「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・文化を中心に、「書きたい時に書きたいままを気ままに」

お神楽初恋巡演記

2010-02-07 23:36:18 | 民俗

 以前コメントを頂いた神楽童子さんからの紹介で、この本を入手

 

 

県北軽米町に伝わっていた松ノ脇神楽の昭和23年1月から2月にかけての巡演の様子を記したもの

 

(附馬牛町小出の風景から)

 

雪を掻き分けながら、次の巡演先に向かう光景が目に浮かぶ

 

 神楽で思い出すのは、大槌の伯母が話していたことで、土渕町柏崎に伝わっていた神楽の一行が巡業で大槌に来ると、遠野に縁ある方々は大変だったと。

 この本にもあるように、巡業先では神楽衆をもてなし、宿泊させなければならないわけで、余裕のない家では、無理をして接待したのだという。

 

そんな柏崎神楽も、今は中断中。太夫を務めていた方はいるようだが、後継者は無い。

 

松ノ脇神楽は巡業先の集落に近づくと、合図に法螺貝を吹きながら歩いたようで、遠野の八幡神楽と似ている

 

(小烏瀬川から)

 

民俗芸能のみならず、後継者が無いことには残すことかなわず

 

そこからすると、白鳥は後継者づくりが上手

 

良き指導者が健在のうちに、沢山のことを吸収し、次世代へと・・・・

 

 

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1月の白鳥から

2010-02-03 22:40:14 | 景色

期間限定忙しモード突入中につき、お蔵入りの中から

 

小烏瀬川にて

 

安居台と双璧のスポット

 

白鳥が一斉に鳴き始める頃、近所の方々が集まる

 

毛繕いをし、羽ばたき練習が終わり

 

ちょうど夕暮れが迫ると

 

突然・・・・

 

目の前を通過するスピードについていけず

 

後ろ姿を追う

 

また、ある時は、

 

時間を見計らって行ったつもりが、途中で出会い

 

100羽が群れる谷地の西側では、あまり、動いてくれず

 

あの人、いつまでいるのかしら・・・・などと云われ

 

ちょうど飛んだ姿にシャッターを押すと、電線がバッチリ入り、

 

動き物を捉える難しさを痛感

 

それにしても、鳴き声を聞いていると、妙に情がうつる

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清水川稲荷神社

2010-01-31 15:12:50 | 稲荷

 つなぎ稲荷神社の山沿いを北東に進むと、曹洞宗滴水山曹源寺に至る。

 

お馴染み「むじな堂」

 

境内前を流れる早瀬川に架かる橋を渡ると、前方右側にこんもりとした木立

 

如何にも、何かありそう

 

清水川稲荷神社

 

そして、不地震地・・・・遠野では、耳にする言葉。

遠野物語第113話のジャウヅカ森も、同様の謂れのある場所。

 

ここにもまた、バランスの良い鳥居

決してふんずり返って通ってはならず、頭を垂れるどころか、かがむことが通過条件

 

この神社の由緒については未調査

 

お稲荷さん と

 

こちらが祀られているようだ

 

どちらも同じ苗字の方が奉納した掲額であることから、別当さんではないかと思われる。

 

大洞・・・・大同

 

部落には必ず一戸の旧家ありて、オクナイサマを祀る。その家を大同といふ。

 

今の土淵には大同といふ家ニ軒あり。山口の大同は当主を大洞某といふ。

 

遠野物語に登場する大洞は土淵の家を指すが、この掲額にあるように、この神社の周りにも大洞の家あり。

 

上郷と土淵に共通する苗字にこの大洞と林崎があるが、青笹を飛び越えて、存在することに興味を覚える。

 

はじめに記した「かがむ鳥居」の先にある山の神

妙にこの字体に愛着を感じる

 

茅葺にトタンを載せた屋根・・・・トタンも土に返ろうとしている

 

おまけ

 

流行に流されず、あり続ける神々の里遠野だが、

白鳥のスピードについていけないのが「私の腕」・・・・題して流され撮り

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2010 つなぎ稲荷神社

2010-01-30 14:20:55 | 稲荷

 かつての平倉村には、小字赤羽根にあるのが、赤羽根稲荷神社。同じく平倉には前回アップした平倉稲荷神社、そして、繋のつなぎ稲荷神社と小字名を冠する立派なお稲荷さんが建っている。

 

そこで、今回は、その中のつなぎ稲荷へ

 

由緒についてはこちら

 

この階段は踏み面が水平ではなく、凍結していると階段を利用するより、脇の斜面を登ったほうが行き易い。但し、冬の間に限り。

 

建物の壁面には、相変わらずコケが付いており、もう少し、お日様が当たらないと、腐朽が進むだろう。もっと、光を!

 

 赤羽根は家臣萩野氏(荻野ではなく)、ここは福田氏。ということは、前回の平倉は?・・・・きっと、遠野南部家臣のどなたかが建立に尽力したのではないかと、思えてならない。

 

ここも平倉稲荷同様に扇垂木を採用した軒廻り。故意の一致か?

 

本殿脇の小祠も平倉稲荷と同様

 

この神社の後ろの山の中に板沢と平倉の境界があり、ここが平倉1地割という地名地番となる

 

 

このようにキツネに守られた平倉には、遠野南部の姿が見える

 

神社入口の両脇にある住宅は、雪下ろしする人もいなくなったようだ。

 

神社から下がってくると北東には、板沢の西側集落が、その先には六角牛山

 

 

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平倉稲荷神社

2010-01-26 23:42:04 | 神社

 以前にも記したが、上郷町平倉は同町の中でもその境がわかり難い。東は早瀬川の支流大畑川を境界として細越と接し、南は平野原と道路で、北は板沢と越田(こえだ)で、西は廻立(まったづ)で。

 文字にすると簡単なようだが・・・・越田は、刃金や板沢の舘がある山を境にしているようでもあり、そうでもないようであり、いわゆる微妙な境界で構成される。

 そんな平倉には、稲荷系の規模の大きな神社が集まる。

 

その一つ、知る人ぞ知る「おっけそうな鳥居」

 

正面から見ると、まともな鳥居

(樹木の有る無しでは、こんなにも雪の量が違う)

 

そして、愛宕を彷彿させる急勾配の石段

 

 

撮り方のせいではなく、ものすごい角度で建つ拝殿

 

いつもの御領分社堂には、この地域で別格となるものを除き、3箇所の稲荷さんが記されている。

ただ、どこの地域でもそうなのだが、稲荷さんはその数が多すぎて、いつもは訪問対象から除外している。

しかし、この地域はその大きさが特別な気がする。

 

南何某の筆による掲額

 

正面だけでなく、後ろにも傾いている

 

何を祀っているのか確認していないが、脇にあるこの小祠も

 

安永9年(1779)の平倉村の石高85石4斗3升9合

馬数191頭

享和3年(1803)の家数87軒 地味は下下(最下位)

 

宝暦5年(1775)の凶作では、平倉村で87人が渇命(380人弱の人口の内)

 

そんな地域だったからこそ、このような規模の神社を建てたのだろうか?

 

管理者の了解無しに中に進入できないので詳しくわからないが、外部のこの放射状の骨組(タル木)は扇垂木を採用しており、腕に覚えのある大工が造ったことがわかる

 

今がギリギリ限度かな?

 

 

おまけ

思った方向に飛んでくれない白鳥

 

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