塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

自民惨敗・参議院選挙所感

2007年08月04日 | 政治

 参議院選挙から一週間経ちました。僕としては、選挙の予想だの結果分析だのには余り関心がないのですが、いくつか思うところがあったので書いてみることにします。 

 まず今回の自民党惨敗という結果について、これをただちに「民主信任・自民不信任」と断じて良いかというと、非常に怪しいように思われる。確かに安倍総理自身「総理として安倍と小沢、どちらがふさわしいか」を問う選挙だと発言してはいた。ただ実際のところ、有権者は参院選をそれほど重い選挙だと捉えていたのだろうか。

 今回の最大の焦点は、「年金問題」あるいは「政治とカネ」であるとマスコミを通じて散々教え込まれてきた。

 たとえばその年金についていえば、両党とも今後の対処案を出していたようであるが、その優劣を有権者はきちんと判断して投票したのだろうか。僕に至っては両者がどう違うのかさえ分かっていない。カネの話にしても、赤城氏個人をスキャンダラスに攻撃するばかりで、構造的な対策については誰も積極的にアナウンスしていなかったように思う。

 そこで、勝手に自民党の敗因を推察してみると、一つには反自民票というより自民党への(もっとしっかりやってくれよ、という意味での)懲罰票が民主党へ多く流れたのではないだろうか。このような自民党への懲罰票というは昔からあるもので、当時はその受け皿が、たとえば社民党であったり社会党右派候補であったりした。
 
 もう一つは小泉劇場の遺産によるものではないだろうか。小泉前首相の選挙手法は、論点を故意に絞って、後は徹底的にその点に関して相手を叩き自分を持ち上げる、というものであった。選挙の意義から考えてこれが問題であることは間違いないが、他方でマスコミとしてはネタにしやすく、お茶の間としては頭を使わずに済むという点で利害が一致していたことも事実であった。

 それゆえ、今回もマスコミは「年金」「政治とカネ」の二点に絞ってお茶の間を煽り続けていたのだが、如何せん安倍政権はこの波に乗ることが出来なかった。今更「1円から領収書」というくらいなら、選挙前に赤城氏を更迭すると同時に打ち出せばよかった。出来るできないはともかく、こんなもの言ったもの勝ちである。結果、不毛な野党の個人攻撃がマスコミとお茶の間を満足させることになった。

 以前、安倍総理の「人事能力」と小泉チルドレンの「能力以上の態度」を問題視した記事を書いたが、今回の参議院も結局同じほころびをずるずるとさらけ出してしまったというのが僕の感想である。

 最後に、参院選全体についてあと二点ほど指摘したい。

 一つは、当日の開票報道におけるキャスターのあからさまに非中立的な質問態度である。これは僕の運が悪かっただけかもしれないが、日曜夜遅く帰ってたまたまテレビをつけると、別々のチャンネルでF館氏とS鳥氏が司会をしていた。両者に共通していたのは、「首相の責任」を問うのではなく、「首相はなぜ責任を取らないのか」を執拗に問うていたことである。これでは余りに相手に失礼であるばかりか、個人の意見を押し付けており、司会者には当然あるまじき姿勢だと思う。マスコミがこのような態度を許容(ややもすると奨励か)している限り、有権者が選挙に対する中立かつ有益な情報をマスコミから得ることは不可能であろう。

 もう一つは、参議院そのものの必要性である。毎回言われるように、今回も政治とはおよそ関係のないような人物が何人か、勘違いか集票力を見込まれたかはともかく出馬していた。それ自体「良識の府」たる参議院の品格を問うには充分であるが、さらに品位を疑うのは、衆院選で落選したり、問題を起こして衆議院を辞職したような人達がちゃっかり出馬していることである。

 たとえば私の故郷の宮城からは、それこそ「政治とカネ」の問題で衆議院を辞職した民主党議員が、何食わぬ顔で参議院から比例で出馬し、当然何もせずとも濡れ手で粟で当選しているのだ。

 このような、「衆議院でポカしちゃったから参議院へ」が罷り通るような参議院が、果たして必要なのだろうか、と改めて考えさせられました。




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