塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

なぜ目は前に付いているか?

2011年02月01日 | 徒然
  
 今日はどうでもいい雑談です。

 突然ですが、ドラえもんの話の1つに「ジ~ンマイク」という道具が出てくる回があります。この話の冒頭で、いつも通り0点をとって1人教室で悶々とするのび太に、先生が次のような言葉をかけます。「目が前についているのはなぜだ?前へ前へと進むためだ。今日を振り返らないで、常に明日を目指してがんばれ!」と。

 この言葉にいたく感動したのび太は、誰かに伝えようと帰る道々で会った人たちに「ねぇねぇ、目が前についているのはなぜだかわかる?」と声をかけまくります。ところが、静香ちゃんには「後ろについてたら髪が邪魔で見えないもの」とあしらわれ、母親には「テストを見るためです!」とにべもなく返されてしまいます。

 そんな報われないのび太のためにドラえもんが出したのが「ジ~ンマイク」で、このマイクを通してしゃべれば、どんな内容でも誰でも感動させられるという道具です。

 で、今日の話題はこの道具やこの回のオチではなく、最初に先生の挙げた「目が前についているのはなぜか?」という問いです。もちろん、「今日を振り返らないで、明日を目指してがんばれ」という励ましにつなげるための導入に過ぎませんが、こういうどうでもいい問いを真剣に考えたくなってしまうのが、僕の悪い癖(右京さん風)です。

 さて、何故目は前についているのか?作中で意外(?)にも説得力があるのは、静香ちゃんの「後ろについていたら髪が邪魔で見えないから」説でしょうか。ただし、これは「目が後ろについていない理由」ではあっても「前についている理由」にはなりませんね。先生の「前へ進むため」というのは、後に続く精神論的な解釈ではなく現実問題として捉えれば、当然といえば当然です。

 ここで、私の見解はもっとシンプルかつ原則論的です。「目が前についている」のではなく、「目がついている方向が前になる」のです。。

 いま、出来上がった人間ではなく、目も足も手もないアメーバのような原始的状況を考えましょう。ここから、まず目→手足の順に進化すると想定します。すると、当然ですが目が付いた方向に動けるように手足が生えるのが合理的となります。逆もまた然りで、手足→目の順ならば手足が向いている方向が見えるように目が付くのが合理的です。

 これは、目が同一面に並んでいる霊長類でも、顔の側面についている四足歩行動物でも同じです。視界の中心が「前」となるのです。すなわち、視界が360度開けていない限り、死角が1度でもある限り、視界の中心が「前」になるわけです。

 鶏が先か卵が先かのような話となりましたが、なぜ目が前についているかといえば、目がついている方向が前になるからというのが結論です。一応、トートロジーではありませんよ。鶏卵の話と違って、目が付くのが先ですから。

 と、どうでもよいことを考えながら、早くも1月が過ぎ去っていきます。。