ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

実のある三姉妹(2011.11.17)

2011-11-17 11:36:19 | 我が家の歳時記

花は目立たないけど、この季節になると淋しい庭に華やかな彩りを添えてくれる三姉妹です。

ナンテン
『南天の実太し鳥の嘴に』 高浜虚子

センリョウ
『千両ややや退きし塀の影』 桑原寸南帆

マンリョウ
『座について庭の万両憑きにけり』 阿波野青畝

千両は「せんりょう科」、万両は「やぶこうじ科」で科が違います。
小鳥は千両の実の方が好きです。「万両の実は葉の下に隠れてて、鳥が見つけ難いんや」(♀ペン)VS「降りてきたら見えるわい。きっと千両の方が旨いんやで」(変愚院)


紅葉はまだか(2011.11.16)

2011-11-16 18:06:36 | 今日の大和民俗公園

二、三日ごとに寒暖が繰り返えされる今年の気候です。今日は朝は冷え込みましたが、次第に暖かくなってきました。

民家群のドウダンツツジは赤くなりましたが…

カエデはまだ色づき始めたばかりです。

真っ青な空に柿の実が美しいコントラストを見せています。

皇帝ダリアも満開になりました。

サクラの葉の赤と青い空。一つ残ったカリンの実を入れて撮りました。


信貴山の紅葉と虎

2011-11-16 07:00:00 | 旅日記

山門をくぐると大寅に迎えられて朝護孫寺の参道に入ります。

本堂の回廊から見た境内の紅葉。例年よりだいぶ遅いようです。

雄岳山頂・空鉢堂からの展望。葛城山も見えない曇り空の下、柿の木が目立ちました。

高安山へ往復しての帰り。千手院のお砂踏み。寅の口に入ります。

左は「なでウサギ」、右は「なでトラ」。来年こそ和田タイガースで優勝しますように…。

境内に数あるトラの中で、変愚院の好きな赤門近くのトラ。大勢の仔トラを引き連れています。 

仁王門を出て、いつもの「曽我の家」さんへ。窓ガラスに向かいの千体地蔵さんが写っています。

このトラの顔が好きで、食べるのが惜しいくらいです。


信貴山から高安山往復(2011.11.14)

2011-11-15 09:40:49 | 山日記

【登山日】2011年11月14日
【コースタイム】 信貴山駐車場09:23…信貴山朝孫寺…信貴山頂09:50~10:00…高安城倉庫群址10:30…高安山(487.4m)10:43~10:45…高安城址10:50~11:15…信貴山城址11:50…信貴山駐車場12:20

去年、仙台のciao66さんと登って、もう1年になる信貴山。♀ペンと来るのは3年ぶりだ。9時を過ぎたばかりなので駐車場に車は少なく、境内のお堂や宿坊もまだ掃除をされているところが多かった。本堂にお参りして回廊から見ると、まだ紅葉は始まったばかりのようだった。08年に来た時と3日しか違わないのに、今年はだいぶ遅いようだ。

虚空蔵堂から多宝塔の下を通って山頂の空鉢護法堂への道に入る。各地から寄進された赤い鳥居が並ぶ道を登っていくと、階段わきに「月参五拾年記念」の石柱があった。毎月欠かさず50年も登り続ける人の、信仰の篤さに驚く。また、別の場所(千手院近く)だが「信貴」の名前の方の寄進玉垣石を見る。これも親御さんの信仰を示すものだろう。そんなことを考えながら十数分登り続けて、汗ばんでくる頃に雄岳山頂(437m)の空鉢堂に着いた。今日は残念ながら霞がかかったような天気で展望はよくなく、葛城山も見えない。空鉢堂にお参りし、お堂の周囲を巡ると、竜神を祀った社がいくつもある。これは信貴山の祭神・毘沙門天がときに龍の姿で顕われるからだ。

最高点は神域内にあるはずだが、少し下った信貴山城跡に山名札がたくさんぶら下がっていた。
ここは天正5年、松永久長が織田信長の大軍を相手に50日にわたる籠城戦を繰り広げたところである。この下で奥ノ院への道に入り、少し急坂を下って左へ雄岳を捲くように行く。イノシシの掘り起こした跡が続く落ち葉の道で、誰にも出会わないので少し気味悪い。更に少し急な下りがあり、左へ毘沙門滝を経て山門への道が分岐する。「帰りは今の登り返しがあっても、元の道を帰ろう」と雌ペン。08年に通った滝周辺の感じが、荒れていて心霊スポットのようで不気味で嫌だそうだ。しばらく平坦な道を行き、大きく左にカーブして粘土質の急な登りになる。ここで初めて単独の男性に出会う。短い登りが終わり、足元にササが出てくると右手に「すぐ高安城倉庫群址」を示す分岐があった。

日本書紀に出てくる高安城の城は「シロ」ではなく「キ」と読む。白村江の戦で敗れた天智天皇が唐・新羅軍の来攻に備えて全国に築かせた防衛のための砦の一つが「倭国の高安城」である。ここは1958年に発見され、礎石は倉庫の址と言われたが、調査の結果、年代的に少し後のものと分かり確証はないようだ。

矢田丘陵が正面に見える展望地だが、今日は展望もなく、おまけに心無いハイカーの捨てたゴミで腰を下ろす気にもならず、すぐに引き返す。間もなく信貴生駒スカイラインに出会い、横断して向かいの斜面を登る。十三峠からの道と交わるT字路脇の電柱に「高安山→」「すぐ頂上」と大きく書かれている。前にはなかった山頂への踏跡は、急だがレンガを埋めて階段状にしたり歩きやすい。

サザンカの花が散り敷く林の中を少し登ると、見覚えのある三角点(487.4m)である。ここも食事をする雰囲気ではないので、写真だけ撮ってすぐに出発。前に何度か歩いたことのある車道の上の道を行くと、車道に下りてすぐ「高安山気象レーダー観測所」の前に出た。横の小さな空き地が「高安城址」の一部らしく、石碑の案内があった。ここにも「城域は高安山から信貴山にかけての山地に広がる」とあり、はっきりした位置は確定できないようだ。レーダーの建物を右に下ると、西信貴ケーブル高安駅にでる。

空き地の奥に高みへ登る踏み跡があり、気になるので少し登ると雑木林の中にこんな場所があった。石に「485.9M」の文字が見えるが標点はない。近くの木に古びた「高安山」の標識が下がっていた。国土地理院地図にも表示がないので、前はこことされていたものが現在の位置に移されたのかも知れない。矢田山に地図上の三角点と、「まほろば展望所」横の最高点があるのと似ている。487.4m三角点には何度か登っているが、ここへは初めてきた。「どんな山でも来る度に何か新しい発見があるね」と♀ペン。

観測所の横でチーズケーキとコーヒーで軽いランチをとっていると、ケーブル駅から男女3人のハイカーが登ってきた。三角点の手前でこの人たちと別れ、元の道を帰る。途中で女性2人組に二度であった。帰りは早く、山門への分岐からの登りも大したことなく信貴山城跡にでる。

歴史を感じる二つ(三つ?)の山頂と山城巡りをすませ、鳥居の道を下る。期待した紅葉には少し早かったが、爽快な気分で半日の山歩きを終えることができた。


変愚院の山日記 (7.宝剣岳、木曽駒ヶ岳)

2011-11-13 07:00:00 | 山日記

*息子は小学6年生の時、変愚院の友人たちと鏡平~双六~槍と縦走し、特に岩場では大人に負けない登りっぷりを見せました。しかし、中学に入るとサッカーに熱中します。二人ともそろそろ親離れの年頃、それでも変愚院がリーダーをしていた自治会同好会の毎月例会への参加や、夏休みの家族山行はまだ続いていました。1981年には比良へテント泊で行ったりしています。一方、義父母と初めて山に行ったのは1979年(昭和54)の北八ツ縦走でした。すっかり山の魅力のとりこになった父母とはその後、二上山や大台ケ原山に一緒に行っています。1982年、長女は高校、長男は中学のそれぞれ2年生になりました。この年の夏は、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、それに叔父さんと私たち親子の7人で、木曽駒ヶ岳に登ります。*

1982.7.23~24     木曾駒ヶ岳   

  

今年は梅雨がまだ明けず天候が心配。鈴鹿のあたりでバラバラときたが、すぐ上がり、薄曇りの駒ヶ根高原へ着く。ここへ車を置き、ちょっと遅目の昼食をして、バス、ロープと乗り継ぎ、千畳敷へ。

 山荘に荷を置き、カメラだけを持って極楽平へ向かう。お花畑は今が盛りでシナノキンパイ、ミヤマキンポウゲ、イワカガミ、ヨツパノシオガマ、クロユリ、珍しく稜線ではコマウスユキソウ。美穂が朝から調子が悪いので、クローズアップレンズで花を撮ったりしながら、ゆっくり登る。

極楽平では稜線の西側はガス。しかし、しばらくもちそうな上、明日の天候の方が心配なので宝剣へ向かう。ガスで岩峰群がより勇壮に見える。

鎖場で、多少時間がかかったが無事、頂上に立ち、乗越浄土を経て山荘に帰る。なかなかのご馳走の上に個室にも入れ、満足して寝る。

24日。薄曇り。行けるところまで行こうと、乗越浄土目指し登る。美穂が調子悪く、ジグザグの登りで岳志との差、30分以上。

天狗岳の写真撮り、中岳へ。ここで高校生の団体に追付く。

駒本峰の上からは、思いがけず大展望に恵まれる。御岳、北ア、八ツ、南ア、遠く富士、更に昨日見えなかった空木、南駒、三の沢岳も。みつ豆の缶を開け、少憩後、馬の背へ向かう。気持ちのいい庭園のような道。しかしガスがかかり、濃ヶ池への下りにかかる頃より雨。

ここから、ゆるい登り道の途中、大きな残雪を横切ったり、オコジョに会ったり、(私は見なかったが、和が見付け、義父母は二、三回顔を出したのを見たという)しながら、駒飼池へ。

 さらに一登りで浄土乗越へ帰り着く。美穂が登って来るのを持ちながら、コーヒー、スープを沸かす。ここからは朝、登って来た道。小雨のなか、さすが日曜日だけに、割合いに混雑していた。しかし、幸いにロープもバスも持ち時間ゼロ。ロープウェ-の駅で「千畳敷からの宝剣岳」のジグゾーパズルを土産に買って帰る。
 雨の中を走って、蓼科温泉へ。ホテル親湯で宿泊。

翌25日、降り続く中、霧ヶ峰へ。ニッコウキスゲ満開。ただし、強風と霧ション。強清水へ下り、塩尻峠を経て、19号線に入る。木曾福島で関所そばを喰い、増水の寝覚の床を初めて河原から見て、一の宮で道に迷ったりしながら、雨の名阪を走り、夜9時になってようやく帰宅。さすがに疲れた。


変愚院の山日記 (6.家族で穂高へ)

2011-11-11 07:00:00 | 山日記

*子供を♀ペンの実家に預けての山行は、1972年夏の穂高のあと、73年は蓮華温泉から白馬~朝日岳へ縦走、帰りがけに富山駅で思い立って立山三山にも登ってきました。74年は新穂高温泉から雨の鏡平、笠ヶ岳へ。そして、1975年、子供たちも北アルプスへ足を踏み入れることになります。この夏は同じ町内の三家族が一緒でした。私たちが大和郡山へ転居したのは1969年の10月。いわゆる新興住宅地に同じ頃に家を建てたもの同士で、近所付き合いは親密でした。特にこの3家族は子供が同じ学年だったこともあって、自治会のハイキング同好会はじめ、諸行事でもよく一緒に行動していました。*

西穂高岳

8.22 初めての3家族合同、 11名での山行。三回の事前打ち合わせ、周到な準備を経て、いよいよ出発。台風接近の影響で朝より雨。列車の中で紙マージャンをしたり、バスで居眠りしたりしながら新穂高着。新築の笠山荘はホテル並みの設備で、ゆっくり温泉に浸かる。夜、激しい雨。

自宅7:10  東生駒7:36  7:48西大寺8:10   8:50京都9:05   9:55名古屋10:25  13:58高山14:30      新穂高温泉16:35

8.23  朝、台風は神戸に上陸。風雨は次第に激しさを増す。停滞と決め、朝風呂に入ったり、ゲームをしたり、紙雀をしたり。午後、岳志7才の誕生日。スコッチケーキとゼンザイで祝う。奥さん達が、ポスターの紙で飾りを作ってくださり、子供たちからはプレゼントを貫い、全員でゲームをしたりして楽しく過ごす。夜になるも雨止まず、心配で目覚めがち。3時頃、外を見ると満天の星空である。

8 24 快晴!早々に朝食を済ませロープゥェイに乗る。千石平は正面に笠ヶ岳を仰ぎ、槍、穂、焼、遠く白山と眺望の良い園地となっている。

写真を撮り合った後、森林帯の中をゆっくり登る。割合近くに西穂の小屋が見えると思ったら、2ピッチで思いがけず早く到着(約1時間)。小屋に大きい荷を置き、身軽になって西穂へ。

子供たちが元気に登るので、最初の目標としていた独標では軽い食事をして、頂上へ。正午を過ぎるとガスが湧いてきて、視界が悪くなる。雷鳥を見付けたりしながら、鎖場もガラ場も快調に突破して、ピラミッドなど三つ四つの岩峰を上下し、いよいよ頂上。

ガスで槍、奥穂は見えず。釣尾根と前穂、明神、それに霞沢岳の眺めが美しい。奥穂が見えるのを待ちながら、コーヒーを沸かし2度目の食事。頂上に約1時間いて下山。

独標まで帰る頃ようやくガスも晴れ、双眼鏡で奥穂頂上のケルンを確認する。上高地の赤い屋根が美しい。小屋へ帰ると、早や夕食が待っていた。



ロープ駅  8:20  ロープ終点8:35~9:00  西穂山荘10:05~50   独標12:15~30
西穂山頂14:00~15:15         西穂山荘18:00

8.25 5時起床。10分ほど登った台地へご来光を見に行く。見事な雲海に白山と乗鞍が頭を出し、美しい。残念ながら穂高の影になり、ご来光は見えず。流石に風が冷たい。朝食を済ませ、ゆっくり上高地へ下山。河童橋は相変わらずの賑わい。

子供たちは皆、穂高を見上げて「よく、あんな高いところへ登れた。」と感動する。自然公園でしばらく見学。バスターミナルで無事下山を祝ってビールで乾杯。タクシーで松本へ。列車の時間を間違えて、飯を食っている内に発車時刻が過ぎてしまい大慌てしたが、30分延着してきたので危うく乗り込むことができる。超満員のデッキはサウナのようで、名古屋までずいぶん長く感じた。

この山行、気の合った家族同士で大人も子供もお互いに友達がいて、ずいぶん楽しく過ごせた。また一緒に行きたいものだ。  山荘発6:45  上高地9:15~11:30 13:00 松本14:52==18:20名古屋

*この三家族での山行は、その後も木曽御嶽、白馬岳、燕~常念~蝶ヶ岳など、奈良の山での日帰りや一泊はかなりの数に登りましたが、一家族が転出したり、子供たちがそれぞれ別の学校に進んだりで自然に消滅しました。*


矢田山・遍路道

2011-11-10 07:00:00 | 矢田だより

曇り空の矢田山へ。今日は紅葉の様子を見がてら「へんろ道」から登りました。

この辺りから、数年前に「へんろみち保存会」の方が植えられたカエデの並木道が始まります。
今年はまだ紅葉には早いようです。

急坂を上って「十徳小屋」へ。右は薬師如来です。

 近くに咲いていたヤクシソウ。この花の名前は葉が薬師如来の光背に似ていることから付いたそうです。

この時期に珍しいスミレが咲いていました。

満米上人の石像がある遍路道の最高所が近くなりました。この辺りの紅葉が一番進んでいます。

クサギの花が咲いていました。大和盆地の向こうに若草山から三輪山に続く東の山々が見えます。

少し先で遍路道を離れ、縦走路にでて矢田山最高所に登ってきました。

最高所近くにツツジが咲いていました。この花も季節を間違えたようです。

元の分岐に帰って残りの遍路道を下り矢田寺に帰りました。ここも知る人ぞ知る紅葉の美しいところです。
スタートから1時間40分、適度なアップダウンで、いいトレーニングになりました。


山茶花始開

2011-11-09 08:33:07 | 我が家の歳時記

(2011.11.09) 
七二候日本版ではこの時期(11月8~12日頃)は「山茶花始めて開く」候だそうです。

わが家では少し前からボツボツ咲いています。

遅れていた小菊の花も開き始めました。

まったく世話をせずに放りっぱなしでも、毎年咲いてくれます。

庭の隅でひっそり咲いているツワブキの花。

ベゴニアはそろそろ暖かいところへ移さなければ…。


きょうから冬

2011-11-08 11:27:26 | 今日の大和民俗公園

(2011.11.08) 立冬

暦の上では今日から冬。朝はやや冷え込みましたが、歩くのにちょうどよい気温です。

美しく紅葉したヤマハゼ

ドウダンツツジの向こうに民家群の白い壁が覗いています。

昨日の朝は数輪しか見えなかった皇帝ダリアの花の数がだいぶ増えました。
花の少ないこの季節に、これから一ヶ月にわたって楽しませてくれることでしょう。

ン?「春の花」の筈のホトケノザです。公園のあちこちで群落を作って咲いています。
この花も季節を間違ったのでしょうか?


変愚院の山日記 (5.雨の穂高)

2011-11-08 07:00:00 | 山日記

*1972年、結婚して8年が経ち、長女は小学生、長男は4歳になりました。

家族の登山では前年(1971)11月に二上神社口から二上山に登り、当麻寺へ下っています。これが息子の山初デヴューでした。親父は相変わらずせっせと冬はスキー、春夏は山と遊びまくり。この年も5月に雪の木曽御嶽、7月に山岳会の合宿で大日岳から剣へ縦走。家族サービスでは大台ヶ原のバンガローで一泊。東大台を周遊。大蛇も覗いています。ただ♀ペンがしばらく大きな山から遠ざかっているので、子供たちを実家に預けて…*  

1972.8. 23~28  穂高と乗鞍

二人で大きな山行をするのは初めてで、ずいぶん前から楽しみにしていた。

23日。小屋素泊りの予定なので、アタックザックに和は食料、僕は装備をそれぞれ一杯に詰め込んで家を出る。アルプス特急という名のバスに乗るために、京都駅であまり時間もなく大騒ぎする。それなのに名古屋の名鉄バスセンターで2時間待ちでうんざり。駅前で旨い寿司を喰う。ここから乗り換えなしで、うとうとしているうちに大正池着。吊尾根にガスがかかっていたが、まあまあの天気。

24日。寝ぼけ眼で登山者カードに記入し、上高地発。明神手前の水たまりでカモが4羽、潜っては泥をさらって何か食べていた。半分居眠りしながら明神池を過ぎ、徳沢まで快調に来てやっと目が覚めた。ただし、バスで寝違えてか右の腿が痛んできた。シーズンも終わりに近く、人気の少ない静かな山道を味わうようにゆっくり歩く。

横尾手前の黒沢出合でミツマメカンヅメとユデタマゴの実に簡単な朝食。本谷出合ではパンと熱いコーヒー
の早めの昼食。ここから和とダベリながら快調だったが、涸沢小屋が見えてから例によって荷はこたえるし、一寸苦しかった。小屋の売店で和は青リンゴ、僕は缶ビールを買う。小屋はがら空きで非常に寒く、ありたけのものを着て震える。夕方からはストーブが焚かれる。夜は小屋番と涸沢貴族(嫌な奴だった!)の話を聞く。
<タイム>上高地5:30~45  明神池6:30~45  徳沢7:25~40  横尾9:00~20 本谷橋10:35~11:45  涸沢13:35

25日。涸沢ヒュッテに別れを告げて、南稜を上る。前に慎ちゃん(註.当時大学生の義弟)と登ったときに比べ
ると6 kgも痩せたのでずっと楽だ。北尾根をバックに写真を撮ったりしながら、のんびり登る。名も知らぬ高山植物に激しい登りを慰められながら、和は非常に快調で、私のピッチが遅いからと先に立つ。

 北穂頂上はガスに包まれて、槍の穂もすぐ見えなくなった。コーヒーを沸かし昼食。ここからの岩稜は、初めての和にはちょっときつかったようだ。

途中、最低コル付近で3羽の雷鳥を見る。滝谷側からガスが吹き上げてきて、肌寒い。涸沢岳でしばらく休み、山荘に着きハニーレモンを沸かす。昨夜一緒だった東京のTさんと同じ部屋に入る。夕方、外で食事して後片付けしているとき、ジャンが見えた。山荘の前は広くなり、大きな石のテーブルまでおいてある。
<タイム>涸沢ヒュッテ6:55 北穂高岳10:05~11:05 涸沢岳13:55~14:10  穂高岳山荘 14:25

26日。目を覚ますとかなりの雨。奥穂から前穂、岳沢の予定を諦めて、風雨のザイテングラードを下山。ポンチョがめくれ上がって、歩きづらいことおびただしい。雨具は、こんな時やはり、セパレーツに帰ったほうがよい。ほとんど休まずに歩き続ける。横尾で缶ビールを立ち飲みして元気をつけて、また歩く。明神で熱いウドンを喰い、びしょ濡れで上高地へ。
 博物館を見て、バスで平湯へ。雨、止まず。予約しておいた民宿「うちかた」へ入り、温泉で汗を流す。夕食後、和、悪寒激しく苦しむ。コッヘルに冷水を汲んできて冷やす。私は体中痛むし散々である。
<タイム>穂高岳山荘5:50 涸沢8:10~15   本谷橋9:20~30  横尾10:30~40 徳 沢11:20~30 明神12:30~13:00 上高地13:35~15:00=平湯16:20

27日。夜明けまで雨の音がしていたが、7時頃、急に青空が広がり、笠ヶ岳が宿の窓から見えた。宿の人の勧めもあり、和も良くなったので9時発のバスで乗鞍へ。ガイドの兄ちゃんは、本年最後のバスが年に一度の快晴だと、一人で感激していた。なるほどバスが登るにつれて、槍、穂高、笠、中ア、白山と視界が拡がり、雲海も見え、絶好の展望。

畳平より剣ヶ峰へ向かう。和は苦しそうで時々立ち止まる。なだめたり、すかしたりしながら頂上へ。御岳や富士は見えなかったが、青空の下、太陽を浴びて久しぶりにすかっとした。頂上の神社で御守りを買う。コロナ観測所のドームが美しい点景である。

帰路はクマの仔のいる平湯峠で山菜ソバを喰い、ヒッチハイクで平湯へ帰り、平湯民族館を見に行く。「うちかた」で2泊目。

28日。一番バスで高山へ。駅前に荷物を預け市内観光バスに乗る。僕は3年ぶり三度目、和は始めて。照蓮寺の尼さんは、やはり話上手。日下部民族館は塩焼きセンベイがやはり旨い。民俗村では前に行かなかった山岳博物館を見る。駅前で昼飯を喰い、14:41の列車で小京都の町をあとに京都に向かう。