ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

変愚院の山日記 (6.家族で穂高へ)

2011-11-11 07:00:00 | 山日記

*子供を♀ペンの実家に預けての山行は、1972年夏の穂高のあと、73年は蓮華温泉から白馬~朝日岳へ縦走、帰りがけに富山駅で思い立って立山三山にも登ってきました。74年は新穂高温泉から雨の鏡平、笠ヶ岳へ。そして、1975年、子供たちも北アルプスへ足を踏み入れることになります。この夏は同じ町内の三家族が一緒でした。私たちが大和郡山へ転居したのは1969年の10月。いわゆる新興住宅地に同じ頃に家を建てたもの同士で、近所付き合いは親密でした。特にこの3家族は子供が同じ学年だったこともあって、自治会のハイキング同好会はじめ、諸行事でもよく一緒に行動していました。*

西穂高岳

8.22 初めての3家族合同、 11名での山行。三回の事前打ち合わせ、周到な準備を経て、いよいよ出発。台風接近の影響で朝より雨。列車の中で紙マージャンをしたり、バスで居眠りしたりしながら新穂高着。新築の笠山荘はホテル並みの設備で、ゆっくり温泉に浸かる。夜、激しい雨。

自宅7:10  東生駒7:36  7:48西大寺8:10   8:50京都9:05   9:55名古屋10:25  13:58高山14:30      新穂高温泉16:35

8.23  朝、台風は神戸に上陸。風雨は次第に激しさを増す。停滞と決め、朝風呂に入ったり、ゲームをしたり、紙雀をしたり。午後、岳志7才の誕生日。スコッチケーキとゼンザイで祝う。奥さん達が、ポスターの紙で飾りを作ってくださり、子供たちからはプレゼントを貫い、全員でゲームをしたりして楽しく過ごす。夜になるも雨止まず、心配で目覚めがち。3時頃、外を見ると満天の星空である。

8 24 快晴!早々に朝食を済ませロープゥェイに乗る。千石平は正面に笠ヶ岳を仰ぎ、槍、穂、焼、遠く白山と眺望の良い園地となっている。

写真を撮り合った後、森林帯の中をゆっくり登る。割合近くに西穂の小屋が見えると思ったら、2ピッチで思いがけず早く到着(約1時間)。小屋に大きい荷を置き、身軽になって西穂へ。

子供たちが元気に登るので、最初の目標としていた独標では軽い食事をして、頂上へ。正午を過ぎるとガスが湧いてきて、視界が悪くなる。雷鳥を見付けたりしながら、鎖場もガラ場も快調に突破して、ピラミッドなど三つ四つの岩峰を上下し、いよいよ頂上。

ガスで槍、奥穂は見えず。釣尾根と前穂、明神、それに霞沢岳の眺めが美しい。奥穂が見えるのを待ちながら、コーヒーを沸かし2度目の食事。頂上に約1時間いて下山。

独標まで帰る頃ようやくガスも晴れ、双眼鏡で奥穂頂上のケルンを確認する。上高地の赤い屋根が美しい。小屋へ帰ると、早や夕食が待っていた。



ロープ駅  8:20  ロープ終点8:35~9:00  西穂山荘10:05~50   独標12:15~30
西穂山頂14:00~15:15         西穂山荘18:00

8.25 5時起床。10分ほど登った台地へご来光を見に行く。見事な雲海に白山と乗鞍が頭を出し、美しい。残念ながら穂高の影になり、ご来光は見えず。流石に風が冷たい。朝食を済ませ、ゆっくり上高地へ下山。河童橋は相変わらずの賑わい。

子供たちは皆、穂高を見上げて「よく、あんな高いところへ登れた。」と感動する。自然公園でしばらく見学。バスターミナルで無事下山を祝ってビールで乾杯。タクシーで松本へ。列車の時間を間違えて、飯を食っている内に発車時刻が過ぎてしまい大慌てしたが、30分延着してきたので危うく乗り込むことができる。超満員のデッキはサウナのようで、名古屋までずいぶん長く感じた。

この山行、気の合った家族同士で大人も子供もお互いに友達がいて、ずいぶん楽しく過ごせた。また一緒に行きたいものだ。  山荘発6:45  上高地9:15~11:30 13:00 松本14:52==18:20名古屋

*この三家族での山行は、その後も木曽御嶽、白馬岳、燕~常念~蝶ヶ岳など、奈良の山での日帰りや一泊はかなりの数に登りましたが、一家族が転出したり、子供たちがそれぞれ別の学校に進んだりで自然に消滅しました。*