ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

こちらは早起き?(2011.11.01)

2011-11-01 10:33:54 | 花日記

椿の花が一輪、幹の下の方で重そうに首を垂れて咲いています。
他は蕾で、まだ固いのに…この子は本当に早起きです。

これはコリウスの花。
観葉植物なので花柄を摘んでいたのですが、いつの間にか健気にも可憐に咲いていました。


まだ眠らない…(2011.11.01)

2011-11-01 08:34:14 | 花日記

11月になりました。
すっかり秋も深まり冷え込んだ朝6時…♀ペンが新聞を取りに出ると、なんと月下美人が一輪、誰にも見て貰えないまま朝を迎え、淋しげに咲いていました。

すぐ家の中に入れてあげて撮った写真です。

これは6時45分撮影。
いつもなら朝には萎んでしまう花が、見て貰うのを待つように咲いていました。

この記事を書いている最中の8時43分に撮りました。
こんな時期に、しかもこんな朝遅い時間に咲いている花は珍しいです。今シーズン、たくさん咲いてくれた仲間たちを代表して、別れを告げてくれているのでしょうか>


変愚院の山日記 (2.大阪の富士山)

2011-11-01 06:52:10 | 山日記

**富士山は日本のシンボル。「○○銀座」と同じように各地に「○○富士」がありますが、全国ではどれほどの「富士」があるのか、コンサイス版「日本山名辞典」をもとに富士の名のつく山を探して、自分流の分類を試みたことがあります(1993.4.3)。<以下はその結果の一部要約>

1.旧国名・藩名に「富士」のつく山  蝦夷富士(羊蹄山)から薩摩富士(開門岳)まで30座

(註1.コンサイスでは見つからないが、その地方で富士とされている山がある。例.伊賀富士 2.日本百名山や日本名山図会に記載された山が多い 3.同じ山が隣り合わせた国で別の○○富士と呼ばれることがある。例.青葉山、大山 4.○○富士の他に山名を有しない山がある。例.尾張富士、伊予富士)

2.旧国・藩より狭い範囲の地名(または現在の件名など)に富士のついた山

 ア.他に山名持たない山、または○○富士の方が一般的な呼び名になっている山。(阿寒富士など)8座

 イ.別に山名を持つ山(秋田富士・鳥海山、知床富士・羅臼岳など)12座

 ウ.現在の山名に「富士」を付けても呼ぶ山(吾妻山・吾妻富士など)6座

3.小富士と呼ばれる山(安芸小富士、吾妻小富士、伊予小富士)3座

4.その他、富士または富士山のつく山

  「ふじやま」と呼ぶ山が5座。「とみすやま」と呼ぶ山。他に真富士山、第二真富士山、富士似岳、富士形山など23座がありました。

 

4の中で「小富士山」と呼ばれる山が、山梨県にある1,640m峰と福島県白河市に437mの山の2座が「山名辞典」で見つかりました。その後、大阪にも「小富士山」があることを知り、近所の仲間たちと登りました。以下はその時の山日記です。**  

 

泉南・小富士山と雨山 

 

 

【小富士山】泉佐野から犬鳴山に向かう府道脇にある。標高わずか260mだが名の通り美しい円錐型の独立峰で展望がよい。

【雨  山】「和泉名所図会」に「熊取荘にあり。円頂、秀麗にして、松檜森蔚(しんじょう)」たり。歳旱に及ぶときは、ここに雨を禱る也」と記されている。頂上に雨山竜王社を祀る。中世(14世紀中頃)には橋本正高により山城が築かれ、雨山城として和泉地方における南朝方の拠点となっていた。

【登 日】2001128日(日)曇一時小雨

【メンバー】千日山歩渉会8名【コースタイム】水呑地蔵9:05…小富士山<259.8m>9:3010:00(コーヒータイム)…水呑地蔵10:2010:30…新前川橋10:35…土丸城跡11:0511:10…雨山<312m>11:3012:25(昼食)13:15水呑地蔵

 

 予報は晴の筈が、もう一つパッとしない天気で、西名阪道は雨の中を走った。阪和自動車道を南下すると、三国山や南葛城山はうっすらと雪化粧している。上之郷ICを降りる頃には薄日が射して、なんとか雨も通過したようだ。水呑地蔵の駐車場に車を置かせていただく。

 

 

古い観音石仏を集めた横に鳥居があり、くぐると西国三十三カ所を模した参拝道が上に伸びている。一番下が三十三番、上に行くほど若い番号の新しい石仏が所々に立っておられる。つづら折れに続く急な石の階段を登っていくと、香華を替え終えた住職が降りてこられたので、雨山の登り口を訊ねて確かめる。中間に展望所を兼ねたお堂があり、さらに石段を登った奥の院で参詣道は終わる。横に赤テープ標識があり、ようやく山道に入る。急なジグザグ道を雨に湿った落ち葉を踏んで行くと、頂上北側の見晴らしのよいピークに出た。

 

 

二瀬川を挟んで、後で登る予定の雨山が見える。 

 

 

 

少し下ったコル状のところを登り返すと、花崗岩の露岩や小さい松の木が散らばる頂上である。

関西空港を見下ろし、大阪湾越しに淡路島や六甲の山並みも見える。反対側には稲倉池の向こうに泉南の山々が連なっている。記念撮影の後、すばらしい景色を眺めながら、和やかにコーヒータイムを楽しんだ。

 

  元の道を下り、境内で水を補給させて頂いて、雨山に向かう。交通量の多い県道62号を数分下ると新前川橋の信号。頭上高くを阪和自動車道が跨いでいる。橋を渡ってすぐ川の反対側を引き返す格好で歩く。雨山の西側山麓に沿った、しっとりしたよい道である。しばらく行くと、「雨山ハイキングコース」の小さい標識があった。ちょうど水呑地蔵の向かい側あたりの分岐で尾根に取り付き、土止めで整備されたジグザグ道を登る。阪和道の橋がみるみる低くなるとウバメガシやコナラの林を行くようになり、下草は緑のウラジロの群生である。

 

 

 

送電線鉄塔の下に出て振り返ると、さっき登った小富士山が正面に見えた。ここから勾配はやや緩くなり、小松が散在する箱庭状の露岩帯を登る。犬鳴山が見える。この会で登ったのはもう7年前のことになる。やがて小広い台地にでた。土山城の跡である。

 

「土山城由来」というブリキ板が地面に落ちていた。曰く「土山城は正平元年当市日根野町にいた豪族日根野氏によって築づかれたと考えられる。同三年、高師泰は吉野の行宮をおかすにあたって日根野時盛にこの城の警護を命じた。同八年楠木氏一族橋本正督が時盛をおってこの城に入り尾根続きの雨山になわ張りを拡げた。いわゆる雨山城である」橋本氏を祀る祠と顕彰碑が立っている。ここから一度急坂を下り、薄暗い林の中を登りかえす。こんな高い所に合戦に備えた井戸があった。月見亭や千畳敷などを示す標識があるが、帰りに寄ることにして頂上を目指す。

 

 

 頂上は林の中の広場で、一隅に石柱で囲まれた竜王社があり、その前に奇怪にねじれたような常緑の大木がある。社のぐるりを廻って探したが三角点は見あたらなかった。広場の反対側に立派な小屋があり、その裏手を一段下がった広場が絶好の展望台である。目の下に拡がる平野には大小の池が無数に散らばっている。かっては溜め池として農業に貴重な存在だったに違いないが、今はその周囲に市街地が伸びてきている。関西空港から飛び立つ機影と、臨空タウンを結ぶ空港橋が新しい景観を醸し出している。三つあるベンチに分かれて昼食の間に、3人連れのグループ、10人程のパーティが登ってきた。

 

 帰りに千畳敷まで来ると、陽が射しているのに霧のような雨が降り出した。月見亭に行く。露岩があり西側の展望がよい。戦の合間に月を仰いだ山城の武士達は何を想ったのだろうか?「狐の嫁入り」がシダを濡らしているが、日差しが暖かく感じる。土山城のあるピークは、こちらから見ると鋭い三角形である。来たときと同じ道を下って水呑地蔵に帰る。車で稲倉池の畔を走り、ゴルフ場の前まで往復した。南側から見る小富士山は山肌に露岩が多いが、整った山容である。雨山は意外に大きく、ようやく晴れ上がった青空に美しい稜線を見せていた。久しぶりに訪れた泉南の二つの山で、新しい景観とともに古い歴史を偲んだ楽しい一日だった。