塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

台湾滞在記

2009年03月01日 | 旅行
  
 最低気温0℃前後の仙台から最低気温20℃超の台湾へ行ってきました。ヨーロッパは昔ちょっと徘徊してたこともありましたが、アジアは今回が初めてでした。

 沖縄よりも南に位置するが故の気候にはもちろん始終圧倒されましたが、さらに驚かされたのは聞きしに勝る道路事情です。ジャンクションはあちこちでクロスしまくり、1mも開いていれば割り込み上等、車線2つ3つ飛ばして移動は当たり前。とてもじゃないけど、少なくとも台北では運転したくありません。。

 さらに壮観なのは単車の量です。台湾では人より車、車よりバイクが優先だそうで(中国もそうなのでしょうか)、タクシーでも何でもちょっとでも隙を見せると後ろからバイクにクラクションを鳴らされます。信号では横断歩道と停止線の間にバイク専用ゾーンが必ず設けられており、信号待ちをする車の間を縫ってどこからともなく10台単位のバイクが集結します。彼らは排ガスを吸わないようマスクやハンカチを口元に装着しているため、傍目には暴走族か赤軍の群れにしか見えません。むしろ日本の暴走族が台湾を走れば、たちまち赤面して逃げ去ってしまうんじゃないかと思います。

  
交差点のバイク。これでも決して多くはありません。


 まあ、こんなことは誰でも行けばすぐに分かることですから単純なカルチャーショックの話はこれくらいにします。今回訪台したのは観光というよりも、私の祖父を台湾にいる旧友に会わせるためでした。お互いに年賀状はじめ文通は絶やさなかったようですが、どちらも80歳オーバーなので、今のうちに一回会っておかないといつ何があるか分からないということでセッティングしたものです。

 80オーバーということから分かるように、向こう方は日本統治時代のご出身で、第一言語は中国語ではなく日本語、蒋介石ら中華民国人はよそ者という台湾の歴史を背負った方でした。それどころか、三代前は台湾を征服した黄南球という清朝の将軍だそうで、中国語のウィキにも名前が載っています(中国語は読めないので、誰か訳してくれないかなあ)。まあ、そんな黄さんは学生時代に日本で学び、同学生だった私の祖父と知り合ったようです。

 なので黄さんと話すのには何の苦労もなかったのですが、そこに至るまでのホテルや店などでは意外と英語も日本語も通じず大変でした。余りに通じないのでイラッとすることもしばしばだったのですが、逆に日本に来た外国人も同じように感じるのかなと思うと複雑でした。

 さて黄さんとの話に戻すと、一緒に行動して一番感じたのは向こうの人の歓待の凄さでした。もちろん人一人に会っただけで民族性まで断じてしまうのは早計ですが、台湾人は人を招くのが好きで、特に心を許した友人となると何でもかんでもしてあげないと気がすまないとは聞いていたので、その正しさが実証された形でした。

 結局、会った日の昼食と晩餐、一泊したホテルの宿泊料、翌日の昼食と観光に使った車代に至るまで一銭も出させてもらえませんでした。特にホテル代はさすがにまずいので払わせてくれとかなり食い下がったところ、逆にこちらが怒られてしまう程で、台湾の人の接待にかける情熱に参ってしまいました(中国もこうなんでしょうか)。

 食事も、昼も夜も円卓を囲んで次から次へと料理が運ばれ、もちろん珍しいし悪いし頑張って食べるんですが、量と油と慣れない味付けで日本人にはかなりのオーバーワークでした。気持ちは重々にうれしいのですが、家族全員接待責めで殺されそうだと震えおののいていました。肝心の祖父との友情ですが、もう80も過ぎると自分の話しかしなくなるもののようで、お互いに自分の自慢話と苦労話を噛み合うことなく続けている感じでした。

楽しくうれしくありがたい二日間ではありましたが、いろんな意味で疲れました。ただ、こうした文化的なギャップを楽しむのも旅行の醍醐味ですので、なかなか満喫できた台湾訪問だったと思います。

 最後に、台湾全体として感じたことを総括すると、一つには台湾は良くも悪くも日本との関係でもってるんだなあと思いました。朝のホテルロビーは日本人ツアー客であふれ、どの観光地にも日本語が氾濫し、空港の免税店ではむしろ日本語しか聞こえません。日本は重要な貿易相手というだけでなく、観光という形で結構国内消費にも貢献しているんじゃないかと思います。

 もう一つには、植民地支配に起因するような反日感情に全く出会いませんでした。黄さんの友人という、これまた日本語教育で育った方とも会いましたが、こちらも木琴で「春が来た」や古い軍歌を演奏してもてなすなど、意外なほど親日的な対応だらけでした。また密室で素の反応が出やすいタクシーでも、皆とにかく親切でした。行ってないので分かりませんが、中国や韓国ではおそらく約一週間一度も反日的な出来事に出くわさないというわけにはいかないんじゃないかと思います。

 結局、馬英九だろうと陳水扁だろうと一般の日台関係はほとんど動じないのかなと感じさせられました。
  



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