塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

欧州の欧州による欧州のための世界文化遺産②:日本の世界遺産と日本遺産のすゝめ

2013年09月05日 | 社会考
  
 前回、ドイツのドレスデンを例に挙げて、世界遺産の選定や抹消には我々日本人の感覚とは異なる欧州の論理がはたらいている可能性が高いという点を指摘しました。そして、この欧州の論理は、日本の世界遺産、とくに文化遺産の選定にも大きく影響しているように思われます。

 もっとも分かりやすいのは、島根県の石見銀山(大森銀山)でしょう。一般的に、日本国内の明治維新以前の鉱山として真っ先に思い浮かべられるのは、新潟県の佐渡金山だと思います。失礼ながら国内の知名度でいえば、石見銀山の順位は決して高くないはずです。世界遺産登録以前から石見銀山を知っていた日本人がどれくらいいるでしょうか。

 しかしながら、世界遺産に選ばれたのは佐渡金山ではなく、石見銀山でした。この背景には何があるかと考えたとき、ヨーロッパの視点に立つとすっきりと説明がつきます。すなわち、江戸時代の日本の主要な対外輸出品は金ではなく銀であり、対外とは基本的に対ヨーロッパを指していました。日本産の銀は質が良く、最盛期には銀の全世界流通量の約3分の1が日本産出の銀であったといわれているそうです。ここにいう「世界」の半分以上はヨーロッパを指します。したがってヨーロッパとのつながりを考えると、金山よりも銀山の方が重要であるということになり、知名度では劣る石見銀山が選ばれたのだと考えるとしっくりいくのです。

 佐渡金山も世界遺産への登録を目指しているそうですが、遅ればせながらこの傾向に気付いたのか、近年は「佐渡金山遺跡」として申請しているようです(佐渡金山も、金ほどではありませんが、銀も産出していたそうです)。

 また、その他の日本の文化遺産を列挙してみると、宗教・信仰関連の建築物が多いように思われます。ここにもまた、キリスト教という宗教が、日本人にとっての宗教よりもはるかに高いところに位置しているヨーロッパの意向が強く表れているとみても邪推ではないでしょう。

 たとえば、東日本大震災から3か月後の2011年6月、平泉の中尊寺や遺跡群が世界文化遺産に登録されました。このとき、申請時には含まれていた4つの構成要件が、ユネスコのICOMOS(国際記念物遺跡会議)の勧告によって除外されました。そのうちの2つ(白鳥舘遺跡と骨寺村荘園遺跡)は中世の城館や荘園跡の遺跡で、宗教とは直接関係がありません。平泉の正式登録名が「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」であることからも、歴史的というよりも宗教的な遺物である点に価値が置かれていることが分かります。

 さて、この「ヨーロッパとの関連性」「宗教的要素」という2つのポイントを駆使してようやく悲願を達成したのが、今年登録された富士山です。そもそも富士山を自然遺産ではなく文化遺産として申請するということ自体が、以前からいわれていたことですが、どうにも奇策というか詭略といった感が否めません。世界文化遺産を列挙したとき、富士山がドイツの製鉄所(フェルクリンゲン製鉄所)や製靴工場(アルフェルトのファグス工場)などと並んで登場するというのは、なんとも違和感を覚えます。

 世界遺産富士山の正式登録名は、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」です。「信仰の対象」が前に挙げた宗教的要素にあたるのは分かるとして、ヨーロッパとの関連性はどこにあるのかというと、もう1つの「芸術の源泉」という部分です。富士山と芸術というと、まず思い起こされるのが江戸時代後期の浮世絵であろうかと思います。安藤広重や葛飾北斎の描いた富士山の浮世絵は、ヨーロッパに渡って印象派以降の西洋画家に「ジャポニズム」という形で大きな影響を与えました。つまり、「芸術の源泉」とは日本における芸術を指すのはもちろんのこと、ヨーロッパの近代絵画の発展に大きく寄与したという側面を色濃く表しているものといえるのです。

 日本人にとってはそこまで深く考えずとも、富士山といえば世界に誇るべきもの、無条件で世界遺産に登録されてしかるべきものといえるほど美しく厳かな自然遺産ですが、実際にはこうしていろいろと文化遺産としての理由づけしなければ認められないというところに、日本とヨーロッパとの間の大きな溝があるといえます。

 このように、日本人としては世界遺産に推して当然と思われるものでも、ヨーロッパの文脈に沿った形でアピールしなければ登録もおぼつかないというのが実情といえます。次回の選定にあたって、日本では長崎が「教会群」の推薦を目指していると聞きます。これも、こうした傾向を踏まえての動きであるとみて間違いないでしょう。歴史的に重要な遺物を多数有し、また広島と並ぶ世界唯二の原爆被災地であるにもかかわらず、「教会群」を中心に据えたというのは、それが登録への早道であると覚ったからであると推測されます。

 ですが、このようなヨーロッパ視点におもねったアプローチを続けることが、日本の観光面において望ましいとは、私には思えません。もちろん観光「業」からみれば、客が来てくれさえすれば世界遺産の中身などそれほど重要ではないでしょう。また現在富士山に殺到しているミーハーな客人たちも、「世界遺産」と銘打ってさえあればただの犬小屋だってありがたがって拝みに来る人たちでしょうから、世界遺産の選定基準など問題ではないはずです。ですから、私の心配は雲の上からフワフワと言っているようなものなのですが、それでも現状を憂えずにはいられません。このままの状態が続けば、日本の文化遺産・観光遺産は偏った視点・文脈でのみ捉えられ、発信されていくことになりかねません。

 そこで、世界遺産に対抗して「日本遺産」なるものを制定してはどうか、というのが私の意見です。すでに、「日本遺産」を創設してはどうかという動きは小さいながらあるようですが、それはあくまで世界遺産に推薦すべき予備軍リストのようなものを意図しているようです。それでは結局同じことで、私の考えている日本遺産は、世界遺産とはまったく別個に日本が日本の視点で価値があると思われるものをどんどんリストアップして登録し、日本から世界に向けて独自にバンバン発信してはどうかというものです。積極的に「日本遺産」を海外の旅行関係業者に売り込み、それを参考に日本観光を組み立ててもらえば、日本の対外国人観光業もより組織的に対応できるようになり、活性化できるのではないかと考えています。

 現在、世界文化遺産の国別登録数をみると、トップはイタリアの45箇所で、日本は13位の13か所です。日本が文化的価値でイタリアにトリプルスコア以上の差をつけられているとは私にはとても思えません。イタリアに限らずヨーロッパの大国が軒並みランキング上位に君臨するなかで、日本は自国の文化の素晴らしさや特異さを、独自にアピールする手段をもつ必要があると思われてなりません。