「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

冒とく

2005-04-29 21:23:03 | その他
遠野の一部の桜は開花、明日、明後日でほぼ全域の桜は開花となるであろう・・。ちなみに福泉寺の桜はまだであるが、こちらも間もなく開花となり連休後半は満開となりそうである。

消防の三大行事のひとつ・・(遠野において)恒例の消防演習が行われた。消防の三大行事とは消防演習、消防操法大会(隔年)、出初式を指す。若い頃はこの三大行事は何があっても参加しなければならないという義務と先輩、上司からの暗黙の圧力があって、実際、私も友人の結婚式に欠席という場面、少しくらい体調が悪くて参加ということもありました。それだけ消防人にとっては意義深い行事でもあります。
今も、大事な行事ではありますが、所用があったり具合が悪ければ不参加なんていう若い職員もいて、随分と消防魂的な考え方も変わったものだと思うこの頃でもある。
まずは早朝より訓練に参加された消防関係者に敬意を表したいと思います。ご苦労様でした。

さて、どうしても許せない行為を見てしまった。私にとっては冒瀆そのものと映った内容でもある。「こんなことで馬鹿じゃないの、変わっているね」と思われることだと十分理解はしているが、しかし、どうにも腹の中がうやむやすることでもある。
それは、遠野のとある史跡でのこと、若い男性二人連れ、カメラ片手に史跡といいますか、謂れのあるものを撮影している。ここまでは遠野好きの観光客でも私でもよくある普通の姿である。
次の瞬間、笑いもでたが、徐々に怒りに似た思いが込上げてきた。それはリカちゃん人形或いはバービー人形か?お人形さん5~6体をその石碑に綺麗に並べて撮影している。角度を変えたり・・・
別に目くじらをたてるような内容ではないっ、私も一瞬苦笑いをした、しかし、なんでこんなことして撮影しているんだっ・・と考えてしまう。私にはホームページかブログ用の画像収集か?単なるウケ狙いでの行為ではないのか、だとしたら遠野のこと、遠野の民俗を何一つ理解していない輩の単なる遊びと思えて仕方がなかった。単なる観光客が何も知らずに旅の記念にとした事ならまだ許せる、しかし、彼らの態度は単なる観光客ではない、なにかしら下調べなり、何かしら知っていたのことだと思えてしまう。
石碑ひとつであっても、長い歴史を刻み、昔から遠野の人達の思い、守り伝えてきた何かがある。画像を撮るならそのままの姿、帰ってから加工することがあってもこれが遠野だっ、これらを素直に収めてほしい・・、遠野の人々が守り伝えてきたものに自分の趣味か何かは知らないけど、お人形さんはないだろう・・・おそらく石碑に語りかけるシナリオもあるに違いない、そんなことを考えていたら益々怒りが込上げてきた。
そんな彼らでも遠野は変わりなく迎えてくれる、懐は暖かく広い、だからこそ、遠野を大切にしてほしい、我々遠野に生まれ育った者も今後変わらない遠野を守り伝えていく所存でもある、だから、お願いです、冒瀆に近い行いはしないでほしい・・・私に対し変わっているね、視点がずれている、カラスの勝手でしょ、それでもいいです。本人達からよく話を聞けばいいのに・・色々とあると思います。ご理解を・・・。
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論争

2005-04-27 19:46:09 | 歴史・民俗
今日は車の修理のため、紫波に行ってきた。盛岡では石割桜が見頃とか、紫波も大迫も桜が二分咲き程度か、梅も一緒に咲いており、白、ピンク、地面は黄色の水仙、いよいよ北国も本格的な春到来となっております。
ちなみに遠野の桜はまだ開花に至っておりません、一部早咲きの桜がほころんだという情報はありますので、間もなく開花となりそうです。見頃は連休後半でしょうね。

紫波からの帰り、大迫の早池峰神社を訪ねてきた。別に何をするでもないが、遠野の早池峰神社とは、やはり雰囲気が違う、人こそ居なかったが、それでも大迫の方が明るい感じがする。
宿坊もあり、早池峰山も間近にみえ、この山々を越えた南にほんとに遠野の早池峰神社があるのか・・と思わず思ってしまう自分がおりました。
歴史や民俗学を少しかじったり、興味を持つ方々は承知しているものと思いますが、遠野、大迫、どちらが早池峰神社或いは妙泉寺の本家か?・・この論争を聞いたことがあると思います。一応は90年余りの争いが事実でありますが、徳川幕府も巻き込み、最後は南部藩にその裁定権が言い渡され、どちらも本坊であるとの裁定で決着がついたとされます。しかし、細かな部分や運営、山頂の本宮の管理権等の問題が発生、実際は双方相争い、南部領真言宗総録席、盛岡の永福寺を巻き込みさらに論争が続いたといわれます。最後は大迫側、岳妙泉寺がさも本坊のような見解になりかけたようでもあるが、遠野側では地道に抵抗、長きの論争で共に精力を使い果たして和睦という形で終結といわれている。
しかし、識者、地元間では、まだまだ火種は消えていないかもしれない、どちらが本坊(家)か、現代の世ではナンセンスと思う事柄ですが、共に協力し、交流を図りながら繁栄し存続する、これに尽きるものです。
両者の論争があったからこそ、早池峰山の歴史がさらに表に出、その重要性も認識されたことは否めないものかもしれない。

内容こそ違いますが、似たような案件、身近にございます・・さてどうなることやら・・。

画像は、大迫側早池峰神社からみた早池峰山。
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遠野菊池党

2005-04-24 19:08:03 | 菊池氏

小生にとっては連休最後の日、昨日の寒の戻りとはうって変わってスッキリと晴れ渡った。
そんな中、気になる史跡等があって、先日にひきつづき土淵のとある集落に足を伸ばしてみた。
同僚の家が二件向かい合っている場所があるが、どちらかの家に車を停めさせてもらおうと、静に走っていると、以前見なかった説明版を発見、早速画像におさめていると、道の先から視線を感じる、近所のおやじさんがこちらをずっ~と見ている。・・・まだ見ている、そんなにカメラを持っている人間が珍しいのか、それとも不審者に見えたのか、その場から帰るのもなんだから、行って史跡の場所でも聞いてみようということで、まずは車を道端に停車、すかさず車から降りると、そのおやじさんが、「おっ、おめえ、どっこからきたあ」私、「えっ~と、駒木です」おやじ、「おめえ、駒木の政人のむすごだべっ」私「ほだっ」おやじ「おやず、そっくりだと思ったがら、・・うんだべえ・・やっぱなあ~」私(大きなお世話だと思う)おやじ「こんたなむがすっこのごと、すぎなのすか」私「すぎだす」・・・そのおやじさんに親切にも史跡の場所、その他の見所と解説をいただき無事に探訪終了とあいなりました。

さて、サイト仲間の方から表題の書籍情報をいただいた「遠野菊池党」・・その方曰く私のためにあるような本ですね・・そのとおりなので、すぐに調べて花巻に行くという義妹に頼んで買って来てもらった。しかし、少々高い、4800円だっ。
ちらちらとまずは見てみたが、かなり踏み込んだ内容だ、参考資料、図書も膨大で、少し飛躍した考えも記述されている、遠野阿曽沼氏の関連も詳しい、拙サイトを参考にしたのでは・・思う記述もあるが、そんなはずはないですね、小生の説にも内容が近い・・・。
この一冊、遠野の菊池さん、その近隣市町村の菊池さんは必見かもしれない、浪漫は膨らむ内容でもありますし、この書籍の批評、批判をしつつ内容に沿って調べるのもまた新たなる発見があるかもしれないっ、しかし、ついに私の目指すもののひとつが出てしまったか、残念ではありますね。

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不詳・・

2005-04-23 19:35:58 | 歴史・民俗
本日は寒むかった。午前中は雨ながら霙も混じるといった寒さ、これでは開花間近の桜も縮み上がったに違いない。
画像は六角牛山・・・残雪もございますが、降雪があったようです。山頂が薄っすらと白くなっているのがわかると思います。
午後は、小学校の授業参観、てっきり午後2時からという先入観があって2時に学校に行くと廊下まで父兄が溢れかえっている、顔見知りがいたので、娘を探しつつ話しこんでいたら、ものの10分もしないうちに授業終了を知らせるチャイム、授業参加はおしまい、時間の勘違いでほとんど参観していない自分がおりました・・・残念。

さて、最近リンクしていただきました地元発信のブログに、とある謂れの石碑が紹介されておりました。小生としてはもの凄く興味のある事柄で、霙の中、現地に行って画像の収集、図書館にて郷土資料を漁るも、関連する記述、資料の発見に至らず・・・しかし、同集落内の屋敷跡に関する簡略な記述を発見、しかし、こちらも不明という記述で括られている。こうなると地元での言い伝え等を収録するしかないっ、ただ、この集落に関する資料等を拝見できて少しだけ得した気分でもあって、本編サイトにこの集落の歴史をアップしようと只今準備中です。
それにしても遠野の中世は難しいですね、史跡等はけっこうあるのにその中身が史料からではなく言い伝えからのものが多い、これだっ・・という確証が得られないことでもありますが、その分、想像力やら推測で真に迫れる、また浪漫も感じられてなんとなくうれしい・・・。
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ねごきしぇ

2005-04-21 18:47:35 | 
昨日は春のお湿りということで、一日中雨降り、乾いた大地を少し潤すといったいい雨だったかもしれません。
また花粉症なるものに縁がなかった小生、今年から花粉症と思われる症状で少し苦しんでいたが、この雨で鼻の調子も良い、しかし、別な花(桜)はもう少しだけ先になりそうでもある。

さて、タイトルの「ねごきしぇ」である。
これはよく、祖母や近所の婆さん連中が言っていた言葉であるが、猫でも犬でもネズミでも、人でも同じで「きしぇ」は、「けづなやづら」つまり、よくもやってくれたな・という意味合いをこめて、この野郎という感じである。
「ねごきしぇ」・・「猫のくせしてこの野郎」という訳になろうかとは思いますが、猫に魚をとって逃げられたり、いたずらされたときによく使われる言い方が一般です。

画像の無防備な我家のネネ・・
何を考えて寝ているのだろう、ふざけた態度でもあるが、そこは飼猫、よく見ると愛くるしく猫好きの小生としては可愛くて仕方がない、しかし、こんなときでも出る言葉は「ねごきしぇ、いい気してらな」・・・である。
つまり、猫はいいよな・・という思いが込められている。
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続・マナー

2005-04-19 19:11:59 | その他
本日は、朝から晴れわたり、穏やかな春といった感じ、しかし、また天気は下り坂とか、宮古、大船渡、水沢で桜開花、今週中には桜前線もさらに北上、岩手県内陸部でも順次開花となる地域が多くなりそうである。
遠野は、来週の後半か・・・?

画像は、石上山(左)と頭のみ見える早池峰山、遠野三山のふたつが同時見える数少ないポイント、全面の薬師岳が見えないというのもまた違った雰囲気である。

さて、続・マナー・・なんて柄に合わないテーマとしておりますが、私自身、マナーがどうのと言える立場ではなく、立派な人間ではないっ、が、しかし、日頃思っていることをひとつ記したい。
私の趣味に風呂めぐりがある。「風呂めぐり」というと通の温泉めぐりと受け取られる内容ですが、要は単に風呂好きで温泉でも健康ランドでも駅前サウナでもよい、近場の温泉や健康ランド含み、週2は行っているかもしれない。

この風呂でのこと、最近、じっくりと後に入ってくる方々を浴槽から観察している。大概は身体を流して、中には綺麗に石鹸で身体を洗ってから湯船に入るすばらしい方々もいる。そんな中、身体も洗わず、かけ湯さえせずにそのまま湯船に入る輩が割りと多い、若い女性でもいきなり入るなら歓迎ものであるが、男である。これはあまり気分のいいものではない、色んな人間が入る風呂ではあるが、それでも気分的に下の部分も洗わないで湯船に入ってくる、これは気にしなければそれで済むかもしれないが、こういった人間が入ってきたら自分は湯船からあがり、その日は二度と湯船には浸からない・・。
主にご老人の方々に多い傾向である。

次に、風呂からあがる際、タオル等で脱衣室へ行く前に身体を拭かない輩いる、これは何を意味するか、察しのつく方々も多いと思います。脱衣室のロッカーなり、籠までの床がビショビショになるのです。その場で靴下なんか履いたら、もうたいへん、身体の水滴等は大方拭いてからあがってほしいものです。こちらは若い奴等に多い、ほんと姿形で言いたくはないが、金髪だったり、意味のわからない髯を生やし、ピアスをしている若い輩に多い、七三分けしているからこんなことはないっ、とはいわないが、けっこう多いのである、偏見だとは思いますが、こういったことが少なくなればまた見方もかわることでしょう・・。
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総会

2005-04-18 23:16:57 | ファイヤー
担当する婦人防火団体の総会があって、なんとか終了、今月、来月は何かと防火団体の総会やら集まりが多く、少し忙しい・・・。

本日開催は、婦人消防協力隊の総会、まさに読んで字の如く、ご婦人の消防組織である。
この担当を昨年からしているが、結構行事もあって事務局としては忙しい方でもある。
婦人消防協力隊はは女性消防団員ではないっ、いわば防火団体で、消防団的な義勇組織とは若干異なるものでもある。
当初は、農村部等で冬期間出稼ぎにでる男手の変わりに消火活動やら地域の防災防火を担うという役目もあったようですが、徐々に炊き出しや防火点検といったどちらかといえば現場にありながらもソフト面に関っている防火団体といえるかもしれない。
一時期、ポンプ操法やら規律訓練等の対象になった時期もありましたが、家庭を持ち、さらに仕事を持つ女性が増えつつある時代、負担となる訓練や活動は敬遠され、婦人消防のなり手の確保も難しい頃もあったようです。
最近は、消火器を使っての訓練や救急講習という場面も多くなり、主婦としての立場から何かと消防に関りを持つといった傾向でもあります。
その婦人消防協力隊の総会、一応提出議案は承認され、ひと安心でもあります。
とにかく書かれたものを読むだけなのに、以前は緊張して上手く言えない自分なのですが、2月に開催の防災会議にてそれほどのミスもなく、上手く説明できたという自信があったのか、今回は全く緊張せずに言う事ができた。少しは詰るところもあったが、なんとかなった、連休明けまでは少し忙しいには忙しいが、まずは最初の関門突破という感じでもあります。

「あ~、えがったじぇ~、おしょすごどもねくて、まんつ、えがった、うめぐいった。」
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早池峰

2005-04-16 15:18:13 | 遠野
早池峰の山並深く
 緑濃きこの高原に、若駒のごとくすこやか
   余の波を 切り行くは誰(たぞ)・・・

母校、遠野中学校の校歌、記憶を辿って書き記したが、間違っているフレーズもあると思います。

遠野の母なる山、早池峰山、遠野三山のひとつで最高峰、しかも一番権威があって美しい・・
また四季折々の風景にもマッチして、早池峰を仰ぎ見る地域に生まれて、さらに今も暮らすありがたさ、よく考えれば幸せなのかもしれない。
早池峰山は今も昔も遠野を見つめ・・・(薬師岳があって半分上しかみえませんが、)後の時代も健在なのだろう、私達の子孫もまた変わらぬ姿の早池峰を永遠に仰ぎ見るに違いない・・そうあってほしい・・。
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JENGOTARE

2005-04-14 19:15:12 | 遠野
今日は晴れの穏やかな日との予報だったが、朝から小雨、雨はすぐ上がったが、それほど良い天気ではなかった。
そんな中、休みの関係等、諸事情で畑の耕作を本日実施したが、昨年は4月11日、一昨年は4月10日、今年は3月末までは畑に残雪があったが、4月となると一気に融けて、例年とは若干のズレがあるが、それでもほぼ同時期の作業でもあります。

我家の農地については、水田は同地区内の知人に貸しており、減反での水田は畑とし、大豆を作付しているが地域での共同事業で、委託された農家にすべてをお願いしております。
よって農家といっても我家では、自宅敷地内の畑3畝程度、家庭菜園に毛が生えた程度でもありますし、収穫する野菜等はすべて自家消費、一部漬物の材料となる程度、まあ~スーパー等で野菜を買うということは、ほとんどない。

小型の耕運機、テーラーと呼ばれるものですが、トラクターを導入してまでの農家規模ではないし、親父が使っていた耕運機もあったが、少し操作性に不安もあって、3年前に小型機械に交換、農業で収益がほとんどないものでもあるし、この程度でも十分間に合うことでもあります。

画像・・・・
本日の私・・・頬かむりにつなぎ服、ゴム長・・じぇんごたれっ(田舎者)の典型的なスタイルでもありますが・・(現代版)・・遠野の農家の方々、皆がこのような姿で農業に従事はしておりませんので、誤解のないように・・・あくまでも私のスタイルです。
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屋号と方言

2005-04-13 21:16:34 | 歴史・民俗
我家の屋号は「宮洞・みやほら」といいます。宮洞と呼称されていた土地に家があったからということになっておりますが、屋号の多くは地名の他、先祖の名(その家を興した人、著名な人物)、先祖の職業、家の近くの環境(存在した物、方位等)からつけられたものが多い。
人物名や職業から付けられた屋号では語尾に「どん」が付くものが一般的でもある。
例「三左衛門どん・さんざえいもんどん」・・まさに人物名からきている屋号でもあるが、何故か「さんざえいもんどん」とは発音しない「さんじぇもど」これで通用する。
我家と縁戚に「判右衛門どん」という旧家があるが「はんうえもんどん」が「はんにうもど」少し字句にするとか難しい表現になりますが、これで通じる。

方言まじりで、よく耳にした我家の噂・・
「みやほらえの、えなっこ、なぬかしぇでらべっ、いっつもえさいっども、しょんぼうしょ、やめだべが」・・・。
訳・・「宮洞家の若い者(息子)、何稼いでいるのか(仕事)、いつも家にいるけど、消防署、辞めたのか」
私が若い頃、よく近所で言われていたとされる噂です。仕事がら非番というのがあって、昼日中から何処にもいかず家で休んでいたり、平日に車を乗り回している姿が頻繁に見受けられたので、近所の方々が、仕事を辞めたか首になって何も仕事にもつかず遊んでいると噂されたのでした。

屋号は現在でも廃れず、じぇんご(在郷)で使われている呼名です。ただその地区内で通じる事柄で、他地域に関しては余程の旧家、名士の家でなければ、他地区の方々にはわからない、また私の年代前後まではなんとか屋号でいわれても見当がつきますが、若い世代では、なかなか通じない場面もあると思います。

画像は我家の屋根・・・屋号の宮洞と家紋(丸に違い鷹羽)が表示されている。
じぇんごの旧家、瓦屋根のお宅にはよく見られる光景ですが、ちなみに我家は他家に比べると家も小さく、財産の少ない庶民の家です。
新築する際、亡き親父がどうしても屋号と家紋は付けるといって効かなかった経緯があります。
それだけ自分の家の屋号、家の歴史を重んじていたという証拠でもあります。
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