ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

久々の大和民俗公園歩き(9月10日)

2009-09-10 21:05:28 | 矢田だより
急に秋らしく涼しくなった夕刻、本当に久しぶりに民俗公園を歩きました。



花菖蒲園は枯れたショウブがうら淋しく、サルスベリの花が秋の夕日を
浴びています。



棚に小さいヒョウタンがたくさんぶら下がっています。



この地面に腰を下ろした巨大ヒョウタンは、70~80㎝はゆうにある大きさです。



秋の空と高さを競うようなオレンジ色のコスモス



真っ赤なケイトウと白いケイトウ



ウメモドキの実がつややかに光っています。



ハギの花の後ろにスイフヨウ



この花たちとも、もうすぐお別れ。なんとなくもの淋しい秋の夕暮れでした。


タイの旅(14) -<バンコク・旅の終わり>

2009-09-10 07:50:42 | 旅日記
セントラル・ワールドを出ると…



前の広場で若者たちにフリー・マーケットが開かれていました。
ここへ着いたときは大きな袋や段ボール箱を持った大勢の若者が座り込んで
いて、何事かなと不審に思っていたのですが、謎が解けました。



手作りの装身具や人形などを並べた店が何列も並んでいて、仕事帰りや
学校帰りの人が詰め掛けて大変な賑わいです。
広場の両端ではロック・バンドの舞台も始まりました。



しかし、そのすぐ北側にはビルの前の祠に額づく人の姿が…



黄昏の街角に香煙がたなびきます。若い女性たちが熱心にお祈りしています。
タイの人たちの信心深さは想像以上です



この祠の中は、幸運と金運の神様「ガネーシャ」。
その前の若い女性は、もう何分間もじっと姿勢を崩さず祈り続けています。
どんな願い事をしているのでしょうか。



大通りの陸橋から見下ろした風景。
食べ物の露店も並び始め、仕事帰りの人が買い物を入れたビニール袋を手に
家路を急いでいます。
ピンク色の車はバンコクで一番良く見かけるタクシー。交通整理のお巡りさん
の姿も見えます。



陸橋の乗降口までお店がぎっしり。これは宝くじ売り。
「どの番号が当たりそうかな?」



右はチキン料理のお店。手前に蒸しトリ、中からは焼き鳥のいい匂いが…。
ホテルに帰ってグループ全員が揃い、バスで空港へ。



スワンナプーム空港で出国手続きを終えて、免税店が並ぶ長い長いホールを
散歩。前に来た時は、開港わずかに二日後でまだ戸が閉まっている店もあった
のですが、今は煌びやかな店が並んでいます。
その中央にあるヒンドゥー教の神話をモチーフにしたこのモニュメントは、
出国するときにしか見ることが出来ません。
ヴィシュヌ神が亀の背に乗せた大マンダラ山に大蛇ヴァースキをからませて、
神々がヴァースキの尾を、アスラ(阿修羅)が頭を持って綱引きさせることで、
海は掻き回されて乳になり、やがて秘薬が生まれるという…
アンコールワットでも見た「乳海撹拌」です。



こちらが神々。
ヴィシュヌ神は四本腕で、チャクラ(円盤状の投げる武器)などの武器と
蓮華を持っています。ついでですが、この神様の乗り物?がエメラルド宮殿
にいたガルーダです。



頭の側をもつアスラ。この立派な大蛇ヴァースキはインドやネパールでは
ナーガと呼ばれています。
この後、出発ロビーで最後のシンハを飲んだりして、ナーガい夜を過ごし、
日付の変わる寸前の23時55分、離陸。29日朝、無事関空に帰着しました。

短い旅でしたが、レポートはちょっとナーガめになってしまいました。
けれど、旅のまとめをすることで色々と勉強になりました。
これまであまり関心のなかったタイの歴史や宗教も少しは理解出来ました。
今度機会があれば、北部のチェンマイや最初の王都・スコータイにも
訪れてみたいと思っています。ナーガらくお読み頂きありがとうございました。

タイの旅(13) -バンコク<下町散歩>

2009-09-09 08:03:27 | 旅日記
2009年 08月 28日(土)
曇り。8時半朝食。一日、フリータイムですが、外は暑そうなので、
昼までのんびりベッドに寝転がってTVを見ていました。
13時、チェックアウト。荷物を預けて下町の散歩。



隣のホテルの横から南へ商店街を歩いてペップリー通りへ出て右に折れます。
大きなショッピングセンターの手前を入ったところに中国系の人々の居住地
があり、その一角に中国式のお廟がありました。



ペップリー通りには商店が並び、庶民の香りが一杯。この果物屋さんには
昨日食べた珍しい南国のフルーツがいっぱい。
真中の列は手前からカキ(これは日本と同じ)、ドラゴンフルーツ、テンモー
という西瓜、一段高い所に果物の王様・ドリアン、右側の茶色で袋に入って
いるのは竜眼です。



少し引き返して陸橋でペッブリー通を渡り、南へ歩いてセンセーブ運河を
渡ります。
あまり綺麗ではない運河ですが、水上バスも運行されています。右が船着場。



昨日も来たラーチャダムリ通りにでました。
大阪の堺筋を思わせる北行きの一方通行です。



大通りを陸橋で渡り少し南に歩くと、これも昨日来たセントラル・ワールド。
タイで一番大きいショッピングモールです。
写真は前の広場から南方を見たところです。ブルンチット通りを走る色鮮やかな
BTS(モノレール)が見えます。



このブルンチット通りまでがセントラル・ワールドです。南端まで歩いて
見ました。こちら側には「ZEN」が入っています。もともとはバンコクで
チェーン展開する日本料理店ですが、ここでは専門店の集合体のような店舗
形態です。



中に入ってみましょう。ZENの専門店街を抜けると、中央に吹き抜けの大ホール
があり、エスカレーターが各階を結んでいます。(右端はエレベーター)
ここから北側には伊勢丹が入っています。



7階は巨大スーパーマーケット。一角には回転寿司屋さんもありました。
残りのお土産を買ったり、レストランが並んでいろんな国の料理が食べられる
フロアの一店で夕食を済ませたり、ゆっくり時間をつぶして外に出ました。

タイの旅(12) -バンコク <王宮ほか>

2009-09-07 21:51:29 | 旅日記


王宮の敷地は、エメラルド宮殿も含めると面積は218,000平方メートルに
及び、四方は長さ1,900mの白壁に囲まれています。
様々な建物がありますが、これはチャクリー・マハー・プラサート殿。
ラーマ5世により建てられ、バンコク王朝100祭に完成したものです。
1782年、西岸から遷都して以来、ラマ9世までの歴代のチャクリー王は
ここに住んでいました。
現在はチットラダー宮殿に住まいを移し、ここは国家的な儀式の外交の場
として使われいます。



宮殿入り口で。




ビマンチャイシー門で警備する衛兵。ちょうど交代の儀式が行われています。
いったん位置につくと眉ひとつ動かさない、文字通り不動の姿勢を取ります。



門を出ると賑やかなバンコクの町で、日常空間に帰った気がします。



昼ご飯は飲茶食べ放題。北京ダック(右下)もありましたが、やはり
本場の味には敵わないと思いました。



モノレールが通るなどバンコクの新しい顔と、庶民の市場プラトーナムなど
古い顔が共存するラーチャダムリ通り。
巨大ショッピングモールのセントラル・ワールドで買い物をしたあと
バンコクで一番高いバイヨークスカイホテル(写真右奥)へ。



84階にある床が回転するようになっている展望台で市外の展望を楽しみました。



そのあと、展望を楽しみながらフルーツ・ビュッフェ。
マンゴーやランプータン、ジャックフルーツ、ドラゴンフルーツなど珍しい果物
やジュース、アイスクリームなどが食べ放題でしたが、♀ペンはドリアンの味が
気に入ったようでした。




免税店でショッピング・タイムのあと、タイ古典舞踊のディナーショー。
終わるころから、今日も激しいスコールに襲われました。



ホテルに帰る途中、雨が小止みになったのでナイト・バザールへ。
狭い通りにいろいろなお店がぎっしりと並んでいます。
お土産にタイのお香を求めました。

タイの旅(11) - バンコク <ワット・プラ・ケオ(エメラルド寺院)>

2009-09-07 17:30:43 | 旅日記


Wat Phra Kaeo
1782年、ラマ1世がバンコクに遷都したときに王朝の守護寺として、王宮に
接して建立した王室専用の寺院で、タイで唯一、僧侶のいないお寺です。
このお寺と王宮に入るには礼儀正しい服装が要求され、入り口でチェックが
行われます。
私たちのグループでも、短パン姿の男性やミニスカートの女性は、ガイドの
注意で前の露店でサロンを借りました。男子大学生が長いサロンを巻いて
いるのは珍妙な姿で、友達から冷やかされていました。



ワット・プラ・ケオの本堂。靴を脱いで回廊に登り、裏側入り口に来ました。
床は大理石で覆われ、真珠貝で覆われた美しい扉に登る階段の両側は、青銅
の獅子が守っています。



本堂の基盤は様々な色の玉石や貝殻で美しく飾られ、ヘビをもったガルーダ
がずらりと並んでいます。
反対側の正面入り口から本堂内部に入りました。
ご本尊のエメラルド仏は高さ66センチ、実際は緑色の翡翠で作られています。
1443年、落雷で崩壊したチェンライの仏塔で発見されて以来、さまざまな遍歴
の末にここに安置されました。
大勢の参拝人で近づけず、遠くからちらりと拝んだだけで本堂を出ました。
本堂内部は仏陀の生涯などの壁画でも有名なのですが、風が通らず人いきれ
で暑いので、早々に外に出ました。



本堂の回廊からは、これまで他の寺院でも見てきた三つの様式の塔が一列に
並んで見ることができます。
左の金色の塔はチェディ。インド起源でセイロン形式の仏塔です。
中央はモンドップ。純粋なタイ形式の階段ピラミッド状の仏堂で、長い尖塔
が伸びているのが特徴です。
右はプラーン。アンコールワットなどに見られるクメール形式がもとの形で、
先端が丸くトウモロコシに似た形です。



本堂向かい側にある上部テラスへ、階段を登って右手に回っていきます。



プラサート・プラテープ・ビドゥーン(ロイヤル・パンテオン)
十字型の建物にトウモロコシ型の塔をもつ王室専用のお堂で、ラマ1世から
ラマ8世までの彫像が安置されています。



入り口の両側に金色の塔が立ち、ガルーダ像が取り巻いています。



プラ・モンドップと呼ばれる、ピラミッド型に層を重ねる経堂。
中の厨子には三蔵経が納められています。
その右手(西側)の黄金色に輝く仏塔(チェディ)には仏舎利が
安置されています。



プラモンドップの北側にあるアンコールワットの模型。
実物を見たラマ4世が他の人にも見せたいと作ったものだけに…



見れば見るほど実物そっくりに、精巧にできています。



テラス下のウィハーン・ヨート。尖塔と破風が陶磁片で装飾されたお堂に
仏陀を祀っています。



ホー・プラナーク。王子や王女の遺灰をおさめた王室の霊廟。
キンナリという半鳥人が守護しています。

これで境内をほぼ一巡りして、次に王宮に向かいます。

タイの旅 (10) - バンコク <ワット・ポー(涅槃寺)>

2009-09-07 07:39:49 | 旅日記
チャオプラヤー川の東側が、タクシン王朝後に興った現チャクラー王朝の都、
バンコク(正式の名前は世界一長くて、まるで落語のジュゲムのよう)です。
母なる川と呼ばれるチャオプラヤー川の東岸と運河に囲まれた、防御に適した
地に王宮が置かれ、多くの寺院がこの周辺に集まっています。

先ほど車を降りたタイ・ワン通りにあるワット・ポーへ。

Wat Pho
1877年、ラマ1世創建のバンコクで一番古い歴史を持つ寺院です。



本堂に入ると、まずこの金色のお顔の大きさに驚かされます。
悟りを開き涅槃の境地に入ったお釈迦様の寝姿は「リクライニング・ブッダ」
の名で親しまれています。



高さ15m、全長46mのお姿は足元近くのここからでも、全容が撮れません。



コーナーを曲がると、お釈迦さんの足の裏です。



108の格子の中に須弥山や神々、動物などが真珠母貝の螺鈿細工で精巧に描かれ
バラモン教の宇宙観が表現されています。



ぐるっと背中の方を回って頭部の後ろに来ました。
黄金色に輝く螺髪と頭を支える台座です。



このお寺は古いだけでなく、境内の広さもバンコク一です。
このような塔頭がいくつもあって、一つ一つ見て回るにはとても時間が
足りません。



またここはラマ3世のときに東洋医学の学問寺となり、それ以来タイ・マッサージ
の総本山とされています。
写真は温泉での温浴療法を表す図。



身体のツボを表す図



境内至るところに、このような美しい彫刻や後ろに見える小仏塔、僧坊など
が散在しています。
時間が許せば、もっとゆっくり見学したいところでした。

タイの旅(9) -バンコク <ワット・アルン(暁の寺)>

2009-09-06 08:09:28 | 旅日記
Wat Aru
舟を下りて石段を登るとすぐ、ワット・アルンの入口です。
三島由紀夫の「暁の寺」(豊饒の海・第3巻)の主題として知られた寺院
で、タイの10バーツ硬貨の裏面デザインとして使われています。



アユタヤ王朝崩壊のあと、しばらく領主の乱立時代が続きました。
次にタイを統一したのはアユタヤ官吏出身のタクシンです。
アユタヤを奪還したタクシンは都を今のトンブリーに置き王となりました。
当時はオリーブの茂る原野に近かったそうです(ガイドの話)。
しかし武勇を誇った王が死ぬと、僅か15年でこの王朝は滅亡します。
ワット・アルンはタクシン王が第一王寺(守護寺)として創建したものですが、
今の形に整備されたのは、次のチャクリー王朝ラマ3世の時代です。
この新しい銅像は、その後一度焼けた本堂を再建したラマ5世(だと思います)、
頭の上に留まっているのは生きたトリです。



日本の観光地でもよく見かける、顔の部分に穴を空けた記念撮影用ボード。
下に「40バーツ」の小さい札があります。
料金を集めるオッサンはカモがかかると離れたところから飛んできます。
♀ペンは「地球の歩き方」で勉強してきたので、引っかかりませんでした。
(料金は10年で倍に値上がりしています)



この貸衣装ももちろん有料です。アンコールワットで一緒に撮したモデル
の衣装に似ていると思いましたが、仏像などから分かる通り、どちらも
ヒンドゥーの影響を受けているからでしょう。



中央の仏塔の高さは79m、周囲を四つの小塔とモントップ(四角い建物の上に
尖塔が立っている仏堂)が取り巻いています。



塔への入口を守る守護神。これは何故か中国風の顔つきです。



次の段まで登りました。左側に急勾配の階段を登る人が見えます。



モントップの横までもう少し登ってみます。



近くで見ると塔は色とりどりの小さな陶器の破片が埋め込まれた図柄で覆われ、
基壇にはヒンドゥ神話の鬼やハヌマン、ガルーダの彫刻が並んでいます。



ここから主塔への階段はかなり急勾配です。膝を痛めている変愚院を気遣った
♀ペンは「暑いからここで止めとこう」と言ってくれました。



頂上近くに祀られているインドラ神。三つの頭をもつエラワン象に乗っています。
下から手を合わせてお別れし、また船で東岸のター・ティアンへ帰りました。

本当に今年最後?

2009-09-05 20:51:10 | 花日記
タイの旅を一回お休み頂いて花日記をお送りします。



昨(4日)夜、もう今年は会えないと思っていた月下美人が我が家を
訪れました。(21時30分)



22時30分、満開になった初めての食用種です。
花も香りもこれまでの月下美人と同じですが、交配できると大きな赤い実が
成るらしいです。残念ながら他の花がないのでこのまま終わりそうです。
来年を楽しみに待っています。(22時30分)

タイの旅(8)- バンコク三大寺院観光へ

2009-09-05 08:21:53 | 旅日記
8月27日(木)
5時半、モーニング・コール。今日も朝からギンギンの夏空です。
朝食を済ませ7時出発。ホテルはバンコク市内では東側のマッカサン駅近くに
あるので、市内を流れるチャオプラヤー川両岸に位置するワット群を訪ねるため
西へ向かいます。



朝のバンコク市内は出勤の車でひどい交通渋滞。おまけにここはタイ国鉄の
踏切があるので、列車の通過待ちで長い車の列ができています。
踏切の向こうは政治の中心・ドウシット区なのですが、日本と違って緑が多い
と感じました。
列車の向こうに森が見えます…。



ようやく踏切を渡りました。先ほどの緑の木立はチットラダー宮殿です。
現在の王様・ラマ9世の私邸で、もちろん中には入れません。道路沿いの歩道
には美しい花壇が続いています。
肖像画は皇太子を抱いた若き日の王妃さま。ガイドの話では美人で有名だった
ということです。



国会議事堂が見えてきました。立派なヨーロッパ建築ですが、現在は新しい
議事堂ができたので使われていないそうです。
 


とある交差点を曲がりました。
この通りには分離帯に王妃様の肖像画が例の青旗を従えて並んでいます。
一枚一枚、お歳や服装が違う様子が興味深いです。



民主記念塔です。民主化運動のシンボルで大学の校章にも使われているとか。



チャオプラヤー川の右岸には、王宮やたくさんの立派な寺院が建っています。
王宮とワット・ポーの間の道でバスを下りて、狭い市場のようなところを抜けて
ター・ティアンの船着き場へ歩きます。



対岸のトンブリー側(川の西側)にワット・アルンが美しく眺められます。
細長いボートはルーア・ハン・ヤオ(Long Tail Boat)、高速の水上乗り合い
バスです。



私たちは、ルーア・カーム・ファークと呼ばれる渡し船に乗り込みました。
船縁両側にベンチがありますが、数が少なく立つ人もいます。
私たちは幸い座れましたが、立ったままでも対岸まで5分ほどです。



川面に浮かぶホテイアオイに似た水草や、往き来する舟を見ていると、
あっという間に対岸の船着き場に到着しました。
船を下りて短い石段を登ると、すぐにワット・アルンの入り口です。

タイの旅(7) -アユタヤ<ワット・ロカヤ・スタ>

2009-09-04 08:24:40 | 旅日記
Wat Lokaya Sutha



夕暮れ迫る空の下、高さ5m、全長28mの巨大釈迦涅槃像が大地に横たわって
います。



静かに生を終え涅槃に入る安らかなシャカの寝姿です。手枕にしている左肘
の辺りが金色に光っています。
参詣者が指の爪ほどの金箔を一枚一枚張り付けた痕です。



お詣りの用具は、この金箔1枚と赤い線香、そしてハスの花の蕾がセットに
なっていて、若い女性が10バーツで売りに来ます。
手前に小さな礼拝堂があり、そこで線香に火を付けて立てます。
花は写真の場所に供えるのかと思うと、さにあらず線香の横の花瓶に立てます。
その後ここへ連れてきて、手を添えて金箔の張り方を教えてくれます。
張り終えると掌を拡げさせ、これも爪ほどの大きさで黒く古びた真鍮製?仏様の
座像を数枚乗せます。???
どこへ供えるのかと思っていると、大仏様の頭の横から裏側に連れて行きました。
そこに男がいて20バーツ要求。「要らん」というと、仏さんの数を増やします。
断固拒否しましたが、後で考えるとハスの蕾も使い廻せますし、セコい商売です。
せっかくの敬虔な気持ちが、浮き世の世知辛さにいっぺんに覚めてしまいました。



バスに乗って夕食のレストランへ…。王宮跡の横を通っていきます。



まだ、王宮跡が見えます。



夕暮れのアユタヤの町。たくさん露店が並んでいます。



バス停(右端)にド派手な車体の乗り合いバスがやって来ました。
トゥクトゥク(小型三輪タクシー)も走っています。
町を南に少し走ると、山田長政の活躍した時代の「日本人町」の跡を通ります。
記念館(歴史研究センター)の日の丸が見えたと思うと、あっという間に走り
過ぎました。
夕食はタイスキという触れこみでしたが、スキとは名ばかりでコンロで炊いて
小鉢に入れてきます。最後はオジヤで締めましたが、プーケットで食べたもの
と全く違って味は今ひとつでした。
バンコクへ帰る途中、ライトアップされた遺跡を見に行きます。
レストランを出る頃から雨が降り出しました。



傘の用意をしていましたが、遺跡に着くと待っていたように雨が上がりました。
明るさの残る空に、金色に輝く遺跡が浮かび上がります。



ときどき稲光がはためき大きな雷音が響いて、迫力満点の舞台装置です。



急いでバスに帰るやいなや、沛然と音を立ててスコールがやってきました。
連泊のバンコクの宿に向けて、アユタヤを後にしました。