師走もはや半分が過ぎました。まだ一年の総括には早いですが、今年だけで持病が2つも増えてしまった私としては、残り半月無事に過ごせれば何も言うことはありません(笑)。
さて、兵庫県朝来市(旧和田山町)にある竹田城址という古城址の名を聞いたことのある方は、最近ではかなり多くなったのではないでしょうか。建物は残っていないものの、峻険な山上に石垣が累々と連なるさまから、「天空の城」や「日本のマチュピチュ」としてメディアでしばしば喧伝されている城跡です。
竹田城のある旧和田山町は、県北部に近い山間部で、お世辞にも交通の便は良いとはいえません(一応、城のすぐ麓にJR播但線の竹田駅があります)。朝来市もそれほど観光に力を入れている自治体とは言い難いようで、にわかに急増した訪城客への対応は後手後手に回っているようです。世界遺産に登録された富士山と同様、増え続ける観光客が史跡に与える影響への心配から、竹田城址でも登山料を徴収するようになりましたが、それでも訪れた登城者の重みで石垣が孕んでしまったということですから、その人気ぶりは尋常ではありません。他方で、登城者が誤って石垣から転落するという事故も起きており、今月まで緊急の安全対策工事が行われているとのことです。
私の城跡オタクっぷりは、こちらのページにある通りですが、周囲からはこの竹田城址についての感想や、「もう行ったのか?」などの質問をよく受けます。ですが、この場をかりてはっきり申し上げますと、私は竹田城址には個人的にあまり食指が動きません。理由はいろいろとありますが、一言でいえば「キレイ」であることがアイデンティティーとなっている城には、あまり心が動かなくなってしまっているのです。お城に限らずオタク道に邁進している方なら共感いただけるのではないかと思うのですが、「キレイ」に整ったものよりも、一見「キタナイ」、崩れかけの石垣を藪のなかに発見した時の方が、圧倒的にキュンとくるカラダになってしまっているのです^^;
念のためにことわっておきますと、私も竹田城址の美しさや重要性を認めない訳ではなく、ただ私のなかの「訪れたいお城リスト」においては、竹田城址の順位はかなり低いところにランクされているというだけです。
実は今年、私は竹田城址の割とすぐ近くを通りかかっています。10月に出雲から山陰を東へとスライドする形で旅行したのですが、城崎温泉から特急こうのとりに乗って阪神方面へと向かいました。その際、播但線の終点であり、竹田駅の隣駅でもある和田山駅に停車しましたが、車内アナウンスでも「天空の城へは当駅でお乗換え」としっかり流れ、実際に降りる客も少なくありませんでした。私も寄り道しようと思えばできたのですが、残念ながら腰は上がりませんでした。私には、城崎温泉と和田山の中間あたりにある出石城(有子山城)の方が、よほど魅力的でした。
ということで、「天空の城」ともてはやされる一連の報道について、私にはあまり意見も感想もありません。だったらわざわざ記事なぞ書くなよといったところですが、今年の竹田城址ブームを見ていて1つだけ、「ミーハーの行動力ってすごいなぁ~」と感じました。
たしかに、山の上に総石垣の城跡が非常に良好な形で残っているというのは珍しく美しいように思いますが、実際には日本三大山城と呼ばれる岩村城・備中松山城・高取城をはじめ、数え上げれば結構あります。竹田城址が有名になったのは、日本100名城に選定されたからともいわれますが、竹田城がなぜ「名城」のトップ100に入っているのか私には納得がいきません(100名城なるものに対する疑問は竹田城に限ったことではないのですが、今回の主題と離れるので回を改めることにします)。山の上の美しい石垣を目にするためだけに、私のような城跡オタクでもない一般の人々がわざわざ山間の和田山までやってくるというのが、和田山の方には申し訳ないですがちょっと奇特に感じるのです。
私が思うに、今日の竹田城址ブームは、今年に入ってテレビやネット、雑誌などで雲海に浮かぶ竹田城の石垣の姿があちらこちらと掲載されるようになったからではないかとみています。一面の雲の海から、石垣だけがポッコリと顔を出している景色は、日本広しといえどもそうそうあるものではないでしょう。この点だけは、竹田城が他に比して優れている点といえるでしょう(とはいえ、「名城」というのとは違うと考えていますが)。ですが、この名物の風景を目にしようとするなら、雲海の発生条件である気温差の激しい早朝(秋が適季といわれています)に、竹田城址の周囲の、城跡より高い山に登らなければなりません。ましてや、当の城跡に登ってしまったら、「日本のマチュピチュ」と呼ばれる壮麗な石垣の全景を望むことはできません。この点、各種メディアの写真・映像に魅せられて訪れたミーハーの方々がどのように考えているのか、非常に気になります。
もう1つ気になるのは、一般の方々は竹田城という城についてどのくらいご存じなのかということです。私からみると、竹田城のもっとも重要な点は、関ヶ原の戦いからまもなく廃城となったというところにあります。先に挙げた三大山城をはじめ、今日まで山上に美しい高石垣を残す城のほとんどは、関ヶ原の戦いの後、すなわち江戸時代に入ってから築かれたり改修されたりしたものです。それに対して、竹田城は江戸時代にはすでに廃墟だったわけですから、江戸時代以前のままの姿を残しており、徳川の前の豊臣時代の築城形態を知ることのできる貴重な遺構といえるのです。とはいえ、そんなことは一般の人たちにはあまり関心の湧かないことでしょうし、そもそも竹田城が誰の城であったのか、知っている方がどれくらいいらっしゃるのか疑問です。竹田城は、戦国時代を通じて山名氏の重臣太田垣氏の居城であり、織田信長の家臣であった豊臣秀吉(当時は羽柴姓)によって攻め落とされ、一時期秀吉の弟の秀長に預けられていましたが、現在に残る城に改修したのは、関ヶ原の戦いまで城主であった斎村政広でした。といって、太田垣氏や斎村氏の名を知っている人はそう多くはないでしょう。つまり、歴戦の城ではあるものの、その戦いや城主については決して有名とはいえず、歴史上の名所という点からも、一般の興味を惹くところとは言い難いように思います。
以上のことから、一般の人々が竹田城址の本丸をめがけて年間単位数十万人もやってくる理由というのは、「メディアで取り上げられているから」「何か最近よく話題になっているから」ということ以外には、どうにもこうにも説明がつかないのです。もしそうであるなら、最近トレンドだからというだけで、大して関心もないところへ次から次へと人が押し寄せるというところに、私はミーハーと呼ばれる種類の人々の集団的な底力のようなものを感じるのです。それが、和田山の地域活性化につながり、ひいては竹田城址の本格的な調査や保存につながってくれれば、それ以上は望むべくもないかなと、一介の城オタクの考えるところであります。
ただ怖いのは、ミーハーの興味は常に一過性のものなので、現在の通りのブームはあと1~2年もすれば過ぎ去ってしまうだろうということです。ブームが去ったとき、一通りの環境整備がきちんと済んでおり、あとは名のみを求めるミーハーでない、実を求める観光客をしっかり掴める城跡となっているかどうかが、私の本当の気がかりです。
ちなみに、先に挙げた通り、竹田城は織田家臣時代の秀吉に攻め落とされているため、おそらく来年の大河ドラマに登場することでしょう。黒田官兵衛が直接城攻めに関わったという記録はないようですが、ドラマではきっとすんごい計略でもってあざやかに落としてくれることと思いますので、訪れた方はドラマの前半に期待なさると良いでしょう。
コメントありがとうございます^^
以前から万単位の登城客がいたのですね。それでも11年から12年の増え方は尋常ではありませんね。
入城料徴収でかなりの収入が見込めるでしょうから、市にはにわかハコモノではなく、恒常性のある観光開発と史跡保存をお願いしたいものです。土地の所有者だからというだけで私腹を肥やすどこかの安土城の寺などと違って、徴収元が自治体ですから、期待は十分にできそうですね。
次回但南を訪れる時は、私の場合は既述のとおり竹田城はむしろついでで、おっしゃるような周辺の埋もれた城跡を好んで見て回ることになろうかと思います^^;
元々竹田城へ訪れる人は増えていたようで2010年度辺りから爆発的増加しているらしく12年に完全に火の付いた状態なのだそうです。(09年3.5万人 10年5.2万人 11年9.9万人 12年24万人)
和田山市は取りはじめた入山料で年に数億円の収入源になる見込みをしておるらしく竹田駅周辺の再開発と周辺自治体との連携した観光地化を目標に南但馬全体の活性化を目指しておられるそうです。
竹田城周辺にも多数の山城や支城もありますので竹田城と併せて尋ねると面白いかもしれません。
こんばんは~^^ 貴サイトに突然丹波の話が出てきたと思ったら、ちょうどニアミスで訪れてらしたんですね。丹波・但馬の諸城がメインの御様子ですから、おそらく竹田城の麓も通られたのでしょうが、それでもスルーとはお互い筋金入りですよね(笑)。
思えば、但馬守護山名氏や丹波の雄波多野氏も、関東から下向した家々ですね。但馬路もそういう視点で訪れればまた違った見方ができたかもしれませんに、少々反省です^^;
特徴というものは、他のものと比べて初めて特徴として浮かび上がるものですから、西国の中世城郭をまとまった形で訪ねるというのはとても意味のあるものだろうと思います。今後のHPのアップに期待しております
私も人様が注目している城にはさほど興味もなく、今月初めに兵庫県内をぐるぐると回っていながら竹田城へは立ち寄りませんでした。
色々と回るのは好きなのですが、人が大勢いるのが落ち着かないのです。
なので竹田城はスルーし、周辺にある人の少ない大山城・玉巻城・山垣城・温泉城を訪ねて大興奮しておりました。
これらの城に共通するのはすべて武蔵出身の武士の末裔達が活躍した城でありまして、遠く離れた兵庫県で私の住む埼玉県の地名が出てくることは、個人的に感銘を受けるのでありました。
私として当然ながら城内のお絵かきもしてきまして、兵庫県の城の縄張りというのもじっくりと堪能させてもらえました。
地元が好きでその周辺しかウロウロしない私ですが、こうして遠く離れた関西地域の城をみることにより、色々と学ぶ事も多くありました。