*息子は小学6年生の時、変愚院の友人たちと鏡平~双六~槍と縦走し、特に岩場では大人に負けない登りっぷりを見せました。しかし、中学に入るとサッカーに熱中します。二人ともそろそろ親離れの年頃、それでも変愚院がリーダーをしていた自治会同好会の毎月例会への参加や、夏休みの家族山行はまだ続いていました。1981年には比良へテント泊で行ったりしています。一方、義父母と初めて山に行ったのは1979年(昭和54)の北八ツ縦走でした。すっかり山の魅力のとりこになった父母とはその後、二上山や大台ケ原山に一緒に行っています。1982年、長女は高校、長男は中学のそれぞれ2年生になりました。この年の夏は、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、それに叔父さんと私たち親子の7人で、木曽駒ヶ岳に登ります。*
1982.7.23~24 木曾駒ヶ岳
今年は梅雨がまだ明けず天候が心配。鈴鹿のあたりでバラバラときたが、すぐ上がり、薄曇りの駒ヶ根高原へ着く。ここへ車を置き、ちょっと遅目の昼食をして、バス、ロープと乗り継ぎ、千畳敷へ。
山荘に荷を置き、カメラだけを持って極楽平へ向かう。お花畑は今が盛りでシナノキンパイ、ミヤマキンポウゲ、イワカガミ、ヨツパノシオガマ、クロユリ、珍しく稜線ではコマウスユキソウ。美穂が朝から調子が悪いので、クローズアップレンズで花を撮ったりしながら、ゆっくり登る。
極楽平では稜線の西側はガス。しかし、しばらくもちそうな上、明日の天候の方が心配なので宝剣へ向かう。ガスで岩峰群がより勇壮に見える。
鎖場で、多少時間がかかったが無事、頂上に立ち、乗越浄土を経て山荘に帰る。なかなかのご馳走の上に個室にも入れ、満足して寝る。
24日。薄曇り。行けるところまで行こうと、乗越浄土目指し登る。美穂が調子悪く、ジグザグの登りで岳志との差、30分以上。
天狗岳の写真撮り、中岳へ。ここで高校生の団体に追付く。
駒本峰の上からは、思いがけず大展望に恵まれる。御岳、北ア、八ツ、南ア、遠く富士、更に昨日見えなかった空木、南駒、三の沢岳も。みつ豆の缶を開け、少憩後、馬の背へ向かう。気持ちのいい庭園のような道。しかしガスがかかり、濃ヶ池への下りにかかる頃より雨。
ここから、ゆるい登り道の途中、大きな残雪を横切ったり、オコジョに会ったり、(私は見なかったが、和が見付け、義父母は二、三回顔を出したのを見たという)しながら、駒飼池へ。
さらに一登りで浄土乗越へ帰り着く。美穂が登って来るのを持ちながら、コーヒー、スープを沸かす。ここからは朝、登って来た道。小雨のなか、さすが日曜日だけに、割合いに混雑していた。しかし、幸いにロープもバスも持ち時間ゼロ。ロープウェ-の駅で「千畳敷からの宝剣岳」のジグゾーパズルを土産に買って帰る。
雨の中を走って、蓼科温泉へ。ホテル親湯で宿泊。
翌25日、降り続く中、霧ヶ峰へ。ニッコウキスゲ満開。ただし、強風と霧ション。強清水へ下り、塩尻峠を経て、19号線に入る。木曾福島で関所そばを喰い、増水の寝覚の床を初めて河原から見て、一の宮で道に迷ったりしながら、雨の名阪を走り、夜9時になってようやく帰宅。さすがに疲れた。
御心配事にも成りかねず。山のでの遭難事故は親不孝ですもの。
息子は途中から山に興味を失くしましたが、親の血を引いたのか
高校生の時は鉄ちゃんで全線乗りつぶし、大学に入るとシベリア横断鉄道、アマゾン下りなど
旅行会社に就職したかと思うと、すぐに辞めて3年半の海外放浪…
♀ペンも私もさんざん心配させられました。
まあ、今は無事にサラリーマンやってますが。
昨日は奇しくも私のいとこの子供
(小学6年生の男の子)の
山デビューでした。
私がむりやり誘ったのではなく
自分から連れて行ってということで
たいへんうれしかったです。
将来山に興味がなくなっても
ああ、あのときおじちゃんと山に
登ったなあと
私の葬儀に場で思い出してくれたら
いいかなと思ってます。(^_^;)
明日は寒くなるようです。
高い山も雪化粧するでしょうね。
山日記、楽しみに拝読しています。
まさに、変愚院家の歴史ですね。
これからも楽しみにしています
山デビューを飾るのにふさわしい良いお天気でしたね。
大人でも最初の山で悪天候だったりすると嫌な印象だけが残りますもんね。
うちの松本の孫も来年は小学6年で、富士山へ連れて行けと言ってくれております。
古い山日記、いつもご覧いただきありがとうございます。
実は、BLOGのネタがない時の埋め草のつもりだったのですが、
自分でも忘れていたことが出てきたり、写真の整理にもなっています。
これからも、よろしくお願いします。