「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

奇特な出版社

2008-05-31 20:47:54 | 書籍
 6月、衣替えの季節となろうとしているのに、寒い・・・仕舞おうとしていた温風ヒーターやこたつが手放せない今日この頃、季節の挨拶文なら「初夏の候」もこれでは通じない・・・笑


北上川上流水防訓練・・・花巻市朝日橋下流



 国土交通省主催、東北規模の水防訓練が花巻市で開催され、水防団員(消防)約1千5百人が訓練に参加、遠野からも2小隊45名が参加いたしました。
 
 大規模な訓練、見応えはありましたが、とにかく寒い、鼻水タラタラ、足はガクガク・・・開催中に雨が本格的に降らなかっただけでも良かったかもしれません。



 さて、本題・・・・。

 歴史関連サイトを開設した当初に何冊かネットにて知った出版社に書籍を注文したことがあった。
 秋田市にある「無明舎」・・・。

 なかなか、興味そそられる書籍があって、実際手にしてもなかなか面白い、最初に購入した書籍の続編ともいえる書籍もさらに注文・・・・。






 その後も一冊別書籍を注文。

 
 それまでは、新刊の案内やら刊行書籍の一覧案内等のパンフレットが自宅に送られてきたことはないが、数年前、「戦国武鑑?」という東北、関東の戦国期を網羅した内容、さらに各地の武家の家紋等も厳密に調べ上げた内容とのことで、先行予約をすかさずした覚えがあります。

 出版社のサイトでも、編集状況の進捗やらサンプルページなんかも公開されて、まさに発刊を楽しみにしていたのですが、突如として刊行中止、これには多少がっかりした記憶がある。

 出版社からはお詫びのメールやらハガキが届けられ、十分にその気持ちは伝わりましたし、小さな地方出版社のこと、諸事情ということでこれも致し方なしか?

 以来、奇特にも定期に新刊案内やらパンフレットが自宅へ送られてくる。

 正直いえば秋田関連の内容が多いので、岩手に住む身にはあまり興味をそそられる内容は最近は薄い、それでもこうして送り続けてくれること、パンフレットはゴミ箱へ直行という場面も確かに多いのですが、数年に一冊買うか買わないかの相手にこうして送り続けていること、まさに奇特だと思います。
 少しだけ、実はうれしい・・・。



 遠野ぶれんど仲間でも興味をそそられる書籍も少しはあると思われます。



 詳しくは検索サイトにて「無明舎」へ・・・。


 遠野関連もありますよ。





 それともう一社・・・・幕末明治維新関連では山口県の「マツノ書店」さんもよくパンフレットを送って下さいます。

 いずれにしろ、多くは購読は出来ないが、地方出版社を少しでも応援したいと思ってます。
 
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日本一 遠野

2008-05-29 20:17:04 | 遠野
 遠野で何か日本一のものはないのか?ひとつふたつは思い浮かぶもそうは見当たるものではない。

 マイナーながらも淡水魚のヤマメの出荷、生産高は日本一だったはず、都会の高級料理店等での需要が結構あるとか?

 
 次に・・・やはり一番に思い浮かぶのはホップであろう・・・。
 ビールの原料のひとつ、ホップ・・・大手某メーカーとの関わりが一番であろう・・・。
 ホップ生産高日本一・・・



 毎年秋に遠野産ホップ使用の限定ビールが発売されます。
 大晦日に買ったと思われるビール、冷蔵庫の野菜室の奥深くに眠っておりました・・・汗・・・キーンと冷えて真夏なら間違いなく「プシュッ」となっていたはず・・・笑・・・本日は雨模様でしかも4月上旬の気温とか、けっこう肌寒い。
 今一度、今度は冷蔵庫内の見える場所に鎮座させました・・・笑


 そして身近では・・・・。






 そう菩提寺福泉寺の大観音、木彫観音では日本一の大きさを誇っております。

 ありがたい観音様の画像をご覧になりたい方は、遠野市松崎町駒木の法門山福泉寺にお越しください。
 
 と・・・言いつつもケチなことは言わずに、ど~んとお見せしましょう・・。

 姉妹ブログにエントリー中・・・・こちら


 今のところ、3つしか思い当たりませんが、他にありましたらご紹介ください。




 おまけ



 「新製品が安い○ーズ電○」
 家電量販店が移転オープン、何を買うでもないが、思ったより駐車場が混雑していなかったので、思わず「まがってみで」きてしまいました。

 品数はまあまあ、あれこれみていると新装開店に併せて駆け付けただろうメーカーさんや系列店の社員さんが次から次へと声をかけて来る。
 本気で聞くつもりはなかったが、商品をみていると「ほすぃ」と思うから不思議だっ・・・そんな思いを振り払って別コーナーへ・・・テレビも19年間使っている、替え時にはその通り、これも「ほすぃ」・・・冷蔵庫、10台限り・・・嫁さんの足が止まる、既に7台売約済、後3台が妙に心にグサッと来るらしい・・・汗・・・お買得かもしれないと思いつつも、先立つものが・・・涙・・・さらにエアコンコーナーへ、安いか高いか家庭用エアコンがないのでわからない、結局、夏場なら二週間も我慢すればなんとかなる・・・ということで、ただまがってみただけで店を後にした。

 
 某姐御ブログでのエントリーに触発されて・・・・笑




 今日は肌寒かったので、五右衛門がよかったかも・・・と思うも・・・小生の定番炒麺としました。

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次々世代

2008-05-28 14:42:27 | その他
 銭湯といえば街場の中にあるもので、私自身のイメージとしては都会の下町によくあるといった思いがございますが、小さな田舎町ながらも遠野の街中にも何軒かの銭湯がかつてはございました。

 今は市街地に僅か1軒が営業を続けているといった状況ですが、市街地から離れた在郷のちょっとした町場を形成していた地域にも銭湯があったようで、少々驚きを隠せない・・・。

 今はひとつの遺物として見るしかない雰囲気・・・・。



 何時頃まで営業していたのだろう・・・・地元の方々に聴いたわけではないのですが、かつての鉱山等が繁栄していた頃に盛期を迎えていたものだろうか・・・?

 菊の湯・・・・。



 この地域はかつて遠野市内では遠野の街場に次ぐ繁華な地であったが、今は昔・・・そんな思いが残るなんともいえない空間が所々に残されております。

 こういった過去の遺物が残されている地を少し訪ねた後に、小生の弟の子(姪)が赤ちゃんを見せに我家を訪ねてきた。
 今年の2月生まれ、なんともいえない可愛さ、愛くるしさ・・・自分と血縁であるが故ではなおさらそう思ってしまう・・・・笑





 小生の子供、子供と同年代の子供達が次世代ならば、さらにその子等の子供は次々世代・・・彼ら彼女等が大人になる頃は、小生は後期高齢者(謝)、へたするとこの世に居ないかもしれません、ちょっとだけ寂しい思いもございますが、いずれ穢れを知らず無垢な玉のような顔を見ていると、健やかに元気に育って欲しい、そして過去から引き継いできたモノ、今のモノを少しでも残してやりたい、大切に守っていってもらたい、そう考える変なオヤジが其処にいたのでした・・・汗
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琴畑渓流

2008-05-26 19:10:57 | 遠野
 午前中は雲は多いものの、概ね晴れ渡り少し蒸し暑くかった。
 そんな昼近くに青葉が映える水辺を求めて琴畑渓流を訪ねる。



 目だった河川改修工事もなく自然な姿の渓流、水も澄んでいる光景をみますと邪念だらけの身が何かしら清められるような・・・・汗・・・山間な田舎に住む小生ながらも、こういった場所も周りからは随分と遠くなったと気が付く昨今です。










白滝不動











 ※琴畑渓流の大きめの画像等は、姉妹ブログ「MAYAKUSYAず」をご覧下さい。
 こちら


 ますます濃さを増す緑と清涼感溢れる渓流、マイナスイオンを浴びながら、ゆったりとした時を過されるのも良いかもしれません。
 ただし、熊との遭遇、さらに足元が悪い場面もありますので、くれぐれもお気をつけてください。



 帰りは、いつものアレ・・・?を見ながら家路へ・・・・笑

 これ↓

 銀色仮面・・・・シルバー仮面ともいう・・・笑



 午後は、辺り一面俄かに空は曇りだし、突風が吹いたと思えば雷鳴が響きわたる。
 激しい雨も降り出しましたが、間もなく回復・・・。
 雨の後は、気温が下がったようでかなり涼しい・・・。




 おまけ

○法門山福泉寺・・・消火訓練


 消防法で防火対象物に指定されている菩提寺福泉寺、菩提寺関係者を集めて消防訓練の一環として消火訓練が行われました。(5/26 午前10時)

 学校やスーパー、工場等の事業所(防火対象物)は年2回以上の消防訓練が法的に義務付けられております。

 そんな中、福泉寺では寺内施設設置の消火器を更新した機会に、古い消火器を使用しての消火訓練を企画、微妙な立場ながらも小生は檀家代表及び指導者、講評者として参加いたしました・・・汗





 消火器の効力を目の当りにして菩提寺関係者も驚いておりましたが、いずれ、こうした訓練は実際に体験しなければ身に付かないものでもありますから、機会がございましたら、職場や町内会等での訓練には積極的に参加されることをお勧めいたします。


 菩提寺福泉寺で仕事をされる方々、檀家等で夏にバーベキュー大会があるのですが、その際に使用のドラム缶を半分に切ったものが、今回の燃焼皿に早代わり、新調仕立てのドラム缶が真っ黒に・・・汗・・・灯油臭いのでバーベキュー前に良く洗浄してから使用しなくては・・・・汗・・・余計な仕事を作ってしまった・・・笑
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馬上の姫武者

2008-05-25 16:32:45 | 遠野
 第3回スポーツ流鏑馬遠野馬の里大会・・・2008年5月25日(日)


遠野馬産のメッカ遠野馬の里から松崎町駒木を望む・・・。



 明番の本日、生憎の雨模様・・・しかしながら職場には「本日のスポーツ流鏑馬大会は予定通り開催いたします」の報、早速市内全域に告知がなされ、帰宅するや直ぐに馬の里へ車を走らせる。

 雨は小降り程度、しかし間もなく雨も上がり、まずまずの流鏑馬日和?・・・、3的の他に制限タイムが16秒以内のC級、B級、そして14秒以内と制限がかかるプロ級ともいえるA級の競技が開催されました。


 年々高まりをみせるスポーツ流鏑馬、中でも女性弓騎手の存在は欠くことのできない位置付け、しかも男性顔負けの腕前とくれば、感心はさらに高まるというもの・・・そのすばらしさを堪能したいと思う1人に自分も含まれますが・・・・汗







 最下級のC級とはいえ、乗馬すらできない小生にしてみれば、馬を走らせて弓を射る、しかも的に当てなければならない・・・・正に神業としか思えない所業・・・汗

 クラスが上がるに従い、さらにスピードも上がる・・・!







 そして噂の姫武者登場・・・・。

 A級昨年の覇者











 馬の走り出しから、他とは違うオーラが発せられているような雰囲気、しかも弓の射る雰囲気もまた玄人といった感じがいたします。
 いずれ、只者ではないということですが、実は青森ブロガーの主メンバーのお一人で、馬関連では遠野でもお顔とお名前が知られているお方、小生と知人である八戸ブロガー藤九郎さんのお友達の「Amyさん」です。




 予選一回目を終え、少し不本意な結果なのか、少し表情が厳しい・・・。




 二回目が終了、なんとか上位に食い込み、決勝に駒を進めたようで、今度は表情が明るい、お茶目な面をお見せいただきましたが、小生とは面識はありませんが僅かながらブログでもコメント経験はございます。

 遠野ブロガー「とらねこ」と知ってのことではないと思いますが、小生としてはご尊顔を拝することができたこと、すばらしい流鏑馬を見せていただいたこと、これだけでも嬉しかったです。






 おっと、忘れてはいけない、駒木の・・・いやっ、今は青笹の御仁で、遠野流鏑馬界の貴公子「Y君」・・・笑
 こちらはラフなスタイルながら、持味の疾風流鏑馬の健在ぶりを示しておりました。

 今年の遠野郷八幡宮での流鏑馬神事「遠野南部流鏑馬」では、見事な射手奉行ぶりをお見せすることでしょう・・・期待しております。





 大会開催に携わった関係者及びスタッフの皆さん、そして競技に参加されました選手の皆さん、ご苦労様でした。



※会場の雰囲気等はromiさんのブログ「遠野くさぐさ」でご紹介しております。
こちら


 腕前のせいなのか、写した画像がイマイチなものばかり・・・・もう少しカメラ関連も勉強せねば・・・・汗・・・。


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強みのはずが・・・汗

2008-05-23 16:33:15 | 福泉寺・伝承等
 菩提寺福泉寺は、四季折々の風光明媚な場所として一応知られる存在かと思いますが、春の桜、ツツジ、秋の紅葉は遠野での名所のひとつに挙げられると思います。


多宝塔



 そんな福泉寺は私にとっては幼き頃より庭同然の場所、弟とキャッチボールやらボール蹴り、ソリにスキーに幼馴染達との探検ごっこ・・・無論、一家としてみた場合は菩提寺としての寺院そのもの・・・とにかく深く考えたことはなかったけど、生活に密着した場所であることは確かなことでもあります。

 そんな場所だから、いつでも行ける、顔を出せるとタカを括ってましたが、それがどうだろう・・・・既にツツジの見頃は終りかけ、藤も色あせがはじまり、地元の強みどころか見頃のタイミングを逃してしまった・・・汗

 至近の場所なのにこの有様、なんとも情けなや・・・涙

 と言いつつも天候が悪かったり、天候が良くても仕事だったり、別用が発生したりとなかなかタイミングが合わなかったこと、これもあるんですよね・・・。

 いずれ、ブログをしていなかったらそれほどこだわることでもないと思うのですが、ブログを通じて四季の変化、地元の再発見等、結構自分的には良い影響を及ぼしていると思っております。


 さて、ツツジも終りかけ・・・というよりほとんど終了といったところですが・・・・。







 まことにもって残念至極・・・来年はタイミングを計ってご紹介したいと考えております。


 こちらは藤


 藤も終盤といったところ・・・・。
 昨年辺りに少しブログでやりとりがあったラベンダさんが久しぶりに当ブログを訪問くださり、ラベンダさんと縁ある福泉寺大観音堂前の藤棚の咲き具合はいかがですか・・・?・・・これに触発されて急遽、思い出したかのようにこちらも見てまいりましたが、ご覧のように終盤といったところで、少々残念でもありました。




 こちらの藤棚はラベンダさんの義父(故人)さんがご寄付したもの・・・実はラベンダさんと私は親戚の関係であるということをブログで知ったことでもあり、義父さんはご存命の頃、我家にも度々遊びに来ておりました。

 


 重ねがさね、良い色合いの頃の画像取材ができず悔やんでおりますが地元の強みもこれでは形無しですね・・・笑。
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古文献?と遠野の館

2008-05-21 15:54:06 | 歴史・民俗
 遠野郷内の城館跡探訪の際に大きな力となる資料「遠野市における城館屋敷跡調査報告書」昭和59年調査・昭和62年報告・・・の完全版のコピーを入手したことにより、場所の特定が格段としやすくなったこと、要図も掲載、さらに不明な点は不明としながらも、館に関連する人物名も少ないですが網羅されている点で、城館跡探訪ではかなり重宝しております。

 またその報告書の内容での考察も参考になる部分があるのですが、数年前に報告書の一部と館跡一覧表のコピーを先行入手、これを見た際にちょっと気になること、違和感を覚えることがありましたし、昨年資料全てを手にしたことにより、この気になることに拍車がかかっておりました。


 遠野市内140弱の城館屋敷跡を調査されたお二人の先人郷土史家の先生方には頭が下がる思いですし、私のような後年にこれらを調べる人間にとってはありがたい資料であり、あらためまして敬意を表したいと思います。


 さて、此処からが本題となりますが・・・・・

○東日流外三郡誌と遠野の館

 遠野の城館跡に関する報告書での考察に「東日流外三郡誌」から引用、参考とした旨が記されている。
 中世期の遠野を考察するには史料等が皆無に近く、これらの時代の見解を記するということは甚だ難しいことでもありますが、なるほど・・・と納得する場面があったり、しかも安倍時代と考察される館跡に関しては、少ないながらも具体的な人物名が記されており、何故にその関連人物が判明しているのか?実は感心したり疑問もあったりしていたんです。



東日流外三郡誌・・・とくれば歴史に携わる方々、興味がある方々にはお判りだと思いますが、その存在に賛否両論があって、どちらかといえば、というより限りなく黒、はっきりいえば偽物・・・こちらの見解が強い内容となっていると思いますが、東日流外三郡誌の虜になった東北在の郷土史家の方々が多数発生したということがあり、遠野に於いても少なからず城館跡に関る考察に影響があったということは否定できないことでもあると思われます。


 ※検索サイトにて「東日流外三郡誌」を検索すれば、その内容や論争やら顛末が分ると思います。


 東日流外三郡誌を実は読んだことはなかったのですが、このことが少し気になりだした辺りからネットで調べたり、図書館にて実際に刊行された書を手にしたりしておりました。
 但し、実際は城館跡資料に記載の部分が果してあるのか、ないのか、これを確かめることでもありましたが、遠野関連での内容を確認できずにおります。
 本日も図書館にて確認作業として拝読しましたが、やはり見つけられず・・・。

 私が持っているコピーの中に東日流外三郡誌の掲載として・・・「閉伊武鑑抄」に遠野郷内の館主等が掲載されている。
 
 お2人の郷土史家が城館跡の報告書をまとめた昭和59年~62年は、おそらく東日流外三郡誌の是非をめぐって論争等が沸き起こっている頃で、その内容は理解されていたものと思いますが、それでもどこまで情報をもっていたものなのか?いずれ驚愕したただろう雰囲気はなんとなく感じられます。


 此処で東日流外三郡誌が正か偽か・・・を論ずることは避けますが、発見者自らの筆により近年に書かれた内容だとする偽物だとして、かなり遠野をはじめ各地の地勢なり歴史を知っている内容でもあり、この点ではよく調査されたのか、それとも別な資料等を熟読されたことになると思います。
 特に面白いことに、遠野の城館跡調査報告書をみますと、東日流外三郡誌に記述される地名が実際に遠野にあったという点、単に津軽も遠野も同じ北奥羽の内だから同様の地名があってもおかしくない、そういった発想では済ませられない内容も実はあるのではないのか?、なんとも不思議な思いでもあります。


 ということで安倍時代、それ以前といわれる内容を主に見解が示されているものですが、私としては資料は資料として館跡探訪に関しては活用はいたしますが、あくまでも見た目を大切に・・・実際に史跡(館跡)は自身の目で確かめてから・・・・これでいきたいと思います。


 安倍氏関連ということで・・・



堀跡を利用か?







 安倍屋敷跡とくれば隣接の観光地・・・・かっぱ淵

 平日ということもあり観光客はまばらでしたが、それでもチラホラと訪れているようです。



  
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妄想遠野史弐・阿曽沼館

2008-05-20 16:02:13 | 遠野史阿曽沼時代
 文治5年(1189)、源頼朝による奥州平泉の藤原氏征討により、黄金文化に彩られた奥州藤原氏の栄華は幕が降ろされる。
 
 鎌倉方の武将として奥州の戦陣にあって、その戦功により下野国(栃木県)の住人、阿曽沼広綱に遠野保が恩賞として与えられ、地頭職に補せられたことにより遠野は阿曽沼氏の統治することになったと伝えられている。

 遠野に隣接する地域や奥州各地も和賀氏、葛西氏等・・・鎌倉御家人に分け与えられたことになっている。

 源頼朝により遠野が阿曽沼氏に与えられたという史料による確証は見当たらないが、伝承として長らく語られていただろうと推測される点、慶長年間までの俗にいう遠野阿曾沼時代といわれる長き時代に於いて、領主、或いはそれに近い存在で阿曽沼を名乗る武家が代々語られる点、また建武元年北畠顕家から北奥羽権断職であった南部師行宛の国宣(遠野南部家文書)に「阿曽沼下野権守朝綱代、朝兼申。遠野保事・・・・」とあるように遠野と阿曽沼氏の関係が極めて深いことが伺われる。


阿曽沼館跡・・・松崎町駒木(下駒木)



 阿曽沼広綱は同族で重臣であった宇夫方広房を代官として遠野へ派遣、下野本国からの遠隔統治をしていただろうという考察がなされている。

 
 宇夫方広房が遠野へ下り、その第一歩として落着いた先が松崎町駒木の地であったと伝承されている。



 下駒木・・・阿曽沼館跡のあった一部

 集落を流れる東~南は大沢川を天然の堀となし、西は猿ヶ石側を、北は大沢川から分かれた小川や段差を利用する工作をしたものと推察されますが、大沢川の片岸が当時を偲ばせる雰囲気が若干残されているのみである。


 何故、阿曽沼氏代官とはいえ、阿曽沼館と伝え語られているのだろう・・・宇夫方館でもよさそうなものですし、伝承では横田城が築かれた建保年間までの20数年のみ在館と語られている。



 かなりの推測も含まれますが、大方現下駒木の下村~上駒木バス停上方付近までが範囲と推測しております。 


 さて、ここからが妄想なのですが、宇夫方氏や阿曽沼氏の本格下向での考察は次回以降となりますが、宇夫方氏が当初駒木に築いた阿曽沼館、この後に宇夫方氏は綾織の谷地館を築いて松崎の地から移動、駒木には阿曽沼の名を持つ主家に連なる一族か庶流が下向したものではないのか、宇夫方氏が領内の政治、軍事全般を司り、駒木にいた阿曽沼氏は形ばかりの代官職だった可能性があるのではないのか、このことが後の時代、建武年間での国宣で知られる事件へ繋がる何かがあるような・・・・駒木の阿曽沼館、かなり後の時代に阿曽沼館と名付けられた雰囲気がひしひしと伝わりますが、当地には館に関連する姓名、屋号も現存し、割と長い間、館として機能していたものと思われます。


南方面の大沢川


 川はコンクリートで固められ、その流れも結構変わってしまいましたが、それでも幼き頃の記憶を紐解けば、随所に館跡としてみた場合の遺構なんかもあったような思いもあります。
 今はただ妄想、想像といった分野にて一人その時代を偲ぶのみかもしれません。
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耳切牧道から

2008-05-18 16:35:27 | 遠野
 松崎町駒木地区では田植の真っ最中、天気にも恵まれて急ピッチに進められております。

 
 みらーねーず駒木バージョン





 まさに鏡といいますかガラスが敷き詰められた雰囲気の水田。
 松崎町の行政区では駒木地区は第2区ですが、小烏瀬川を越えた第1区分(松崎)の水田も併せて遠野の穀倉地帯といったところ・・・しかし見える範囲は住所表示は松崎町駒木なんです。
 無論、土淵町の一部や松崎町白岩の水田も見えますがね・・・。


 
 今回、画像取材したところは、駒木~荒川高原線の林道、耳切線道路、耳切線牧道ともいわれておりますが全面舗装が完了したのは平成6年、耳切山の山頂から荒川高原に至る間には牧草地が広がっている。

 途中、早池峰山が間近に見えるスポットが何箇所か存在・・・そのうちのひとつから・・・。






 今時期の春の山菜の季節、そして秋のきのこの季節は、かなりの車が入りこんでおりますが、今回も山菜採りの車が路肩に何台か確認できます。
 冬以外は眺めのよい場所でもありますが、駒木でも名うての熊出没地帯、くれぐれもお気をつけください。



 日陰を求めて・・・ネネ

 陽射しは暖かいを通り越して暑いくらい、日向ぼっこも短時間で済ませ、日陰へ移動・・・。

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もった

2008-05-17 20:20:41 | その他
 早朝の単発雷鳴で目が覚めたが、その後、音沙汰がない・・・気になって寝付けずにいたら音声告知放送で娘が通う中学の運動会は予定通り実施しますの放送・・・雨が降っていたんだ・・・汗・・・起きていたつもりが実はいつの間にか眠っていたようだっ。




 学校に着くと陽射しもあって汗ばむような天候、朝の段階での雨で延期と判断しなかった学校関係者に感謝。


 遠野市内は今が運動会シーズン、田植も重なって忙しいシーズンではありますが、今週が中学、来週が小学校、さらに翌週は市内全域で開催の町民運動会・・・3週連続の運動会ということで、小、中の子供を持つ親はまさに大変な時期でもあります。

 もちろん学校に通う子供が居ない方々にはそれほど負担にはならない運動会シーズンでもありますが、少し考えていただいても良いのではと思うのは私だけでしょうか?

 と言いつつも中学の運動会も来年を残すのみ、ちょっとだけ寂しいような・・・笑

遠野市立遠野中学校大運動会



 天気予報では不安定な天気で午後辺りから雷雨があるとか、確かに空は雲が広がり出し、陽射しも雲に隠れる場面が多くなりだす。
 なんとか天気を「もってくれ」そんな思いでおりました。

 運動会での華、女子生徒全員による踊り「火の国太鼓・遠野音頭」

 
 女子生徒による踊りが終った辺りから遠雷が聞こえはじめる。
 だんだん雷鳴も近づいて来るのがわかる、しかも雨も降り出してきた・・・。
 残りの種目は3つほど、なんとか天気をもってくれ・・・そんな思いでもありましたが、雨はやはり降ってきました。

 ここでクラブ活動を終えた長男から迎えの催促が・・・運動会の最後の場面までは見ることは叶わず・・・。

 最後の最後に雨が降りましたが、それでも「もった」方かと思います。






 ミラーネーズと同時進行・・・ツツジの季節を迎えております。




 おまけ・・・・「もった」

 遂に限界・・・・・。




 今年で築20年目となる我家の寝室・・・・大汗

 床が歪んでいるのがお判りと思います・・・おしょす


 昨年夏に寝室の一部畳替をした際に部屋の床中央部分がへこんでいることが判明、畳屋さんには床が落ちる寸前ではないのか?と指摘を受けておりましたが、私自信、そんなことはないっ・・・と頑なに考えないようにしておりましたが、今年になってからさらに床が下がったような感覚、遂に限界となり、明日大工さんにみてもらうことになりました・・・汗

 早く取り組めばよかったのですが、庭の舗装工事やら何かと大きな出費が昨年はあって、我慢していたんです・・・よくもったと思ってますが、それよりもよくぞ床が抜けずに・・・・汗・・・・はぁ・・・ぁぁぁ・・・ため息。


 若い頃に夜のプロレス大会を頻繁に開催したからではないですよ・・・笑
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