塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

靖国参拝によせて:安保法案問題と70年談話雑感

2015年08月23日 | 政治
 
 既に終戦記念日から一週間が過ぎていますが、今年は知人を誘って靖国神社へ参拝してきました。8月15日の靖国参拝は2度目でしたが、前回は朝に出向いたためか人は多かったもののスムーズに本殿前まで行けたところ、今回は夕方近くだったためか、賽銭箱の前にディズニーランドも真っ青の長蛇の列ができていました。

 もうひとつ前回と大きく異なっていたのは、参道に露店が1軒も出ていなかったことです。7月のみたままつりの際に、若者のナンパやどんちゃん騒ぎを理由に露店が禁止されたことは知っていましたが、この日も同様の措置がとられていたようです。どちらも英霊に手を合わせるための祭日だからということもあるのでしょうが、それとこれとは話が別なような気がします。若者のお祭騒ぎだけが問題なら、日没とともに撤収させるようにすれば良いだけではないでしょうか。おかげで、しっかり営業していた常設の売店はあり得ない蒸し暑さに包まれていました。

 さて、この靖国参拝を奇貨として…というほど関連はありませんが、終戦の日に先立つ14日にいわゆる戦後70年談話が発表されました。現政権下最大の懸案となっている安保法案や、歴代政権からの立場の転換を匂わせた今年4月の米議会演説があるなかで、どのような表現が用いられるかが大きな焦点となっていました。

 米議会演説から敷衍して、70年談話には「反省」や「謝罪」、「侵略」といった文言が使われないのではないかという予断がなされ、安倍内閣周辺からは実際にそのように息巻いた発言がちらほら見受けられました。

 しかし、発表された談話には、結局いずれの語句も盛り込まれることになりました。ただし、これら3つのキーワードについてはかなり一般化した形で組み込まれており、村山内閣の50年談話や小泉内閣の60年談話と異なり、安倍内閣が主体的に用いているというスタンスを極力抑えようとしていることがうかがえます(方々で言われているような「引用」というのともまた違うように思いますが)。

 「謝罪」にいたっては、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」という何とも意味のない美辞に置き換えられており、「ではそのために何をしようというのか?」と問うても、その答えは談話の中には何一つ示されていません。

 全体的にみれば、米議会演説の頃の安倍総理の鼻息に比べれば、明らかに控えめになっているといえます。右を向いても左を向いても中途半端な内容といえ、歴代でもっとも無意味な談話と評価すべきでしょう。

 安倍談話がこのように一気にトーンダウンした背景には、安保法案問題やそれと関連した安倍チルドレンのお粗末な不祥事によって、内閣支持率が急速に下がっていることがあるのでしょう。ただ、だからといってここまで中途半端な談話に落とし込んでしまうことはまったくの誰得で、支持率がさらに下がることはあっても、上がることにはつながらないでしょう。まして、面倒な隣人たちとの関係がこれで改善するとは到底思えません。

 今回の70年談話にしても、安保法案にしても、私の一番の疑問は安倍総理がその先にいったいどのような大目的を据えているのかが分からないという点です。とくに、成立したところで日本が得をすることは何もない安保法案については、なぜここまで政権の体力をつぎ込むのか理解に苦しみます。

 ここでは安保法案の評価には踏み込みませんが、違憲であることはおそらく疑いの余地がないのでしょう。ただそれは、現下の憲法に照らし合わせれば違憲であり、違憲である以上、国にその法案の内容を履行させることはできないというだけのことで、法案そのものが良いとか悪いとか、必要か不必要であるかといった議論とはまた別の問題です。

 そこで、そもそもそもそもなのですが、自民党という政党は、思想的には大きなバラつきのあった終戦後の保守政党が、権力闘争を通じて対立していた吉田茂派の自由党や鳩山一郎派の日本民主党を中心に、「護憲」を掲げて統一・急成長した日本社会党に対抗するために「改憲」をお題目に合同を果たして成立した政党です。すなわち、「改憲」ないし「自主憲法制定」が自民党の悲願であり大目的であるということになります。
 
 そして、野党不在ともいうべき状況を生かして衆院選・参院選ともに大勝した安倍政権のもとでは、その悲願を達成できる可能性が大いにありました。安保法案について「合憲だと確信している」とただ鸚鵡のように繰り返すだけなのであれば、その憲法自体を変えることができる可能性があったはずなのです。

 ですが、もう無理です。一般の法案でこれだけ紛糾させたあとで、どうして憲法改正など国会論争の俎上に乗せられるでしょうか。安倍総理は自らの手で、自らの任期中に党の悲願を達成する機会を永久に葬り去ってしまいました。安倍氏は自身でそのことに気付いているのでしょうか?あまりにもその先の大目的の見えない安倍政権の運営姿勢に(小なるものは武藤議員から)、改めて疑問と不安を覚えます。

 最後に、完全に直観的な私見なのですが、現状を総合して唯一考えられ得る安倍氏の目的として、「保守転換のヒーロー」になりたいのではないでしょうか。第一次安倍政権のときもそうだったのですが、当初は(とくに外交面で)大局的な判断に基づいた悠々たる船出を見せるのですが、だんだんと小手先の挑発的・短絡的発言が飛び出すようになり、さらに取り巻きの小物が大きな顔をし出すようになっています。第一次政権時にも記事にしたのですが、おそらく安倍晋三という人物は人を見る眼が大きく欠けているのだろうと思っています。

 安倍氏本人は頭の回転の良い人だと思うのですが、とにかく佞臣・奸臣に憑りつかれやすく、甘言に惑わされやすい傾向のある方なのでしょう。「安保法案を通せば、あなたは日本の路線転換を成し遂げた首相になれますよ」と囁かれ続け、次第にその気になってしまったのではないでしょうか。そうでもなければ、現下の安保法案が、憲法改正のチャンスと支持率を捨ててまで成立させなければならないもののようには、私にはちょっと考えられないのです。

  



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