怒る事があっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れる様であってはならない。(エペソ4章26-27節)
先月27日に起きた米テネシー州のミッション系小学校での銃乱射事件。現地警察の発表では、個人に対してではなく、学校に対して何らかの恨みをはらす為の計画的犯行だったと言う。 世の中は、銃規制の方に論点が行ってしまっているが、無抵抗な人達に向けて、まるでゲーム感覚のように(被害者の方々には実に耐え難い表現だが) 銃を乱射する行為は、単に狂人による犯行の一言で片付けられる問題ではない。
こうした世の中で起こっている様々な事件の発火点となっている「怒り」には、情緒的側面と霊的側面の両方があり、それが複雑に絡みつつ人間は行動に至る訳だが、そうした事は私達の日常生活レベルから、世界情勢レベルまで、人間社会の裏舞台で強く影響し続けている。今回は「新しいエルサレム」のメッセージの前に「怒り」に関する情緒的側面と、霊的側面の二つについて、そしてその対処方法についてお話しをする。
先月27日に起きた米テネシー州のミッション系小学校での銃乱射事件。現地警察の発表では、個人に対してではなく、学校に対して何らかの恨みをはらす為の計画的犯行だったと言う。 世の中は、銃規制の方に論点が行ってしまっているが、無抵抗な人達に向けて、まるでゲーム感覚のように(被害者の方々には実に耐え難い表現だが) 銃を乱射する行為は、単に狂人による犯行の一言で片付けられる問題ではない。
こうした世の中で起こっている様々な事件の発火点となっている「怒り」には、情緒的側面と霊的側面の両方があり、それが複雑に絡みつつ人間は行動に至る訳だが、そうした事は私達の日常生活レベルから、世界情勢レベルまで、人間社会の裏舞台で強く影響し続けている。今回は「新しいエルサレム」のメッセージの前に「怒り」に関する情緒的側面と、霊的側面の二つについて、そしてその対処方法についてお話しをする。