「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

春のカマー(釜石線)西部編

2011-04-30 19:04:34 | 湯っこ・鉄道・旅・・・

 実は、凄く久しぶりに金曜日から日曜日まで休日となっていて、GWの前半線のみ世間並みの連休ということになっている。

 しかし、嫁さんは仕事、末娘はクラブ活動ということで、家族で何処かへ出掛けるということは叶わず・・・というか既に家族揃って何処かへ出掛けるという行為自体、崩壊しつつあるというか、しておりますからね・・・汗・・・(時折、夫婦で出かけることはある)

 ということで、オヤジ独り、桜を待ちわびていたので、遠野よりは桜が早い花巻方面に車を走らせ、釜石線と春と・・・銘うって撮鉄の日といたしました。

 

 下宮守沢田・・・菖蒲沢付近

JR釜石線下り、釜石行「はまゆり」

釜石に人々の思いを乗せて・・・ですかね。

 

後姿

 

撮影地ウォッチング

 

上り列車を撮るため、しばし移動・・・

 

JR東日本 土沢駅(花巻市東和町)

 

桜は、ほぼ満開となってました。

 

 

釜石線上り、花巻行き普通列車

 

 桜と釜石線撮影、今後の舞台は遠野市内へ・・・となります。

 お天気しだいですが、「春のカマー(釜石線)」、桜をはじめ春の草花と列車のコラボ写真を飛び石的な休みとなるGWに撮ってみたいと思ってます。

 今回は遠野の西隣の花巻市東和町、そして市内の宮守町での撮影となりましたが、私事ですが、勤務地である宮守町にもう1年間以上、お世話になることになりましたので、今後のブログエントリーに宮守町が、さらに登場という場面となるかもしれませんので、よろしくお願いします。

 

 なんか、左足の甲を誰かに握られているような鈍痛と歩くと甲が痛んで歩き難い・・・ひょっとして〇風か?・・・大汗

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花っこ情報・桜 壱

2011-04-29 17:03:54 | 福泉寺・伝承等

 いよいよGW、黄金週間のはじまりである。

 人によっては5月8日までの10連休もあるとか、厳しい社会情勢ではありますが、元気な地域、元気な人達は、大いに羽根を伸ばされて楽しんでいただければと思いますし、仕事がある方々は元気に働いて頑張っていただければと思うところですね。

 そういう小生は、いつもの如く、飛び石的な勤務となってまして、何処かへ出かけるということは叶わず、地元で桜でも愛でながら休みの日は過ごしたいと思ってます。

 

我家の周りも少しずつ花の色が増えてきております。(福泉寺も含む)

1

2

3

4

5

6

7

 

7

花の名もあまり知らず・・・

6の水仙しか知りません・・・大汗

 

誰か解説お願いします・・・謝

 

 

お隣の梅も咲き始め・・・

 

福泉寺の桜は・・・?

  とらねこオヤジさんの開花予報ですと25日の週後半と読んでましたが、29日になっても開花宣言はできず・・・です・・・が・・・中に数本、気の早い花もあるようです。

30日には開花宣言できるか?

 

今後も福泉寺桜情報をお知らせしたいと思います。

 

 24日(日)から本格的に参拝がスタート、いよいよ観光も含めての今年のスタートとなりましたが、まずは桜ということで、GW後半に満開を迎えそうです。

 とにかくお天気に恵まれることを願っております。

 

 東日本大震災、発災から昨日(27日)が49日、この度の大震災で犠牲となられた皆様のご冥福をあらためて心よりお祈りいたします。

福徳十一面観音

南無大師遍照金剛・・・合掌

 

 

話変わって、白衣観音遂に・・・謎

 

 

 

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こちらも活動休止

2011-04-28 20:45:49 | その他

 嫁さんがほしいモノがあるとかで、久々に小友の「産直ともちゃん」に寄ってみた。

 此処に来ると、店内に入るより先に、ある場所を眺めてしまうのですが、視界に飛び込んできた景色に愕然としてしまった・・・涙

 

奥友館跡が残される山野

 

 前回(2010年春か?)の奥友館跡探訪では北側の山腹から尾根までの広範囲にわたって伐採作業が進められていたが、久々にみると山城跡が残される主要範囲まで既に伐採作業は終わっているようです。

 まっ、館が機能していた時代は、木々がほとんどなくて、木柵等が山腹に張り巡らされ、画像のような感じに近かったかもしれませんね・・・。

 

 主郭と思われる山上は3つの堀切で尾根を断ち切って、それぞれ空堀となって東西の斜面を下る遺構が確認できましたし、山上の土塁跡や階段状の平場もはっきりと残されております。

 

山上の段差

 

 植林された杉の他、雑木も多くあったと記憶してますが、全て伐採されており、此処で云うまでもなく、その木材を出すための道の造成、これで空堀跡等が破壊されてしまう・・・。

 山林所有者がおられてのこと、個人や団体等の持山ですから、私のようなものが口を挟む余地もないし、そんなつもりも毛頭ない。

 それと他人の山の写真撮って、ブログに載せて、何いい気してるんだっ!と言われれば反論の言葉もなく、ただ「すみません」と写真や記事の削除に応じる自分が其処に居そうです。

 

 城館跡調べや探訪は自分のライフワークで、この分野から郷土史への何かを得ようとかアプローチのひとつと細々ながら探訪活動もしてきましたが、そろそろ限界というか、その気が失せてきたような・・・、今回の奥友館跡の山野をみた際は、一気に力が抜けたというか、どうでも良いという思いに正直なってしまったようです。

 既に郷土史関係も以前に比べれば縮小というか、ほとんど携わっておりませんし、史跡も含む城館跡も、ここらで一区切り、しばしの休止とするつもりです。

 結局、さしたる実績も残せないままの戦線離脱、中途半端となってしまいましたが、それでも興味ある分野ではありますので、時折、気が向いたら山歩きを兼ねての城館跡探訪は続けたいとは思ってます。

 

 

  秋田県北秋田市阿仁・・・秋田内陸線おくあに駅途中にて・・・

雪融け水を集めて、この時期しかみられない滝とか?

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鉄、下見(ロケハン)編

2011-04-26 19:43:29 | 湯っこ・鉄道・旅・・・

 天気が悪かったら延期しようかと考えてましたが、嫁さんと休みが合う日ということで、ちょっと前から同行をお願いしていた経緯もあったことから、横の県の山間部?かな?、ちょっと遠野辺りからは、なかなか行けないような処へ出掛けて参りました。

 

道路には全く雪はありませんが、それでも残雪がまだまだある某所。

 

カーナビのご案内によると田沢湖の東岸を通るルート・・・。

 

 田沢湖から北へ折れ、途中から峠道となり、かなり標高の高い山間部で残雪もまだまだ残る別世界を走ること遠野からは3時間強、田沢湖からも1時間近くかかりました。

 

 その場所は・・・

秋田県北秋田市・・・阿仁町

 

 遠野も山間地で山深いところもあるけど、もっと山間の凄いところへ来たという印象・・・謝・・・それもそのはず「マタギの里」ですから・・・。

 

 で・・・なんの用かといえば・・・

 

秋田内陸縦貫鉄道・・・笑内駅

笑内駅・・・わらわないえき?、しょうないえき?

 

なんとも、納得する駅名・・・笑

 

 

さしずめ、遠野弁で「おかすぐね」・・・(おかしくない)」

直訳なら「おがすね」・・・(おかしい、変、変わった・・・)ですね・・・笑

別にちゃんと意味はありそうですが、一応納得したりして・・・。

 

 ということで、昨年暮れ辺りから気になっていた路線、秋田内陸縦貫鉄道という第3セクターのローカル線、仙北市の角館から北秋田市の鷹巣まで約94キロを結ぶ鉄道です。

 鉄道を扱うブログやリンクしていただいております大仙市のJUNさんもアップしておりましたが、どうしても撮ってみたい、乗ってみたい、そんな思いが募っていたのも事実で、まずは出来れば雪景色での列車を狙って2月か3月に行こうと思ってたのですが、なかなか実現できず仕舞いでした。

 今回、残雪はあるものの白い世界には遅い、桜には少し早い、中途半端なことではありますが、折角いただいたチャンスでもあるので、まずはここは下見を兼ねて、密かに狙う自分的な本番時期での再訪を夢見てのことでもあります。

 

萱草駅~笑内駅間にて・・・

秋田内陸縦貫鉄道関係ブログでもお馴染みの鉄橋

 午前11時47分、萱草駅を出た下り列車、色のバリエーションは他に赤や黄、紫、橙、白があるようです。

 

 列車を撮った後は、速攻で比立内駅へ移動・・・。

鉄橋から4つ目の駅、比立内駅へ先まわり・・・。

ここから、ひと駅だけですが乗鉄ミニミニの旅・・・汗

なかなか発車しないと思ったら、鷹巣行きの急行列車がホームへ入ってきての待ち合わせ・・・。

急行「森吉号」?もりよしごう

 阿仁町のシンボル的な山が森吉山とか?・・・・・実は以前から少しだけ親しみを感じていた山の名なんですね・・・大汗

 実は、私の祖父の名は「森吉」・・・「もりきち」さんと言うんですね・・・汗

 

 話は変わって、急行列車には、若い車掌さんのような女性が3名乗車しておりました。

 手を振られたので、こちらかも手を振り返したので彼女達を撮れず・・・涙

 なんでも、秋田内陸縦貫鉄道には16人の女性アテンダントがいるそうで、列車に一人は乗っているそうで、私が乗った列車にも・・・・・ベテランアテンダントさんが・・・。

 比立内で乗客4人ほど降車したので、ここでは私と前席に1人の計2人だけ・・・。

 列車が発車すると秋田内陸線の沿線マップ入りのパンフをいただき、私ともうひとりの乗客の間を行き来しながら、沿線の名勝地とか、車窓からの見える景色等の説明を親切丁寧に受けました。

 景観の良い場所では、列車は徐行運転、僅か一駅だけでしたが、今度はゆっくり出来るだけ長く乗ってみたい気持ちになりました。

 

5~6分かな?次の駅・・・「奥阿仁駅」で下車。

この駅で嫁さんが車で先まわりして待っていたもので・・・。

 

今回は、この程度の撮鉄と乗鉄・・・。

 

阿仁マタギ駅近くにある、「マタギの里・打当温泉」へ・・・。

生憎の雨模様で、少し濡れて冷えた身体には丁度良い湯加減・・・。

約1時間半、湯っこと昼食を堪能して、同じルートにて帰路につきました。

 

途中・・・

田沢湖にて・・・

味噌たんぽ、をいただく。

 

 事前の情報収集もほどほどに、とにかく行きあたりばったりに沿線の撮影ポイントなんかを下見しながら、阿仁町まで・・・。 

 雨模様での下見とはいえ鉄撮りは少し不本意でしたが、それでもパンフレットやポスターでの素晴らしい沿線写真をみると、ここは是非に春夏秋冬全ての季節に来なければと思わずにはいられません。

 特に冬の季節は白い雪に生える列車が印象に残るのですが、しかし、もの凄い豪雪地帯なようで、来る時期をよくよく吟味しないといけないとか、春の桜は今年は無理としても、新緑の頃はなんとか?いやいや紅葉も捨てがたい・・・汗。   

 いずれ、遠いけどまた来なければと思っております。

 

「ガオー・・・」

 

んでば、どんどはれっ!

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行ってみたい小京都、遠野

2011-04-25 18:51:12 | 遠野

 元キャンディーズで女優のスーちゃん(田中 好子さん)の告別式の模様をテレビのワイドショーでみて涙してしまった・・・。

 云わばキャンディーズ世代の一角に入る年代でもあって、昔の映像が流れると青春時代の微かな記憶が走馬灯のように流れたりして・・・涙

 少しずつ、ひとつひとつ・・・自分の中の何かが無くなっていくような感覚、だから中年の域に達すると昔の事が懐かしく感じられ、思いにふけることもしばしば、そして涙腺も随分と緩くなったものだと、(私の水道管の方も・・・大汗)つくづく感じる昨今でもあります・・・汗

 天も涙したものか?朝はキレイな青空が広がっていたと思ったら、お昼過ぎに雷雨模様となりましたが、小一時間で雨も止み、いつもの散策コースにての桜の状況確認を・・・・・。

 

福泉寺参道

 沿岸では満開とのこと、また盛岡でも開花したということですが、遠野はもう少しといったところ、遠野での桜の開花では、さらに遅い福泉寺の桜、今週末には咲きだすのかな?ちょっと5月にずれ込みそうな気配、いずれ満開は5月の連休後半かもしれませんね。

 

さて・・・

本題となりますが・・・

 

 某全国紙で全国の小京都で行ってみたい町ベスト10が発表された。

 全国には小京都と呼ばれる都市(市・町)は、53市町とのことで、岩手県では盛岡、水沢、遠野が「全国京都会議」に加盟しているとか・・・全国53の小京都は、こちら

  

 今回は、ゴールデンウイークに行ってみたい小京都ということらしいですが、我遠野市は、全国第9位となっております。

 ちなみに秋の紅葉でのランキングでも遠野は第6位、全国に名だたる小京都がひしめく中にあって、ベスト10入りする実力なんです。

 

 

 遠野の場合は小京都という趣は、さほど感じないかもしれませんが、江戸藩政時代は遠野南部氏の城下町として発展し、その名残も少しはあるかもしれません。

 しかし、紙上にも記されてましてたが「遠野物語」の地として、全国区であること、このことがかなり大きいものと思われます。

 遠野と隣接の三陸沿岸各地は東日本大震災での大津波で甚大な被害となっておりますが、沿岸地域の復興には遠野の知名度も活かしての観光分野における頑張りも必要不可欠かもしれません。

 遠野の益々の活性化が沿岸の復興にも何かしらの良い方向へ導く、私はそう信じております。

 皆さん、ゴールデンウイークのみならず、いつでも遠野へお越しください。

 「お待ちしております」・・・

 

 

ようやく我家の水仙が咲き始めた

 お隣の水仙より1週間の遅れ・・・

ようやく我家の庭も色が付き始めてきました。

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システム完全移行

2011-04-23 18:50:37 | その他

 天気予報どおり、午前中早くから雨模様となり、時折、強い雨脚となっておりますが、沿岸被災地では大雨よる警報発表やら土砂崩れ等の警戒が必要とのこと、とにかく何事もなく天候が快方にむかうことを祈るのみ・・・です。

 

庭から・・・ 

さほど冷たい雨ではなく、気温も高め・・・。

 

遠野の街方面

鉛色の風景といった感じですね・・・汗

 

こんな日は、いつもの散策コースも歩けず・・・

鉢植えの君子蘭?

標準ズームレンズにて撮影、しかもフラッシュ使用・・・汗

 

 

 さて、まだまだ本格的な写真撮影を控えたり、撮りたくても撮れない状況下にあったり、また仕事とかで多忙時期でブログ更新も、ままならないブログ仲間も多数おりますし、こんなご時世に、はばかられるような記述となってしまうかもしれませんが、カメラ話題ということで・・・・・謝・・・汗

 

 

  レンズ沼の打開は無理としても、2システムにての細かな経費等の出費を考慮しますと、ここらでどちらかのシステムに絞るという選択をしなければならない状況となりまして、自分的にはメインという位置付けでしたが、フォーサーズシステム(高千穂)から観音システムへ完全移行ということで、全ての高千穂を処分することにいたしました。

 既に処分の見込みはついております。

 

 とりあえず白迫撃砲をひとつ手に入れるつもりですが、残金は経済難の家計に充当されることになっております・・・涙

 観音システムとはいえ、レンズ2本体制、なんとか3本体制となる見込みですが、しばらくこの状態は続きそうです。

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プチ被害

2011-04-21 19:59:11 | その他

 先日耕した畑用の肥料を買いに農協へ・・・。

ついでに、ちよっと移動して支店事務所にて、建物共済の一部手続を・・・

 

 

 今回の大震災では、大なり小なり、内陸部でもそれなりの被害が・・・・・

 そんな我家も平成15年春の大地震以来、2度目の被害が・・・汗

 

 前回は屋根瓦破損及び落下数十枚という被害とクロスが破れる被害で、火災保険でのおまけみたいな地震特約?を使っての修繕を行いました。

 なんとか下りた保険金で間に合って安堵した記憶が・・・。

 今回は、3月11日と4月7日の本震と余震のダブルパンチ、それでも屋根瓦の方は数枚の落下で済みましたが、内壁の方が、だいぶやられた感じです。

 大工さんも忙しそうですし、なかなか保険屋さんも超多忙で被害調査に来てくれませんでしたが、先日になんとか調べていただき、保険で修繕出来ることになりましたが、余震もまだまだ続きそうですし、資材なんかも品薄で高騰もしている雰囲気なので、工事は、しばらく様子を見てからとなりそうです。

 

 沿岸部の被災状況や、内陸でも家が全壊したとか半壊したとかに比べたら、この程度で、と怒られそうですが、こんなんでも、自分的には、かなり痛々しい我家ですし、修繕となると結構な費用がかかりそうで、保険に頼ることになりますね・・・涙

 

花には疎く、名さえ知らないですが・・・

肌寒い中、庭に咲いた花っこ

 

 

 そして・・・

 

震災前にネットで注文していたものが、ようやく到着・・・。

安物ですが、一応重さ3キロまで用・・・

 

上で経済的に厳しいと言いながら、安価とはいえ自由雲台をポチっ・・・としてしまった・・・大汗

 

 

 

     東日本大震災にての援助物資急募について

こちら

ご協力いただける方、よろしくお願いします。

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北辺の城柵、志波城

2011-04-20 19:02:16 | 歴史・民俗

  寒の戻りが激しく降雪になるとの予報、19日の通勤時、国道396の小峠は雪が舞ってましたし、日中も寒い一日。

  明けて20日も冷え込んだ朝を迎え、雨が雪に変わったようです。

  県北や沿岸北部では20~30センチの積雪というところもあったとか、ここに来て桜前線も足踏みといったところですね。

 

 

 <北辺の城柵、志波城>

志波城跡・・・盛岡市太田

 延暦22年(803)造営といわれ、外郭は築地塀と大溝の二重で、それぞれ840m四方と930m四方の規模なようです。

 内部は中央から、やや南よりに150m四方の政庁が置かれ外郭とを結ぶ大路があったとされ、他に行政実務を執る官衙建物群や外郭沿いには兵舎とされる竪穴式住居群があったとのこと。

 

壕(堀)

 

築地塀と櫓

櫓と櫓の間隔は60mで当時の弓矢の射程距離を意識して配置されていたといわれる。

 

 

 大和朝廷による征夷、すなわち古代東北への侵略の拠点として造られたのが柵とよばれる城柵官衙である。

 対蝦夷(あまり好ましくない表現ですが)軍事、政治の拠点としての位置付けで、まずは日本海側が最初とされ、大化3年(647)越後の渟足柵(ぬたりさく)(新潟)が、そのはじめで後の和銅元年(709)に越後国に出羽郡が設けられ5年後に出羽国が誕生する。

 太平洋側、すなわち陸奥国は、ほぼ順に北へ進出し拠点の城柵を造営したことが伺われ、宝亀11年(780)、陸奥国に多賀城が造られ、奥州における中心的拠点の政庁となる。

 志波城に関しては、延暦7年(788)、征東大使、紀古佐美が5万4千余の大軍を率いて奥州に下向すると翌延暦8年、胆沢地方で阿弖流為に糾合された蝦夷軍に大敗を喫するが、延暦10年(791)さらなる征夷軍が送られ、10万の大軍と共に副使に坂上田村麻呂という陣容で、胆沢蝦夷の長、阿弖流為の軍と激突したのであった。

 そして延暦16年(797)、征夷大将軍となった坂上田村麻呂が4万の兵を率いて奥州へ下向、延暦20年(801)には阿弖流為軍と鉾を交えたと推測され、その中にあって翌延暦21年(802)に多賀城から鎮守府の機能を移転させ阿弖流為達の拠点に大胆にも胆沢城を造営、ここに阿弖流為等の胆沢蝦夷達の抵抗は止み、阿弖流為、母禮を伴い上洛(阿弖流為、母禮は斬首)した後、再び陸奥へ下り延暦22年(803)志波城を造営、阿弖流為亡き後の不穏の蝦夷勢に対する最北端の城柵として機能することになる。

 しかし、陸奥国での最後の造営となった徳丹城(紫波郡矢巾町)が完成すると、北側を流れる雫石川の度重なる氾濫により、志波城は弘仁3年(812)に停廃(廃城)となり、その役目は徳丹城へ移ることになった。

 志波城は僅か10年でその役目を終えたことになる。

 

 

1,200年前も岩手山は同じ雄姿をみせていたものと思われますね。

 

 

 

あひるさん・・・白鳥さんか?

 

笑・・・

 

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4月の、がんすけどん(岩手山)!

2011-04-18 18:48:11 | 湯っこ・鉄道・旅・・・

 無性に「がんすけどん」を見たくなった・・・汗

 というより、あまりにも良い天気に誘われたこともありますが、残雪をいただく岩手山と秋田新幹線「こまち」のコラボもいつか・・・と考えてましたし・・・・・・。

 とにかく見たい、撮りたいということで、一路雫石へ・・・。

 

岩手山

遠野人なら早池峰山が一番ながら、南部片富士とよばれる風格ある姿、やはり近くでみると大きく、デカイ存在である。

岩手を代表する秀峰には間違いない・・・。

 

 

志波城跡と岩手山

志波城の外郭南門等の復元は遠野が誇る宮大工集団「社寺工舎」によるものなそうです。

 

そして本日のメイン撮影

大震災の影響で盛岡~秋田間を5往復のみ・・・

緑の季節に再訪し、鷲が羽を広げた岩鷲山を撮ってみたいですね。

 

さらに近くまで行ったので・・・

 

小岩井の一本桜

 桜の季節にはちょっとだけ早かったですが、桜が咲いてなくても絵になりますねぇ~・・・満開の季節ならもの凄い人で混雑するらしいですし、早朝も夜中でもカメラマンが途切れることはないらしい・・・。

 今月24日にBSプレミアム?で2007年前期に放送された朝のテレビ小説「どんと晴れ」の続編「どんと晴れスペシャル」が午後3時30分から前後篇連続で放映とのこと。

 舞台となった盛岡市の方々の熱い続編嘆願が実を結んだ結果のようですが、遠野もロケ地となっております。

 「どんと晴れ」で云わば超有名となったのが小岩井の一本桜なんですね。

 折しも東日本大震災で大きな被害を受けた東北、そして岩手、「どんと晴れ」は遠野昔話の語りでは「お終い」という意味ですが、ここでは読んで字の如く、明日が未来が・・・「ど~んと晴れあがる」が如くであってほしいと願っております。

「う~ん・・・やはり桜が咲いていた方が良いな?・・・汗」

 

 

でっ、雫石方面に来たら、いつものお店へ・・・。

 

盛岡冷麺をいただく・・・。

岩手での盛岡冷麺では老舗に入るのかな?

やはり美味い・・・とにかく美味い・・・。

 

ここでも岩手山

 

 

雫石といえば温泉の本場ながら・・・

ちょっと移動して、少しでも遠野に近い方ということで・・・

此処も久しぶり・・・

紫波町のラフランスへ・・・

 

 写真撮り、盛岡冷麺、湯っこ・・・暇人贅沢コースを堪能という場面で、「また、とらねこの奴、冷麺喰ってら・・・とか、風呂さ行ってら・・・」とヒンシュクを買いそうですが、今時期は天気が良ければ、休みでも休んだ気がしない毎日、そちらこちらから煙があがり、呼び出しも覚悟のこと・・・。

 しかし、折角の休み、家でのんびりしっかり休むか、或いは、やりたいこと行きたいところへ思い切って出掛けてリフレッシュするか、とにかく中途半端でストレスを貯めるよりはマシということで、今回、思い切ってみました・・・汗

 それでも、やはり気になって温泉は45分のみ、帰宅したのは午後2時30分、のんびり・・・まではいきませんでしたね。

 

 まっ、今回は写真メインで観ていただければ、と思います。

 

by がんすけどん

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最後の縁(えにし)

2011-04-17 17:55:16 | その他

 北国の待望の春は、桜なしには語られないだろう・・・。

 知らず知らずに桜前線は東北を一気に北上、沿岸釜石、宮古に到達という情報、待ち遠しかった桜開花の便りが、今年は例年よりトーダウンという状態ですが、それでも春はやって来る、やって来た、ということで遠野も間もなく桜が咲き、遠野での桜の名勝地である福泉寺も桜花が咲き誇る季節到来が楽しみでもあります。

福泉寺参道

天気は良いものの、気温が低め・・・。

お天気しだいですが開花は4月24日の週あたりか?

 

日当りの良い斜面には、たんぽぽの花が少々・・・。

 

 

さて、本日の本題へ・・・

 

 今日のお昼過ぎ、母親と伯母を連れて、市内の遠戚宅へ出掛けてきました。

 そのお宅の前当主様の葬儀ということでしたが、葬儀等のお知らせがあったわけではなく、親戚伝いに情報が入って、「どうしたものか?」と少しだけ悩んでますと・・・、伯母は是非に故人にお線香のひとつも手向けたい意向のようだし、母親も父親が亡くなった際にお悔みをいただいているので、自分の代としての最後の付き合いとして、葬儀には行かなければならないという考えらしく、それならばということでお悔やみに出掛けてきたというしだいです。

 我家というか大正期、明治期の系譜は少し複雑で、ここでは語れませんが、今回は、私からみた曾祖母が再嫁したお宅の葬儀ということになります。

 曾祖母は曾祖父に嫁いできました。女子ひとり(祖母)を生みましたが、祖母が3歳になった時に曾祖父が若くして病死、幼い祖母を残して一度実家へ帰された後、再嫁したのでした。

 再嫁した家では、祖母と異父弟、妹が生まれ、姉弟妹としてお付き合いはあったということですし、伯母や父親にとってみれば祖母であり、その子達は叔父であり叔母であるので、冠婚葬祭でのお付き合いもあったということです。

 今回、亡くなられたのは私の父親にすれば従姉妹の旦那さん(お婿さん)ということになりますが、曾祖母が存命なら120歳を超え、私の祖母(故人)も100歳を過ぎており、そのお宅の兄弟達も鬼籍の人となっております。(唯一、祖母と異父弟である前々当主の奥様は存命)

 父親が亡くなった時、さらに親戚等の葬儀に少し関わり、葬儀等のお知らせを回す時、どの範囲までにお知らせするのか・・・ということをちょっとだけ勉強というか注視して親戚での古老達の采配なんかをみてきたつもりですが、父親の葬儀の場合、曾祖母の生家にも今回で最後ということでお知らせをし、忌明け法要、会食までご案内していた経緯がありましたが、4代100年前の親戚なので、当時は其処まで遡るのか?と思ったものでしたが、故人である父親にとっては祖母にあたる人の関係ということで、最後という言葉を受け入れた経緯があります。

 今回の場合は、私からすれば曾祖母が100年以上前に再嫁した家のことなので、当然、我家にはお知らせは来ないで仕方ないと思うし、そのお宅もそこまで遡る必要もないと判断したか、或いは全く意中になかったかもしれません。

 いずれ、こうして親戚付き合いが年月を経て薄くなっていって、そして縁が切れるということなのかもしれません。

 都会では考えられない、地方というか田舎特有の事かもしれませんね。

 でも、私の祖母の法要やら、そのお宅でのご兄弟の法要では、伯母2人が存命のうちは互いに往来はあると思うし、しなければならないとも思っております。

 

 結局、本日、火葬後に葬儀を行うという情報までは聞いてなくて、お宅ではまだ火葬から戻ってなくて、時間も遅れ気味であるということで、お悔やみのみ置いて帰って参りました。

 

 

 

ちょっと寒かったけど本日も福泉寺散策

ザゼン草も最盛期かな?

水芭蕉も咲き始めた

 

水辺には不動明王様

 

春の訪れ、招き猫もスタンバイOK・・・笑

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