塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

東日本大震災:東電社長はベストを尽くしたのだそうです。

2011年04月14日 | 東日本大震災
  
 東電社長の「ベストを尽くした」連呼会見が取りざたされています。「爆発しておいてベストとは何事か」と怒鳴る記者もいました。被災地住民の気持ちを代弁していると自負しているのでしょうが、落ち着きなさいと言いたいところでした。

いつも通り穿った見解をさせてもらえば、「ベストを尽くした」と発言すること自体には、それほど問題はないと思っています。そもそも「ベスト」とは「最良・最高」、すなわちそれ以上は望めない最上級という意味です。では何にとって最上なのかというと、社会的最上と個人的最上の2種類があると思います。社会的最上とは、その社会における最高の人材・資材を最高のタイミングで用いる最上の策を遂行するということです。ここでいう社会とは、国であったり、地域であったり、会社であったりするわけです。

 ただ、社会的最上というのは、それが本当に最上なのかどうか判断しづらいという面があります。もっと究極的に、禅宗や道教・キリスト教のような宗教的な観点からすれば、そもそも社会的な最上など人の手では成し得ないものということになります。神様でもない限りは、それが社会的最上であったか否かを断ずることはできず、「ベストを尽くした」と言ってさえしまえば人間にはそれ以上追及する術はありません。会見に臨んだ記者たちも、会見を見た視聴者も、この意味でのベストと理解したためにはらわたが煮えくり返りながらも、臍を噛んで見ているより他なかったのでしょう。

 ところが、これが個人的最上を指していると解した場合、話が少し変わってきます。個人的最上とは、その人の能力を総動員するということです。つまり、東電社長がこの意味で「ベストを尽くした」と発言したとすると、「私の能力を総動員した結果が現下の状況です」と白状したことになります。とすれば、今なお社長のイスに座り続けていることが異常といえるほど能力に欠けた人物であると自ら吐露していることにもなります。状況を収束させることが責務とおっしゃっているようですが、収束させる能力などないことも自認なさっていることになります。

 自身に事態を打開する能力がないと分かっていながら社長に留まり続けなければならないとすれば、非常に可哀そうな方ということになります。この上は何とか一刻も早く重責から解放して差し上げて、よりレベルの高い「ベスト」を尽くせる能力をもった人物を起用すべきでしょう。もちろん被災地の為が第一ですが、ご本人の為にも。

  



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