今日は「パン」の話でした。4つの福音書すべてに語られている唯一の奇跡、「五千人の給食」。イエス様が女子供合わせて二万人にもなろうかという群衆の空腹を、たった5つのパンと二匹の魚で満たしてくださった奇跡です。今は日本でも貧困は厳しい社会問題であり、炊き出しや各種の援助をする教会も少なくありません。「お腹がすいた。」「お金がない。」「落ち込んでいるから祈って。」そんな急場をしのぐための恵みも確かに必要です。イエス様も「五千人の給食」の奇跡を行ってくださいました。でも問題が起きる毎に「神様、助けて!」とすがることはどうでしょうか。だからイエス様は、この奇跡の後に「いのちのパン」について教えてくださったのです。神様を知らなくても、クリスチャンであっても、私たちがほんとうに必要なのは、「いのちのパン」なのです。
満腹した群衆は、更なる奇跡(=パン)を求めてイエス様を追いかけます。このイエス様の時代、生活に困窮する人々は今よりもずっと多く、事態はずっと深刻だったはずです。このイエス様について行けばパンに事欠くことはない!と思った彼らに、イエス様は仰います。
イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」(ヨハネ6:26-27)
食物も、お金も、生活も大切です。しかし、生きる目的はこれらではないとイエス様ははっきりと仰っています。「永遠の命に至る食べ物」こそに、私たちが働く目的、人生の意味があるのです。このイエス様がほんとうに伝えたいことを受け取った人は、御言葉の力と聖霊様の導きによって、自ら不幸になる道を選ばなくなり、真の人生を見つけ出します。この奇跡の直後、湖上で困難に遭った弟子たちも同じです。
イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネ6:35)
このことを受け取れなかった人、理解しなかった人はどうなったでしょうか。「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。(ヨハネ6:66)」弟子であっても、イエス様から離れ去ったのです。なんとここに、黙示録にも記される「666」の数字があります。そう、いのちのパンを否定する者が反キリストなのです。
奇跡を単なる奇跡(=パン)で終わらせてしまうか、それに永遠の命に続く意味(=「いのちのパン」)を見出すかで、クリスチャンもノンクリスチャンも、神様を知っている人も知らない人も、最後の時に分けられます。最後の審判の「裁き」は、原語でクリネイン、「分ける」の意味があります。「いのちのパン」であるイエス様と一緒であれば、どんな状態でも心が飢えることはなく、乾くことはない。これを知っているのが私たちクリスチャンです。今日、お腹がすいている方、一緒にご飯を食べましょう。ここにはご飯も、いのちのご飯も用意しています。
今週の教会ご飯/豚汁定食
ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。牧師なし、会堂なし、聖書のみ、お食事付き!毎週土曜日朝に、集まって祈り、分かち合いの時を持っています。一度でも、「教会って敷居が高い。。。」と悩んだことのある方、ぜひこちらへ!教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。ただ、それだけを目指して、小さな群れながら、神様を礼拝します。いつでもご連絡ください!213-324-6942 / MUTSUMI
小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。(ルカ12:32)
彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。(使徒2:42)
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満腹した群衆は、更なる奇跡(=パン)を求めてイエス様を追いかけます。このイエス様の時代、生活に困窮する人々は今よりもずっと多く、事態はずっと深刻だったはずです。このイエス様について行けばパンに事欠くことはない!と思った彼らに、イエス様は仰います。
イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」(ヨハネ6:26-27)
食物も、お金も、生活も大切です。しかし、生きる目的はこれらではないとイエス様ははっきりと仰っています。「永遠の命に至る食べ物」こそに、私たちが働く目的、人生の意味があるのです。このイエス様がほんとうに伝えたいことを受け取った人は、御言葉の力と聖霊様の導きによって、自ら不幸になる道を選ばなくなり、真の人生を見つけ出します。この奇跡の直後、湖上で困難に遭った弟子たちも同じです。
イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネ6:35)
このことを受け取れなかった人、理解しなかった人はどうなったでしょうか。「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。(ヨハネ6:66)」弟子であっても、イエス様から離れ去ったのです。なんとここに、黙示録にも記される「666」の数字があります。そう、いのちのパンを否定する者が反キリストなのです。
奇跡を単なる奇跡(=パン)で終わらせてしまうか、それに永遠の命に続く意味(=「いのちのパン」)を見出すかで、クリスチャンもノンクリスチャンも、神様を知っている人も知らない人も、最後の時に分けられます。最後の審判の「裁き」は、原語でクリネイン、「分ける」の意味があります。「いのちのパン」であるイエス様と一緒であれば、どんな状態でも心が飢えることはなく、乾くことはない。これを知っているのが私たちクリスチャンです。今日、お腹がすいている方、一緒にご飯を食べましょう。ここにはご飯も、いのちのご飯も用意しています。
今週の教会ご飯/豚汁定食
ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。牧師なし、会堂なし、聖書のみ、お食事付き!毎週土曜日朝に、集まって祈り、分かち合いの時を持っています。一度でも、「教会って敷居が高い。。。」と悩んだことのある方、ぜひこちらへ!教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。ただ、それだけを目指して、小さな群れながら、神様を礼拝します。いつでもご連絡ください!213-324-6942 / MUTSUMI
小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。(ルカ12:32)
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