ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

超展望の伊那前岳(2013.09.28)

2013-10-04 14:17:11 | 山日記

木曽駒ヶ岳・乗越浄土に建つ宝剣山荘の朝。昨夜は私たちの個室のすぐ横が階段で、何度もトイレに行く足音で眠りを覚まされた。暗いうちから出かける人の声で起されてしばらくすると、もう窓の外が薄明るくなってきた。ご来光は部屋の窓からも拝めるが、外へ出て少し宝剣の方へ登ってみる。


  

和合山の黒いシルエットの左には見事な雲海が拡がり、その上に八ヶ岳が浮かんでいる。次第に朱色を増す東の空に富士の姿が美しく浮かび上がっている。


やがて伊那前岳の方から真紅の日輪が顔を出して周囲からどよめきが起こる。(Photo by Miwako-san)

 

振り返ると中岳の左に朝陽に燃えるような木曽御嶽が浮かんでいた。(Photo by Maru-san)

6時からの朝食を済ませると殆どの人は宝剣や木曽駒へ登って行った。少し体調の優れない三輪子さんを残して、三人で伊那前岳をピストンする。乗越浄土から和合山へ向かうと、もう誰にも出会わない静かな尾根道になる。殆ど空身なのでルンルン気分で時々、写真を撮るために立ち止る他はのんびりとハイマツの稜線を行く。

見下ろす千畳敷カールをロープウェイのゴンドラが登ってきて、千畳敷駅の放送が聞こえる。

やや勾配が強まると最初のピーク・和合山(2,911m)に着いた。乗越浄土から僅か10分あまりである。頂上手前から東側を捲くが、再び稜線に出ると素晴らしい展望が拡がった。右手・北西に中岳、木曽駒ヶ岳から将棊頭山に続く稜線、左手・西から南にかけて宝剣岳、檜尾岳、空木岳に続く稜線が鮮やかに見える。

少しガラガラの石ころ道を下るとハイマツの中のほぼ平坦な道になり、富士山を正面に見ながら快適に歩く。左手が少し開けた砂地には九合目の標識が立っていた。

次のピークには左手の高みに石柱で囲まれた大きな岩があり、道を挟んで「天山阪本先生勒銘石之碑」と書かれた副碑(昭和6年建立)がある。


 

手元にある「信州百山」(1970年信濃毎日新聞社刊)によると、「勒銘石(ろくめいせき)」は天明4年(1784)、高遠藩郡代・坂本天山が苦心の末にここに立って駒ヶ岳を見た時の感動を石工に刻ませたものである。『銘文の風化磨滅は、駒ヶ岳登山の歴史の深さを物語っている』と書かれた通り、四言絶句の文字は殆ど消えてしまっているが、上掲書から引用すると…霊育神駿(霊は神しゅんを育し) 天逼天門(高く天門にせまり) 長鎮封城(長く封城をしずむ) 維岳以尊(この岳もって尊し)…と記されている。

さらに稜線を下り気味に進み、登り返すと伊那前岳の頂上である。岩の上に錆びた鉄棒が立っていた。2,883mの三等三角点は一段下がったところにあり、さらに東へ北御所登山口への下り道が続いている。


頂上からの展望は期待以上に素晴らしく、東には八ヶ岳から間に富士を挟んだ南アルプス、北には御岳、乗鞍、北アルプスの山々、南には宝剣岳から空木岳と続く中央アルプスの山々と遮るもののない大眺望である。

 

しばらく至福の時を過ごして引き返す。

帰り道も槍・穂高始め懐かしい山々の大展望に酔いながら、のんびりと歩いた。

 

和合山を下り、乗越浄土に近づくと大勢の登山者の姿が見える。休み終えた人は中岳へ宝剣へと次々と登っていく。私たちは途中で単独の若い男性に二度出会っただけで、静かな山をゆっくり楽しめて良かった。(Photo by Maru-san)

 

  

小屋に別れを告げて八丁坂を下る。見上げる宝剣の上の真っ青な空に細く痩せた月が浮かんでいる。さすが好天の土曜日だけあって登ってくる人が切れ目ない。その間隙を縫うように少しづつ下る。子供連れも多く、元気に登ってくる子、むずかっている子、中には背中に負ぶわれて眠っている子までいた。みんな良い想い出が作れますように…。「今日は混雑が予想されるので、ロープはフル回転」のアナウンスに急かれるように駅に歩く。カールのお花畑はチングルマの苞花が風に揺れ、枯れかけたコマウスユキソウが一株残っていた。駒ヶ岳神社へ無事に山行を終えたお礼を言上して、家路についた。