夜行便で4時間ほどしか寝れず、7時30分頃北京首都国際空港に着いた。
まずは、1万円を元に両替しようと到着1階の両替所に行った。職員が3人居て客も5人居たので、両替業務を行っている思っていたが、様子がおかしい。クローズになっている。なぜ? 首都の国際空港で飛行機の発着がある時間帯に両替所がオープンしていない。日ハム監督の「信じられない!」違うか?
仕方なく、ATMでシティカードを使い500元(1元=16.13円)を下ろした。
タクシーに乗り、遠東飯店の中国漢字名&住所のコピーを運ちゃんに見せてホテルに向かった。遠東飯店の場所が分からない様だ、何人もの人に聞いてやっと遠東飯店の標識を見付け、その先は狭いのでここで降りてくれと申し訳なさそうにしていた。1時間、110元(1774円)
100mほど歩くと遠東飯店があった。遠東飯店は中級ホテルで、フロントでいつもの様に「空き室がありますか?」「いくらですか?」「部屋を見せて下さい」と続けた。「部屋を見せて下さい」と言ってしまい、フロントマンも嫌な顔をしたが、部屋に案内してもらい、部屋を確認して宿泊する事にした。宿泊費は前払いで360元請求され、宿泊費は260元(4194円)のはずで100元は何かと聞くとカードキーを返却すると返金すると言う。デポジット(deposit)かと聞くとYESであった。
日本語の話せるスタッフが現れ、再度部屋まで案内してくれた。さらに何か問題があれば携帯電話に電話する様に電話番号、名前を書いてくれた。
遠東飯店を選んだ理由は、故宮に近く、万里の長城・八達嶺行きツアーの旅游バス(北京観光局ホームページ)の游1路バス乗場 前門東側にも歩いていけるからだ。上記地図参照。
宿泊費を払うと30元(484円)しか残らず、前門に行く途中、前門大街でATMが見付かるだろうと思い、前門に向かった。ホテル前の通りを東北東に行くと前門大街に交差するが、その手前で工事用フェンスが設置され前門大街に行く事が出来なかった。北に行き前門の箭楼西側に出た。前門の箭楼前から始まる前門大街にも工事用フェンスが設置され入れない。
前門大街のATMでの出金を当てにしていた、30元では、万里の長城・八達嶺行きの游1路バスには乗れない!
東前門大街を地下道でくぐり地上に出るとバスが止まっていた。多分10:30発の游1路バスだろう。
ATMを探し周辺を歩いたが見付からない。
万里の長城・八達嶺へ行くのをあきらめた。
前門の箭楼と正陽門
正陽門を左に見ながら天安門広場に向かった。毛主席記念堂を過ぎ、人民英雄記念碑も過ぎると天安門までの広い広い広場があり、天安門広場であった。
天安門広場と天安門
テレビで見る天安門広場は、もっと広々としていたが、それ程でもない、それでもやはり広い。しかし、この広さであれば、どこにでも! 例えば、タイ バンコクの王宮前広場も広い。
調べると、「天安門広場は、44万㎡(880m×500m)、都市の広場としては、世界の有名都市の中でも最大規模の広場である。」と北京観光局ホームページに記載されている。広さを地図で確認すると、天安門前道路(長安街)から前門の箭楼までが約1000m、広場の両側道路を含めて330m、従って33万㎡。残り11万㎡は? 33万㎡の内、天安門前道路から毛主席記念堂前まで15万㎡で、この広場を通常天安門広場と感じる。この15万㎡で比較するとバンコクの王宮前広場が、14万㎡であり、日本の皇居前広場は、約12万㎡であり、日本にもこれ程広い広場があるのか! 中学の修学旅行以来行っていないが! (皇居外苑は約27万㎡、皇居前広場のある堀で囲まれた地域)
天安門といえば、天安門事件である。普通は1989年の天安門事件を指し、学生の民主化運動を中国当局が武力で封じ込め、多数の死者が出たとされる事件。テレビニュースで見た、長安街で戦車を先頭に多数の装甲車が続くシーンを思い出す。
天安門に着いたが、相変わらずATMが見付からない。地下鉄で北京駅に行けばあるだろうと思い、地下鉄天安門東駅に行くと改札近くにATMがあった。意外な場所でやっと見付けた。
天安門をくぐり、午門に向かった。
午門
チケットを60元(968円)で買い、紫禁城へと入った。
正面に見える太和門が太和門の絵を描いた幕で覆われている。太和殿に行っても同じ様に絵を描いた幕で覆われていた。来年の北京オリンピックにあわせて化粧直しをしているとか! 最も興味のある太和門と太和殿が、この様では興ざめである。
日本シニアのツアーに付いて回り、中国人ガイドに「化粧直しで残念だ。」と話すと「オリンピック後にもう一度着たら良い。」と言われた。「こんな所2度も来る所ではない。同じ故宮でも台北の故宮であれば再度行きたい。」と言いたかった、当然言わなかったが!
写真を撮る気もしない。中和殿、保和殿を見て乾清門が見えて来た。
乾清門
乾清門をくぐり内廷へ入った。乾清宮があり、樹木のある地域を抜けると神武門にでる。神武門も絵が描かれた幕で覆われていた。
神武門を出ると目の前に景山公園があり、頂上に三層の万春亭が見える。
入園料 5元(80円)を払い、頂上を目指した。
景山公園頂上から紫禁城を望む
紫禁城の正面、神武門は絵が描かれた幕で覆われている為、写真を撮らなかった。
ホテル近くの琉璃廠に行く為、景山公園から紫禁城の堀沿いに歩き、紫禁城の西を南に長安街まで歩いた。歩き疲れて地下鉄に乗る事にした。天安門西駅から復興門で乗換え和平門駅で降りた。和平門駅は、前門西大街と新華街が交差する所にあり、新華街を南に向かった。この通りには、あれだけ見付からなかったATMが通りを歩いていると数ヶ所見付かる。
前門西大街から500mほどで琉璃廠に着く。
琉璃廠
琉璃廠は、書画や画材、印鑑、本など売られている店が並ぶ。店は博物館の様である。
夕食はホテル近くの新疆ウイグル料理の食堂で羊肉の煮込み料理を食べた。料理の見栄えが悪いのと量が多過ぎた。隣の客が私の料理を見て店員に何か言っている。「こんなに多い量を出してどうするの!」とでも言っていそうであった。
夜、ホテル向かいの遠東ユースホステルに行ってビールを飲んだ。雰囲気の良い安宿である。次回があるなら、ここで泊まろう。
まずは、1万円を元に両替しようと到着1階の両替所に行った。職員が3人居て客も5人居たので、両替業務を行っている思っていたが、様子がおかしい。クローズになっている。なぜ? 首都の国際空港で飛行機の発着がある時間帯に両替所がオープンしていない。日ハム監督の「信じられない!」違うか?
仕方なく、ATMでシティカードを使い500元(1元=16.13円)を下ろした。
タクシーに乗り、遠東飯店の中国漢字名&住所のコピーを運ちゃんに見せてホテルに向かった。遠東飯店の場所が分からない様だ、何人もの人に聞いてやっと遠東飯店の標識を見付け、その先は狭いのでここで降りてくれと申し訳なさそうにしていた。1時間、110元(1774円)
100mほど歩くと遠東飯店があった。遠東飯店は中級ホテルで、フロントでいつもの様に「空き室がありますか?」「いくらですか?」「部屋を見せて下さい」と続けた。「部屋を見せて下さい」と言ってしまい、フロントマンも嫌な顔をしたが、部屋に案内してもらい、部屋を確認して宿泊する事にした。宿泊費は前払いで360元請求され、宿泊費は260元(4194円)のはずで100元は何かと聞くとカードキーを返却すると返金すると言う。デポジット(deposit)かと聞くとYESであった。
日本語の話せるスタッフが現れ、再度部屋まで案内してくれた。さらに何か問題があれば携帯電話に電話する様に電話番号、名前を書いてくれた。
遠東飯店を選んだ理由は、故宮に近く、万里の長城・八達嶺行きツアーの旅游バス(北京観光局ホームページ)の游1路バス乗場 前門東側にも歩いていけるからだ。上記地図参照。
宿泊費を払うと30元(484円)しか残らず、前門に行く途中、前門大街でATMが見付かるだろうと思い、前門に向かった。ホテル前の通りを東北東に行くと前門大街に交差するが、その手前で工事用フェンスが設置され前門大街に行く事が出来なかった。北に行き前門の箭楼西側に出た。前門の箭楼前から始まる前門大街にも工事用フェンスが設置され入れない。
前門大街のATMでの出金を当てにしていた、30元では、万里の長城・八達嶺行きの游1路バスには乗れない!
東前門大街を地下道でくぐり地上に出るとバスが止まっていた。多分10:30発の游1路バスだろう。
ATMを探し周辺を歩いたが見付からない。
万里の長城・八達嶺へ行くのをあきらめた。
前門の箭楼と正陽門
正陽門を左に見ながら天安門広場に向かった。毛主席記念堂を過ぎ、人民英雄記念碑も過ぎると天安門までの広い広い広場があり、天安門広場であった。
天安門広場と天安門
テレビで見る天安門広場は、もっと広々としていたが、それ程でもない、それでもやはり広い。しかし、この広さであれば、どこにでも! 例えば、タイ バンコクの王宮前広場も広い。
調べると、「天安門広場は、44万㎡(880m×500m)、都市の広場としては、世界の有名都市の中でも最大規模の広場である。」と北京観光局ホームページに記載されている。広さを地図で確認すると、天安門前道路(長安街)から前門の箭楼までが約1000m、広場の両側道路を含めて330m、従って33万㎡。残り11万㎡は? 33万㎡の内、天安門前道路から毛主席記念堂前まで15万㎡で、この広場を通常天安門広場と感じる。この15万㎡で比較するとバンコクの王宮前広場が、14万㎡であり、日本の皇居前広場は、約12万㎡であり、日本にもこれ程広い広場があるのか! 中学の修学旅行以来行っていないが! (皇居外苑は約27万㎡、皇居前広場のある堀で囲まれた地域)
天安門といえば、天安門事件である。普通は1989年の天安門事件を指し、学生の民主化運動を中国当局が武力で封じ込め、多数の死者が出たとされる事件。テレビニュースで見た、長安街で戦車を先頭に多数の装甲車が続くシーンを思い出す。
天安門に着いたが、相変わらずATMが見付からない。地下鉄で北京駅に行けばあるだろうと思い、地下鉄天安門東駅に行くと改札近くにATMがあった。意外な場所でやっと見付けた。
天安門をくぐり、午門に向かった。
午門
チケットを60元(968円)で買い、紫禁城へと入った。
正面に見える太和門が太和門の絵を描いた幕で覆われている。太和殿に行っても同じ様に絵を描いた幕で覆われていた。来年の北京オリンピックにあわせて化粧直しをしているとか! 最も興味のある太和門と太和殿が、この様では興ざめである。
日本シニアのツアーに付いて回り、中国人ガイドに「化粧直しで残念だ。」と話すと「オリンピック後にもう一度着たら良い。」と言われた。「こんな所2度も来る所ではない。同じ故宮でも台北の故宮であれば再度行きたい。」と言いたかった、当然言わなかったが!
写真を撮る気もしない。中和殿、保和殿を見て乾清門が見えて来た。
乾清門
乾清門をくぐり内廷へ入った。乾清宮があり、樹木のある地域を抜けると神武門にでる。神武門も絵が描かれた幕で覆われていた。
神武門を出ると目の前に景山公園があり、頂上に三層の万春亭が見える。
入園料 5元(80円)を払い、頂上を目指した。
景山公園頂上から紫禁城を望む
紫禁城の正面、神武門は絵が描かれた幕で覆われている為、写真を撮らなかった。
ホテル近くの琉璃廠に行く為、景山公園から紫禁城の堀沿いに歩き、紫禁城の西を南に長安街まで歩いた。歩き疲れて地下鉄に乗る事にした。天安門西駅から復興門で乗換え和平門駅で降りた。和平門駅は、前門西大街と新華街が交差する所にあり、新華街を南に向かった。この通りには、あれだけ見付からなかったATMが通りを歩いていると数ヶ所見付かる。
前門西大街から500mほどで琉璃廠に着く。
琉璃廠
琉璃廠は、書画や画材、印鑑、本など売られている店が並ぶ。店は博物館の様である。
夕食はホテル近くの新疆ウイグル料理の食堂で羊肉の煮込み料理を食べた。料理の見栄えが悪いのと量が多過ぎた。隣の客が私の料理を見て店員に何か言っている。「こんなに多い量を出してどうするの!」とでも言っていそうであった。
夜、ホテル向かいの遠東ユースホステルに行ってビールを飲んだ。雰囲気の良い安宿である。次回があるなら、ここで泊まろう。
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