塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

地名探訪:「目黒」

2010年11月13日 | 地名探訪

 今週はじめた地名探訪シリーズですが、はや第二弾です。今回は「目黒」を取り上げます。目黒といえば、目黒雅叙園や目黒寄生虫館などがあり、また噺の「目黒のさんま」の舞台とされ、秋にはさんま祭りが開かれています。

 この「目黒」の地名については、徳川家康の側近として江戸幕府の草創に深くかかわった南光坊天海僧正にちなむものとする俗説が広く流布しています。この説によれば、天海は江戸の町の建設に際して陰陽五行あるいは風水を取り入れ、江戸の周囲五か所に不動尊を設置したといわれます。これら5体の不動尊は、それぞれ目の色が異なっていたため、目黒不動・目白不動・目赤不動・目黄不動・目青不動と呼ばれるようになりました。このうち、目黒不動尊のあった周辺が「目黒」となり、目白不動尊周辺も「目白」と呼ばれるようになったとするものです。この説にしたがえば、「目黒」の地名は目黒不動にちなんで江戸時代以降にできたものということになります。目黒不動は、今も下目黒の瀧泉寺に安置されています。

 ついこの間まで流行っていたテレビの歴史バラエティー番組のいくつかでも、この天海起源説がまことしやかに流されていました。しかし、この説には大きな問題が2つあります。

 ひとつは、天海の時代に確認できる五色不動は目黒と目白だけだということです。目赤についても、将軍徳川家光の命名によるという伝承がありますが、少なくとも目青と目黄についてはかなり時代を下らないと登場しません。すなわち、目黒不動も目白不動も、必ずしも五色を意識したものではなかったといえます。さらに、五色不動の中で、この目黒と目白は他の3色と異なり地名とセットになっています。このため、果たして不動が先か地名が先か、鶏が先か卵が先がの問題が生じています。

 第二に、これが決定的ですが、そもそも江戸時代以前にすでに「目黒」という地名は存在し、ここを拠点とする「目黒氏」という鎌倉武士が存在していました。目黒氏は関東西部に勢力を持った武蔵七党の一派とされ、歴史書『吾妻鏡』にも登場します。鎌倉時代中期以降、目黒氏については動向が明らかではありませんが、一説によればその後奥州へ移動し、会津や阿武隈地方に末裔を名乗る人が数多くいるということです。

 ここから分かることは、目黒の地名は天海どころか軽く鎌倉時代以前まで遡る古い地名であるということです。じゃあ、そのおおもとの地名の由来は、というと残念ながら現在のところ明らかではありません。天海という人物については、やれ山崎の戦いで死んだはずの明智光秀その人であるだの、135歳まで生きただの怪しいウワサが多く、バラエティー番組のネタとしては格好の人物といえます。五色不動の話も、風水っぽいということで天海と結び付けられたものでしょう。

  



夫婦関係を見直すべき20のサイン

2010年11月10日 | 徒然
 今日Yahoo!Deutschland(ドイツのヤフー)を見たら、トップに面白い記事が出ていました。その名も「おしまいにするべき20のサイン。」何を終わりにするかって、男女の仲をです(別に同性でも構わないと思いますが)。いわく、次の20のサインのうち1つでも当てはまったら、決断を考える時だそうです。

 以下、20のサインについて、要約的に意訳してみます。

 1. あなたは常に1人で過ごしたいと思っている。
    いつでもどこでもパートナーと一緒に居たい
   というのも変。誰でも1人の時間は必要。でも、
   もしパートナーにそこに居てほしくないとか、
   静かになりたいとかしょっちゅう感じるように
   なれば、明らかにフラストレーションがたまって
   います。

 2. 一緒に外へ出かけなくなった。
    一緒に住んでいるからといって、一緒に外へ
   出なくていいというものではありません。幸せな
   関係は家の中の営みだけでは築かれないの
   ですから。

 3. パートナーより友人がいるほうがいい。
    人間関係の良し悪しには、社会的な接触も
   含まれます。恋人と住むより、寮やルーム
   シェアリングのような共同生活の方が気軽で
   いいなんて、考えるべきではありません。

 4. セックスレスである。
    これはまあ…多くを語る必要はないでしょう。

 5. 触れ合いがなくなった。
    触れ合いは、セックスとはまた異なります。
   ふとした肌の接触や抱擁は、2人がお互いを
   求めているサインです。触れ合いを拒絶する
   ようになったら、別れ時です。

 6. キスしなくなった。
    これは、日本ではどうでしょう?

 7. 2人で笑わなくなった。
    あの頃2人はあなたの冗談で涙が出るほど
   笑い転げたのに。今では、パートナーには
   とりあえず黙っていてほしい。そんな2人が
   どうしてこれからやっていけましょう。

 8. 2人の会話がなくなった。
    まあ、日本でも言われることですから、多言は
   無用でしょう。

 9. 些細なことが気になりだした。
    パートナーのコーヒーをすする音や、衣服の
   におい、さらにはやることなすこと全てが気に
   りだしたら、それは愛に冷めてしまっているの
   かもしれません。些細なことと無視してはいけ
   ません。小さな日々のストレスが、重大な健康
   上のダメージとなります。

 10. パートナーもまた、些細なことを気にしだした。
    理由は9と同じです。そんな人と一緒にいては、
   あなたのためになりません。


 11. 自分のことは全部自分でやってる。
    どんなに長い腐れ縁でも、家事や何やで対立
   することはあります。大抵はお互い妥協点を見
   つけるものです。もしも、パートナーがあなたを
   家政婦のように扱うなら、こう言ってやりなさい。
   「出て行ってやる!」と。

 12. 外見に気を配らなくなった。
    もし、パートナーが魅力的かどうかなんてどう
   でもよくなったとしたら、それは愛ある生活に
   とって害毒でしかありません。

 13. ラブレターを交わしたあの頃は、もはや過去だ。
    結婚記念日やバレンタインデーなんか大事
   じゃなくなった?愛のあるカップルほど、そう
   した記念日は忘れないもの。誕生日を忘れ
   ようものなら、あなたたちの関係はもはや
   賞味期限切れですよ。

 14. 私(僕)、あげる人(もしくはもらう人)。
    どちらかが他方より感情的だったり、開放的
   だったりすることはあるでしょう。でも、そんな
   関係が長続きして良いことはありません。
   パラサイトは決して良いパートナーではあり
   ません。

 15. 自分が好きでなくなった。
    パートナーが自分を嫌っているとか魅力を
   感じていないなどと思っては、いつしか自分
   を見失います。そうなる前に2人の関係を
   終わらせて、これ以上あなたの精神を害さ
   ないようにしましょう。

 16. 友人が、今のパートナーは相応しくないと言う。
    これもまあ、説明入らないでしょう。

 17. パートナーと他人を比べるようになった。
    他人の魅力に目移りしてしまうこと自体は
   自然なことです。しかし、目に入る人誰でも
   彼でもあなたの唯一のパートナーと見比べる
   ようなことは、控えるべきです。

 18. 元カレ(元カノ)と会ってる。
    これは、どうなんでしょうね。元ネタでも
   「会うのはいいけど」みたいに書いてます
   んで、結構微妙でしょう。

 19. パートナーに変わってほしいと願っている。
    パートナーをすっかり他人と入れ替えること
   はできません。もしもパートナーにすっかり
   変わって欲しいと願うなら、自分にピッタリな
   別人を待ち構えるよりほかありません。

 20. 「I love you. 」とは言うものの、そんなこと
   思ってない。
    「愛してる」と言うたびに、自分が嘘をついて
   いるような罪悪感を感じませんか?そうなって
   は、本当に愛せる人をまた探すしかありません。

 いかがでしょうか。1つでも当てはまったら2人の関係を考え直す必要アリだそうです。結構微妙なのもありますし、文化の違いから日本には適用できそうにないものもありますね。ですから、あくまでネタ程度に見るのがいいでしょう。あまり真剣にとらえて、この記事のせいで夫婦仲がおかしくなったなんてクレームは御免ですし(いや本当に)。

 



地名探訪:「渋谷」

2010年11月08日 | 地名探訪
  
 突然ですが、新企画です。普段何気なく目や耳にしている地名について、何か面白い由来やネタがあれば取り上げていこうというシリーズです。どうにもネタがないときに、ちょくちょくアップしていこうかと思っています。歴史ネタでもいいんですが、あれも結構書き始めると時間を喰うので、もっと手軽に書けるシリーズものをと考えた末の産物です。

 第一回は、若者の街「渋谷」を取り上げます。渋谷に毎日勤めたり、乗り換えたり、しょっちゅう遊んだりする人でも、地名の由来に気を留めることなどまずないと思います。でも、どんな地名にも由来はあるものです。

 さて、皆さんは神奈川県にも同じ「渋谷」があることをご存知でしょうか。小田急江ノ島線には「高座渋谷」という駅があります。都心からはだいぶ離れているうえに各駅停車しか停まらないので、沿線住民でも知らない人は多いかと思われるローカル駅です(周辺住民の方が見ていらしたらスミマセン^^;)。

 そんなローカル駅と、都内屈指の繁華街を比べてどうするつもりだとお感じになるでしょうが、何を隠そうむしろこの「高座渋谷」の方が渋谷区渋谷のルーツなのです。

 時は平安末期、現在の川崎市川崎駅周辺を治めていた河崎基家という武士がいました。基家は、当時は谷盛荘と呼ばれていた渋谷周辺の土地を、源義家から与えられました。基家の孫の重国は、さらに相模国高座郡渋谷荘(現在の高座渋谷周辺から綾瀬市の大部分を含む一帯)を与えられました。重国はそちらへ本拠地を移し、姓を渋谷氏と改めました。もとの谷盛荘には重国の兄弟とされる金王丸(こんのうまる)が残りました。金王丸も、重国にならって渋谷氏を称し、住んでいた館は渋谷城と呼ばれるようになりました。現在の渋谷区渋谷が渋谷と呼ばれるようになったのは、このときからということになります。すなわち、東京都の渋谷の地名は神奈川県の渋谷にあやかったものなのです。

 ちなみに、金王丸は源義朝に仕え、義朝が暗殺されたときに、その死を義朝の愛妾常盤御前(源義経の母)に伝えたとされています。

 ところで、金王丸が住んでいた渋谷城とはどこにあったのでしょうか。それ以前に、「渋谷に城なんてあったのかよ」と驚かれる方がほとんどかと思います。城といっても、姫路城などのような立派な天守閣や石垣を持ったものではなく、中学・高校の社会科資料集などに出てくる鎌倉武士の館みたいなものです。

 渋谷城は、酒井法子元夫妻の覚醒剤事件で記憶に新しい渋谷警察署のすぐ裏手にありました。警察署脇の坂を上っていくと、金王八幡宮という神社があります。その名の通り渋谷金王丸にちなんだもので、渋谷城の一角にあったといわれています。別に行ったところで、神社のほかには何もありませんので、城跡として訪れるとがっかりすること必至でしょう。ちょっとした公園代わりとして、周辺にお勤めの人たちには格好の憩いの場となっているようです。

 地下鉄副都心線の開業や宮下公園のリニューアルなど、日々新しくなっていく渋谷ですが、その地名には意外と古い由来があります。都心に住んでいれば、渋谷は何かと通る機会のあるところです。そんなとき、にぎやかな街並みに目をやると同時に、ふっと歴史にも目を向けてみてはいかがでしょうか。

  



芸術の秋:印象派展覧会ブーム一考

2010年11月06日 | 徒然
 
 スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋。空気の冴えわたるこの季節、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 僕の場合は、目下のところ芸術鑑賞の秋にいそしんでおります。つい今しがたも、ブリヂストン美術館の『セーヌの流れに沿って』展を見てきました。この『セーヌ』展もそうですが、最近なんだかやたらと印象派の展覧会が増えているような気がして、嬉しい反面、流行化しているのならつまらないことだという感じも受けます。

 以前記事にした三菱1号館美術館の『マネとモダン・パリ』展をはじめ、前回展覧会の『ポーラ美術館コレクション』展に続いて『ドガ』展を現在開催している横浜美術館、国立新美術館や松岡美術館などでも印象派展が開かれました。Bunkamura ザ・ミュージアムに至っては、12月から『モネとジヴェルニーの画家たち』展がはじまり、すでに終了している二度の展覧会と合わせて今年だけで三度の印象派展が催されることになります。

 印象派好きの自分としては、楽しみが続くという見方もできます。しかし、こうも猫も杓子も印象派といったようすでは、ブームを追いかけているだけで少々品がないようにも思われます。とはいっても、結局全部見に行くつもりですけどね。。

 以前、五島美術館で有名な茶碗が勢ぞろいする展覧会がありました。普通、茶道具の展覧会では、1つの道具だけ並べるということはほとんどなく、基本的にお茶会で使う一揃いの道具を何セット分か展示するのが常道です。ですが、茶道具といえば、一般的には香炉や建水などよりも、まず茶碗を思い浮かべることが普通です。ですから、有名な茶碗を一堂に集めるというのは、茶道具の展覧会としては非常にキャッチーでアピール力の強い企画であったといえます。

 自分も、普通なら1つの展覧会で1つか2つ程度しか見られない名物茶碗がずらりと並ぶとあって、胸を躍らせて出かけました。ところが、実際に訪れてみると、期待していたほど感動しませんでした。それどころか、居並ぶ有名な茶碗を見ているうちに、膨満感あるいは食傷に近い感じを覚えました。次から次と出てくる大名物に、お腹一杯でした。

 要は、過ぎたるは及ばざるがごとし、というやつです。茶道具なら様々な取り合わせの中で、絵画なら様々な主義や方向性の中で、それぞれの作品が映えてくるものなのだと思います。やたらめったら有名作品ばかり集めればよいというものではなく、展覧会としてのテーマがきちんと座っていなければ、どんなに良い作品が並んでいても何となく空虚な展示となってしまうのでしょう。

 今年に見た数ある印象派展の中でも、テーマがきちんとしていて説得力のある展覧会もあれば、コンセプトがはっきりせず、あまり感動の残らない展覧会もありました。今月も、とりあえずAPECが終わったら横浜美術館に行く予定ですが、ぜひとも前者の展覧会であることを祈るばかりです。

 
本日のおまけ:絵画つながりで。


  


旅先の料理リポートに関する私見

2010年11月03日 | 徒然
  
 本日3日文化の日は、統計上晴れることが非常に多い特異日だそうです。今日も先週末の冷たい雨が嘘のように晴れ渡りました。こんな日に家に籠っていては罰が当たると美術館に出かけようと思いましたが、文化の日ですから美術館は混んでいるだろうと考えてやめました。結局、いつもの通り(?)城跡めぐりに行ってきました。まだまだ首都圏にもあるもんなんですよ、城跡っていうのは。

 どこへ行ったかはまあ置いておいて、今日はその旅先での話です。僕は、ちょっとした城跡めぐりでも普通の旅行でも、出先では絶対にファミレスやチェーンストアには入りません。大きな都市へ出張とかいうのならともかく、都会でも地方でもローカル駅なんかは、次に訪れる機会があるかどうかはわかりません。一期一会のつもりで地元の食堂に入るのが、「ちい散歩」じゃないけど小旅行の醍醐味です。

 今日も、城跡の寺の門前にある、「田舎寿司」といういかにも地元の寿司屋といった店に興味をそそられました。地方の町はずれを歩いていると、大衆食堂はなくても寿司屋にはよく出会います。ですから、そこに「ランチおまかせ900円」と書いてあれば、だいたいどの程度のものが出てくるかは想像がつきます。

 ところが、今回はちょっと予想が外れてしまいました。といっても決して悪い方にというわけではありません。およそ900円のランチ寿司といえば、にぎりが8~10貫に味噌汁というのが定番です。ところが、この店ではにぎり10貫に加え、海老の頭2つ入りの味噌汁にサラダと茶碗蒸しが出てきました。しかも、何に一番驚いたかって、にぎりの1貫1貫が大きいんです。最初はネタを大きく切っていたので、「おっ、キップがいいなぁ~」と思っていたんですが、シャリも口に入れるのがやっとなくらい大きいんです。カウンター越しに握っているところを見ていたんですが、寿司というよりおにぎりを握っているような手つきでした。極め付けは蒸海老のにぎりで、有頭有尾の殻付きの大海老をそのままシャリに乗せたのが出てきました。こう書くと批判しているようにみえますが、そういうつもりではありません。美味しかったですし、帰り道がちょっと苦しいくらいにボリューム満点でした。

 さて、長々とレビューを書きましたが、実はここからが今日の本題です(遅)。上のレビューを見た方の中で、「そんなんダラダラ書くより写メでも載せろや!」と思われた人は少なくないんじゃないでしょうか。面白料理やびっくりメニューに遭遇したらとりあえず写メを撮って、友人に送ったりネットにアップしたりというのは結構当たり前になっているように感じます。昨今流行りのB級グルメの店になぞ行こうものなら、あっちでパチリこっちでパチリという状態なんでしょう。

 僕には、この行為がどうも感情的に受け入れられません。おそらくアンケートで統計をとったら、客でも店側でも気にしない人の方が多いとは思います。ですが、店の人が作ってくれた出来たての料理、これから自分の口に入れる眼前の料理を見世物のごとく写真に収めるという行為が、僕にはどうしても理解できないのです。食材や料理人に対する感謝の気持ちを表す「いただきます」や「ごちそうさま」といった言葉は、欧米には無い日本独自の文化に基づく作法です。このような素晴らしい言葉や文化を持ちながら、その精神をないがしろにする行為が無思慮に行われていることに、嘆きのような感情すら抱いています。

 とはいっても、面白い料理やとても美味しそうな料理、豪華な料理やトンデモ料理が出てくれば、人に教えたり自慢するために撮りたくなるのも分からいではありません。ですから、できることなら撮る前に一言店の人にことわりを入れたら良いのではないかと、僕は思います。店が広くて声がかけられなかったり、撮られるのも商売の内のホテルのようなところなら仕方ないでしょうが、料理人が近くにいるなら、やはり礼儀として一言あるべきではないでしょうか。

 そんなわけで、僕のブログではたとえ料理の話になっても写真はまず出ません。僕の拙い表現でどこまで伝えられるか分かりませんが、料理ネタは今後も基本言葉のみでお送りするつもりです。

 
というわけで、お料理っぽいけど料理じゃない写真を1枚