塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

先進国首脳のソチ五輪開会式等ボイコット

2013年12月21日 | 政治
   
 今月17日、アメリカのホワイトハウスは、来年2月のソチ五輪にオバマ大統領が出席しないことを明らかにした。表向きは「日程上の都合」ということだが、ロシアの「同性愛宣伝禁止法」などの反人権的政策に、ドイツ・フランスに次いで抗議の意を示したものとみられている。

 発端は、今月8日にドイツのガウク大統領が欠席を表明したことだが、より重要なのはフランスのオランド大統領がこれに続いたことだ。というのも、ドイツの大統領は国家元首ではあるものの、政治的な権限は非常に限定されている(国内での政治的立場は「中立」とされているため)。自身で五輪への出欠を決められたり、間接的に選挙で選ばれるあたり、日本の天皇と異なって政治的発言力を有しているといえるが、必ずしも政府の意向を反映しなければならないということはない。それに対し、フランス大統領は国家元首であると同時に、実質的な政治の最高権力者でもある。同じ欠席表明でも、ガウク大統領とオランド大統領では、発言の重みが違うといえる。

 オバマ大統領の決定は、ガウク大統領に加えてオランド大統領が欠席を表明したことが大きく影響しているのではないかと思われる。そして、今月19日にロシアのプーチン大統領が政敵であるオリガルヒ(新興財閥)のホドルコフスキ受刑者に「人道上の理由」から恩赦を出したが、先進3国の大統領(とりわけ米仏)の相次ぐ欠席に危機感を覚えたプーチン大統領が人権政策批判をかわすために発したものであることは容易に察しがつく。

 一連の欠席表明問題は、とりわけ西洋世界では大きく報じられており、私もたいへん関心をもってみているのだが、日本ではどうも重要な話題として取り上げられているようには感じられない。今回に限らず、人権や生命倫理などの問題になると、日本のマス・メディアはアジア特有ともいえる無関心をもって深く議論しようとはしたがらないように思われる。

 私がいま一番注意深く見ているのは、安倍首相はさてどうするのかという点である。独仏大統領が表明した時点では、文字通り対岸の火事として看過することもできたであろうが、米大統領までもが欠席するとなると、アメリカの強い影響下にある日本としては、見ざる言わざる考えざるというわけにはいくまい。出席するにせよ欠席するにせよ、日本国首相として、きちんと理由をつけて表明する必要が生じているといえる。

 他方で、日本は7年後に東京オリンピックを控えている。今ここで五輪を欠席すれば、7年後に何らかの形で跳ね返ってくるかもしれないなどという考えも、浮かばないではない。政府としては、日本人の真髄である八方美人で乗り切りたいところかもしれないが、事態は日本人が思っている以上に深刻であると私は考えている。安倍首相には、7年後の日本に恥じることのない姿勢で3か月後のソチ五輪に臨んでいただきたいと思う。