに揺られて「世界谷地」に向かう。「世界」とは大きく出たものだが、要するにそれだけ広大ということだろう。栗駒山の中腹・標高700m付近に縦に細長く連なる八つの湿原だが、残念ながら昨今の豪雨に見舞われ、世界がかなり狭くなっている。


ニッコウキスゲやサワラン、キンコウカなどの高山植物の宝庫だが、今の時期は僅かに低木の紅葉が見られるのみ。傘を指して木道を20分ほど歩いてバスに帰った。


バスは東北自動車道を北へ走る。途中、トイレ休憩で停まった岩手山SAからは岩手山が見えたが、山頂部はすぐ雨雲に隠れてしまった。
 今宵の泊り、湯瀬温泉は秋田県鹿角にある。秋田・岩手・青森の県境に近く米代川の渓流に沿う静かな山間の温泉である。すぐ傍に単線のJR花輪線湯瀬温泉駅のあるホテル姫の湯は、部屋も大きく夕食も豪華だった。


舞茸山くらげの通し、鮪・サーモン・甘海老の造り、合鴨ロースの洋皿、酢の物はホッキ辛し和え、きのこ釜飯に稲庭うどん、囲炉裏を模した炭火で「きりたんぽ鍋」に鰰(はたはた)の一夜干し、鶏のつくね串と胡桃味噌を付けたキリタンポ。鍋は食べたことがあるが、初めての「焼き・きりたんぽ」が絶品だった。生ビールの中ジョッキ一杯で満腹して、明日の天気を心配しながらも朝までぐっすり眠った。