ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

能勢・竜王山(2012.01.22)

2012-01-28 06:00:00 | 山日記
<コースタイム> 駐車場所 09:20 …才ノ神峠 09 :57…竜王山登り口10:08…竜王山10:32~10:40…宮峠11:10…無名峠11:50…牛ノ子山11:57~12:20(昼食)…チンジンさん13:10…長谷川沿いの道に出る13:25…駐車場所13:40

SRCのメンバーに加えて貰って例会に参加した。昨夜は修ちゃんの車に同乗させて貰って、丹波篠山渓谷の森公園(猪村の近く)へ。ちょうどボタン鍋が煮えたところで、さっそく乾杯して熱い鍋に舌鼓を打つ。



L.の水谷さんが買ってきた猪肉は1.5キロ、雄と雌で微妙に味が違うそうだ。柔らかくて全く臭みがない。一緒についてくる太い牛蒡が、これまた旨い。存分に腹に収めたが、明日があるのでメンバー9人みな飲むのを控えたか、持ち寄った酒はだいぶ余った。11時、しゃべり疲れて男女二棟に分かれて寝る。設備もよくてなかなかいいコテージだった。

昨夜の鍋の残りを雑炊にしたりして朝飯を喰っていると、陽が射してきた。8時過ぎ、コテージを後にして少し大阪側に引き返す。途中のコンビニで昼食を仕入れ、能勢町の長谷川沿いに北上。道沿いのスペースに駐車する。周りを山に囲まれ、その山の斜面を切り開いた美しい棚田が広がっている。


<ケイタイで撮影>

行く手に三草山の整った山容を見ながら、山裾に広がる長谷集落を抜けて行く。見下ろす東側には棚田の向こうに淡く碧く低い山が重なり合って美しい眺めだ。



かなり勾配のある舗装路を何度かヘヤピンカーブを繰り返しながら登っていく。小母さんに連れられた白い犬が何度も振り返りながら前を歩いていく。


<ケイタイで撮影>

歩き始めて約30分で才ノ神峠に出た。北側から二本、南側から二本、東西の稜線へ一本づつ。合計六つの道が集まっている。峠に立つ石の道標は寛文十一年(1671)のもので能勢町指定の部文化財である。傍らの説明版によれば、ここは源平一の谷合戦の折り「三草の勢揃い」が行われたところで、石標が立った時代には市街道として交易、有馬への湯治などで人の行き来が多かったらしい。東へは三草山登山口の標識がたち階段道が続いている。私たちは西へ斜面を捲いていく。



10分で竜王山の登り口にきて道を離れ、北西に疎林の尾根を登っていく。枯葉や木の枝を踏んでしばらく行くと苔むした岩がいくつも転がるところにでて、やがて山頂の大岩に着く。



竜王山(670m)は慶佐次盛一氏「北摂の山」、赤松茂氏「北摂の山々」(エアリアマップ)などでも『竜』王山と記されているが、なぜか最近の国土地理院地図では『滝』王山と変わっている。三角点は見当たらず、植林の中で展望も全くなかった。



山頂部の北端に鉾を立てたような尖った石があった。小さな祠があり、供物などを捧げるためか石を積んで階段を作ってある。おそらく竜神信仰のものだろう。



牛の子山に向かう。登りにはなかった、しっかりした登山道が北に続いている。やや狭い尾根の下りとなり



507.4mピークに着いた。さらに抉れた道の急な下りで十字路の中心に降り立つ。宮峠である。右(東)に下れば八坂神社があるので、この名があると考えられる。さらに東に下れば駐車場所にでる。峠から緩い登りでさらに北へ進む。道は尾根を等高線沿いに捲くように続いているが、途中で尾根に登ったり、下ったりしたので



短い時間ながらブッシュや笹を漕いだりした。ややはっきりした道に出て、道が東に向かうようになったところに無名の峠がある。


<貴公子さん撮影>

「標高差40mの登り」という背後の貴公子さんの声に押されるように登る。



登りついた小広いピークが450.8mの4等三角点を持つ「牛の子山」である(地図には記名なし)。変わった名前だが、この辺の山に詳しい「やまあそ」氏はホームページで『この山が牛頭天王を祭神とする八坂神社からみて子(北)に位置するからでは」と推論されている。
 ともあれ、今朝から初めて腰を下ろしてランチタイムとなる。食事を終える頃、賑やかな話し声がしてかなり大きい二つのパーティが登ってきた。そのうち、やまゆき会のMさんとは一緒に山行したことのある顔馴染みである。彼らはちょうどわれわれとは逆回りで、同じコースを歩くらしい。しばらく話して分かれる。最後の藪漕ぎで尾根を下り、先ほどの無名峠から東に下る道に出る。抉れた溝状の道からやや広い道になり、下から犬の鳴き声も聞こえるようになる。



右手が大きく開け、三草山が逆光に浮かび上がっている。



その右には今日歩いてきた稜線がつづく。クリ林を過ぎて最後のアルバイト。左手の広い斜面を登っていく。下りてきた山仕事の人に「どこへいく」と聞かれ、誰かが「チンジンさん」というと「なんやそれ」と不審顔をされた。「この上の山」というと「昔は年寄りを生き埋めにしたという伝説のあるとこや」と恐ろしいことを言った。しかし「気い付けて行きや」と優しい人だった。
 登りつくと林の中で何の変哲もないピーク。ただ古いタイヤがずらりと列を作って並んでいる。それも半端な数ではなく、薄暗い中でちょっと異様な感じがする。すぐに反対側に下山。



暗い植林帯を抜けると、民家の横を通って長谷川沿いの道に出た。対岸に朝の道が見える。三々五々、のんびりと駐車場所へ向かう。少し先で橋を渡り緩く登っていくと、驚いたことに対岸の道にはずらりと車の列ができている。大型の貸切バスも一台。山姿の人の他に、イチゴ狩りの袋をぶら下げた団体客も見える。車に帰り、挨拶を交わして解散。帰りも修ちゃんに上六まで乗せて貰った。ありがとうございました。

SRCグループでの山行は先週に続いて二度目だが、遅れがちながら何とか一緒に歩け通せた。若い仲間たちには、もどかしかったかも知れないが、私たちには収穫の多い楽しい山行だった。やはり歳には勝てない。なるべく迷惑を掛けないようにヨチヨチ付いていきたい。

*この項を書くにあたって、表記のない写真は全て若い山友達である「たらちゃん」の撮影したものを使わせて頂きました。また、「やまあそ」さんのホームページ「山で遊ぼっ」から多大の示唆を受けました。心よりお礼申し上げます。*