塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

来年2017年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』について:一抹の期待

2016年12月19日 | 雑感
 
今年の大河ドラマ『真田丸』が終わりました。私の総視聴時間は、およそ15分といったところでしょうか。私をはじめ、周囲の人間には「あれを視るなら『真田太平記』の方が良い」という意見が多く、実際にDVDボックスまで買った輩もいました。

さて、来年の『おんな城主 直虎』についても、女性であれば何でも良いという昨今のNHKの姿勢が如実に出ていますね。戦国時代では珍しい女性当主ということで取り上げられた井伊直虎ですが、最近では実は男性で他家からの養子だったという説も出ているほど、実際にはどういう人なのかよく分かっていません。

というわけで、この話をどうやって一年引っ張っていくのか、早くも鈍色の雲が立ち込めているように思います。ですが、個人的には2点ほど、来年のドラマにはちょっと見てみたい気になるところがあります。

1つは、おそらく半分くらい、短くとも前半3分の1ほどは、ドロドロに暗い展開が続くであろうことです。直虎および井伊家には、『おしん』の如くこれでもかと辛い出来事が降りかかります。

そもそも、何故に女性の直虎が(当時の慣例に反して)家督を継がざるを得なかったのか。話は、直虎の父直盛のころに遡ります。井伊家当主の直盛には直虎以外に子がなかったため、叔父直満の子で従兄弟の直親を養子にします。ところが、これに不満をもった家老の小野和泉守道高(政直)という人物が、井伊家の主君にあたる今川義元に讒言し、直満とその弟直義を自害に追い込んでしまいます。

直親は難を逃れて信州に落ち延びましたが、ほとぼりが冷めたのか、成人すると帰郷しました。と、桶狭間の戦いで今度は直盛が討ち死に。直親が家督を継ぎますが、ここでも家老小野氏が暗躍します。和泉守の息子但馬守道好(政次)がやはり今川氏に讒言し、直親は弁明に向かう途中を襲われて殺害されます。

男子不在の井伊家をまとめるべく、隠居の身であった直盛・直満らの祖父(つまり直虎の曽祖父!)の直平が老体をおして御家存続に奮闘しますが、こちらも同年中に陣没ないし毒殺。めぼしい成人男子が本当にいなくなってしまいました。


井伊氏の詰城、三岳城からの景色


そこで、協議の末にピンチヒッターとして登場したのが、直虎というわけです。当時井伊家には直親の子虎松がいましたが、まだ生まれたばかりの赤ん坊でした。なので、虎松が成人するまでの中継ぎとして、直虎の家督相続が実現した訳です。

しかしながら、不幸はまだ続くのです。翌年には、井伊家の後見を買って出ていた中野直由(井伊氏の分家)と新野親矩(直虎の母祐椿尼の兄)が揃って討ち死にしたため、井伊家は後ろ盾を失ってしまいます。ついには、小野道好によって居城の井伊谷城を逐われる事態となりました。


井伊谷城跡を望む


このころ、お隣の三河国では徳川家康が勢力を伸ばしていました。そこで直虎は家康に接近し、その麾下に収まることで発言力を回復します。家康の命をもってようやく、奸臣小野道好とその一族を滅ぼすことに成功しました。

とまぁ、このように直虎の半生は臥薪嘗胆の字の如く、耐えに耐えて虎松の成長を待ち続けるというものでした。どうあがいても明るいストーリーにはしにくい井伊家の混乱をどう扱うのか、とくに絵に描いたような小悪党の小野親子を誰がどう演じるのかは、少々見ものなように思うのです。

さて長くなってしまいましたが、もう1つの気になる点は、打ってかわってラストです。

直虎は、本能寺の変の起きた天正十年(1582)に亡くなります。この年、虎松は元服して井伊直政と名乗りました。直政はその後、徳川四天王のひとりに数えられるほどに武功をたて、彦根藩の初代藩主となります。ですが、そのような華々しい活躍がみられるのは全て直虎の死去後のこと。ドラマが直虎の死までを描くのであれば、直政の立身出世には触れられずに終わることになります。

そうなると、「井伊家の戦いはこれからも続く!」みたいな、少年ジャンプの打ち切りのような最終回になってしまう訳で、ここをどうするつもりなのかが、何となく楽しみではあるのです。

とはいえ、例年のごとくそこまで期待はしていないので、熱心な視聴者になるかどうかは、ひとえに小野親子の活躍ぶりにかかっているといったところでしょうか(笑)。

  



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