塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

東日本大震災:買占めを煽っているのはマスコミに他ならない。

2011年03月19日 | 東日本大震災
     
 東北大震災から1週間がたちました。少しずつ被災地への支援や復旧がはじまるとともに、被害の実態も明らかとなってきました。これまでは、情報が錯綜する中で立ち入った話題には触れず、感情的な雑記に留めてきました。1週間が過ぎて、さまざまな問題が徐々に明るみに出てきました。

 その1つに、首都圏の買占め現象があります。首都圏も、甚大といわないまでも大きな地震による被害を受けました。また、その後もM7.0程度の余震の確率が70%と推測され、計画停電が実施されるなど、やはり不安な日々を過ごしました。

 たしかに、これまで戦後の東京が経験したことのない自然災害の危機に見舞われてはいますが、それを踏まえても首都圏の買占め現象は異常に思います。スーパーや電気店から軒並み商品が消えています。オイルショックを体験していない自分には、生まれて初めての光景です。政府や各種著名人などが控えるよう呼びかけてはいますが、どうやら収まる気配はまだなさそうです。

 もちろん各個人の心がけが大切ですが、それ以上に事態を煽っているのは、実はマスコミ(とくにテレビ)に他ならないと私は考えています。マスコミも、政府のコメントや買占め中止運動などを報じてはいます。ただ、どんなに声で100回呼びかけても、品物の無くなった陳列棚を1回見せられてしまえば、相殺してしまうくらいの心理的効果があります。百聞は一見にしかずの通り、映像のインパクトは多大なものです。

 ブラウン管(死語か?)を通じてだから気づきにくいかもしれませんが、大量の視聴者が目の前にいると考えるとどうでしょう。視聴者の集団を大挙してスーパーへ連れて行き、空の陳列棚を見せて「このように買占めが行われ、商店の品薄は危機的な状態です。でも皆さんは買占めしないでください。政府もお願いしていることですし。」と言っているのと同じです。それで不安になるな、気持ちを抑えろという方が無理な話です。報道による影響は報道に携わる者が一番気を遣わなければなりません。

 本当に買占めを控えさせたいと思っているなら(ただ持ってる映像をひけらかしたいだけなら話は別ですが)、現状の報道の仕方を改める必要があります。私が考えただけで、方法は2つあります。

 1つは、情報操作です。まさにリビアや中国で行われているように、国民に見せる映像を意図的に選別するものです。こういった国々では、国内で大規模な暴動が起きるとテレビでは日常の穏やかな風景を流し、何もありませんよと強調します。外国にいる我々から見ると滑稽に映りますが、その国の中いる人が他に情報獲得手段を持っていなければ、その通りに受け取ることでしょう(逆にいうと、それだけ映像の持つ力は大きいということです)。

 ですが、インターネットや携帯電話をはじめ、情報伝達技術が高度に発達した現代日本では、この方法は奏功しないでしょう。そもそも、こうした高速通信手段の普及による情報統制の破綻がエジプトなどでの革命運動の発端といわれています。今の日本で情報統制しようとしても、すぐに漏れてしまうことでしょう。

 そこで2つ目ですが、節約術関連の番組コーナーをたくさん設ければ良いのではないかと考えています。ガソリンが値上がりすればガソリン節約術、確定申告が近づけば控除節約術、ごみ収集が有料化すれば家庭リサイクル術といった具合に、日本人はとかく節約術が好きな民族です。アメリカ人などが見たら「そんな小さな節約に労力をかけるなら、もっと稼ぐ努力をしたらいいんじゃないか?」と笑われそうなくらい、テレビでもしばしば節約術関連のコーナーを見かけます。
 
 私も普段だったら見向きもしませんが、こんなときにこそ威力を発揮するのではないでしょうか。たとえば、ガソリン節約術はもちろんのこと、冷蔵庫の奥に眠るあまり使わない食材を用いたレシピとか。家の中のモノでできる簡単節電術とか。はたまたあるのか分かりませんが、簡単節水術とか。普段ワイドショーで熱弁をふるっているリサイクルの達人さんたちにフル稼働で出演してもらい、その驚きの節約術を披露してもらえば、買えるだけ買い込んどかなきゃと焦る人々に一瞬考える間を与えてくれるはずです。そうなれば、半分くらいの人は、今困っている被災者や自分が買い占めれば困るであろう人々のことを想う余裕が生まれるのではないでしょうか。

 要は、マスコミに求められているのは救助活動真っ只中の被災現場をぶらつくことでも、品物の無い異常事態を煽ることでもなく、社会を鎮静させ方向性を与えることではないでしょうか。パニック状態を映しつづければ、報道の目的に反してパニックをより増大させるだけだということは、少し考えればわかるはずです。そこに気付かないということは、他局とのスクープ映像競争に盲目的になっているのではないかと不安になります。

 最後に、買占め騒動に対する感想ですが、そもそもいくら品物がなくなるかもしれないからといって、両手いっぱいにトイレットペーパーやら米やら水やらを抱えて「買えた、買えた」と悦に入る気には私はなれません。どうしても途中で心にストップがかかります。私も非常用に電池とカセットコンロのガスを買いに行きましたが、店を何軒かまわってようやく見つけた残り4、5個を、全部買い占める気にはどうしてもなれませんでした。次に買いに来る人がいるだろうことを考えると、1個予備で2個買うのが精いっぱいでした。AC(公共広告機構)のいかにも凝ってるぞと言いたげなCMより何より、他人がいることを少しでも思い起こせば、社会は助け合いの方向にいくはずなんですけどね。

  



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