塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

無言館:戦没画学生の遺品美術館

2008年08月09日 | 旅行
   
 一昨日、長野県上田市にある無言館に行ってきました。無言館は、太平洋戦争に召集され命を落とした美大生もしくは美大卒業生の作品を、全国回って蒐集し展示している美術館です。夏休みでヒロシマの翌日だったということもあってか、多くの人が訪れていました。



 外観内装ともにコンクリートの素壁のこの閑かな美術館では、来館者は他の美術館にはない静止した時間と空間の中に佇まされます。展示されているのは絵画のほかに画帳や手紙などの遺品。絵の中にはかなり傷みが見られ、本来なら展示はおろか蔵の中にしまわれたままだったろうものもあります。

 しかし、この美術館が訴えるものは商品としての絵画ではありません。作者はみな、画学のさなか・探求のさなかに徴兵され戦没したのですから、商品価値など求めようもありません。展示されている作品は、必ずしも戦争に臨んで残した遺作という訳ではありませんが、どの絵にも将来への希望と、生きて帰れる保証のない戦地へ向かう無念さが滲んでいます。「できればずっとこのまま絵筆を握って描き続けていたかったのに・・・」という閑かな叫びが胸に響いてきます。ここを訪れた人は、誰しも戦争の惨さ、無益さを感じることでしょう。

 私は、戦争の最大の罪は、若い才能を徒に浪費することだと思っています。どの分野においても、若くて優秀な人材は必要です。しかし戦争は、こうした人材を殺し合いの前線に投入します。その中には、若い時分をやりたいことに傾注できていれば多大な功績を残せただろうに、戦争の混沌で無駄に命を散らした人たちが数多くいたことでしょう。
 
 絵という形で作品を残せた画学生達は実は幸いな方で、「もっとたくさん作りたかった」という若い靴職人もいれば、新しい独創的なアイデアを生み出せたかもしれない若い思想家や、美味しい野菜の栽培に生涯を注ぎたかった若い農家など、声もなく戦地に露と消えていった多くの才能があったはずです。

 生き残った人間で再建したこの時代が欠陥品だというつもりはありませんが、こうした才能ある人々が生き続けていたならば、もうすこし違った世界になっていたかもしれません。

 甲子園や北京オリンピックに沸いている裏で、今日は長崎に原爆が落ちた日です。私などはもはや親が戦争を知らない世代ですが、その爪あとは今なお消えずに影響を及ぼしているという事実から目を背けてはいけないと改めて感じました。

 無言館は、長野県は上田市と少々遠いのですが是非一度訪れるべき価値のあるところだと思います。

  



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