「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

思い出の愛車

2010-01-31 18:30:26 | 思いで

ついこの間、正月を迎えたと思ったら、1月も31日・・・

早いものである・・・と年々時の速さを感じながら・・・・

ちょっと探し物があって、色々と部屋の中を物色していると・・・・

 

目に止ったちょっと古いアルバムを発見・・・。

 

 社会人となり、さらに結婚して何年かの写真の中に歴代の愛車をみつけて、懐かしさに浸っておりました。

 

1980年

 

マツダコスモ(中央)

 県立遠野病院が新穀町(現とぴあ)から松崎町白岩に移転したての頃で、遠野バイパスが新張(JA生活センター)から遠野病院までの僅か100数十メートルのみ開通していた頃・・・・幼馴染の同級生3人とゴールデンウイークに再会して記念撮影をしたものと思われる。

 左はトヨタコロナ2ドアハードトップ2000GT(T100型)

 右は日産ブルーバードU2ドアハードトップ1800(SSS)

 そして中央は我愛車でマツダコスモAP2ドアクーペ2000カスタム(レシプロ)

 

1982

マツダコスモ(3代目) 

2ドアHT2000XGS(レシプロ)

 当時、付き合っていた彼女に振られ・・・涙

 気を紛らわすべく衝動買いしたコスモ2ドアハードトップ・・・汗

 前愛車のカーローンが残1年程、下取り分がそのローン残金へと消え、まるまる諸費用含めで全額借金、まさに車地獄、車沼・・・大汗・・・。

 でも、後半部分は少しは貯金もできていたような・・・・天下の農協から年末払いの3年払いで借金、親父が組合員でもあったので、少し農業収入等でも助けられたのも事実であった。

 リトラクタブルヘッドライト(ヘッドライトは普段は格納)の採用とメーター類は液晶デジタルで自分的にはカッコ良いと思ってました。

 

 画像は「たかむろ水光園」にて・・・。

当時から風呂好きであったことがうかがわれる・・・笑

 

 

1985

日産セドリック4HT2800ディーゼルSGL(430型)

 憧れであったセドリック・グロリア・・・人気の430型で白色のセドリックがあるという情報で某販売店へ・・・2800ディーゼルで力も強く、ガソリンに比べれば軽油は安価で経済的のふれ込みで気持ちがグラッと・・・汗

 後日、茶色を白に塗装した車と判明するも、相場よりは安くするということで中古で購入・・・・。

 当時でいうハイオーナーカーの仲間入りで気分はウキウキ・・・が・・・手元に来て3日でタイミングベルトが切れ、電気系統の故障が相次ぎ、修理費が嵩んで金食い虫状態・・・。

 買って半年後くらいに嫁さんと知り合い色々とドライブ等に行くも、いつ車がイカレルかと心配しながらのドライブであったことを思い出す。

 

画像は嫁さんの実家にて・・・汗

 

 

1987

日産セドリック4ドアHT2800ディーゼル エクセレンス(Y30型)

 結婚して半年後についに前車を手放すことに・・・・。

 まだまだ人気の430系ということで、茶色を白色に変わっていること、トラブル続きにも関わらず、案外良い値で引き取っていただいた記憶があります。

 新婚当初から車のローンを抱え、しかも実家から出てアパート暮らしも始めてましたので、生活は苦しかったが正直なところ・・・汗

 Y30系のセドリック・・・今でも時折、車で走っている夢のシーンに出てくる愛車でもあります・・・笑

 

 

 別に車で見栄を張らなくても良いのにと今は思いますが、当時は何故か車がひとつのステータスみたいな考えがあって、つい無理をしていました。

 社会人となり、さらに結婚して数年・・・連続10年くらいは車の借金払いが収入の大半を占めていたといっても過言ではありません。

 もちろん今はそんな余裕もなく、間もなく10年となる車を、まだまだ乗り続けるつもりでもあります。

 若い時の思い出、苦しかったけど実は楽しかったも本音で、色々と思いだされた一日でもありました。

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鉄を撮る

2010-01-29 19:27:44 | 遠野

 冬晴れといいますか、良い天気の遠野でした。

 

早池峰山

 

 何かのブログだったか?コメントに29日、釜石線、花巻~遠野間に普段見られない列車が走るといった内容があったと記憶してましたが、とりあえず望遠レンズを付けて愛宕橋~遠野風の丘辺りの農道に待機・・・。

 来たらラッキーくらいの思いであり、さらなる情報を取るつもりもなく、走る時刻もどうでもよくて、ただカメラを構えてみました。

  

 まずは午後一番の下り列車、3両編成がやってきた・・・。

 いつもの列車ですが・・・笑

 

 

 

 下り列車をみたということは、花巻方面行きの上り列車も間もなくと判断して、しばし待つことに・・・。

 

こちらは2両編成・・・

上り列車

 

遠野風の丘をバックに・・・。

 

 小生は鉄ちゃん、すなわち鉄道マニアでもファンでもないので、こんな程度の内容です。

 釜石線を走る列車はキハ110系とか111系とか、以前何度か聞いてますが、それも良くはわからない・・・汗

 でも画像的といいますか撮影対象としては、たまに撮ってみたいと思うのもホントのところです。

 

 それにしても天気は良かったですが風が冷たくて、しばし車内で待機が長かったでした・・・汗

 

 

ところで・・・・

 

 某フォトコンに応募をしてみたところ、やはり見事撃沈・・・涙

 こんなもんでしょう的で、気持ちも新たに競うのではなく、少し楽しみながら写真を撮ろうと心に誓ってましたが・・・笑・・・。

 

 

 

 遠野ぶれんど仲間のksuzさんのところで話題となっていたことが小生へも・・・。

 

 

 本命として応募した写真ではありませんでしたが、なんか最終選考まで残ったということで、ちょっと驚いておりますし、うれしいにはうれしいです。

 でも、今回、展示される写真は、昨年秋に何度も高清水に通って撮影した思い出深い写真には違いありません。

 プリントしてみると、なんか何を訴えようとしているのか、何を見せようとしているのか、わからない写真だと自分でも思ったりもしましたが、とりあえず出した写真でもありました。

 

 本命はこちらでした・・・・。

もちろん、この写真も応募しましたが相手にされませんでした・・・汗

 

 

 ピントをどちらに合せるか?観衆が写っているとか、色々とダメな部分はありそうですがね・・・。

 いずれ、写真は難しいですが、こういったコンテスト目当てで写真を撮る、腕試し的に応募するは、撮る時は楽しいですが、やはり自分的には合ってないような気がします。

 負け犬の遠吠えみたいですが、しばらくは撮りたいものを撮る、下手くそでも一応趣味ですから、今後も楽しみたいと思ってます。

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米ヶ崎城探訪

2010-01-27 18:16:24 | 歴史・民俗

 遠野市内をはじめ隣接市町村の山城等の城館跡探訪はオフシーズンですが、積雪がほとんどない県南地区や三陸沿岸地区の城館跡はベストシーズン、遠野でのオフに合せて少しでも他地域の城館跡を見てみたいということで、予てから気になっていた陸前高田の米ヶ崎城を訪ねて参りました。

 

米ヶ崎城

広田湾に若干突き出た半島に築かれた海の要害

葛西領気仙郡旗頭である千葉氏(浜田氏)の主城

 

空堀跡

県道38号広田~高田間の県道沿い近くに残されているかつての空堀跡の形状

 

 海側突端より現八幡社、本丸、二の郭、三の郭・・・さらに県道沿い、県道、JR大船渡線を越えての山野も城域といわれ、広大な城であったと思われます。

 

本丸から米ヶ崎八幡が鎮座する平場方面

 

本丸付近の空堀

幅25m~30mに及ぶ大きな空堀

 

突端部分、八幡社側の帯郭

 

米ヶ崎八幡神社

 

八幡社下の郭

 

本丸

 

 勢力と城館の大きさは、必ずしも比例しないともいわれるが、米ヶ崎城に関しては気仙郡千葉一族の旗頭に相応しい規模を誇ると正直思いました。

 しかし、実際にじっくり見れたのは海側の突端部分、米ヶ崎八幡とその周囲の郭、そして半島部分の最高点と思われる本丸跡付近が主でもありました。

 山野の中央付近は住宅地、畑等の農地で、かつての形跡を若干確認することはできますが、道路や宅地となったり、藪と畑といった組み合わせで探訪には少し難儀したのも事実でもありました。

 しかしながら、遠野では絶対見られない海に面した城跡、三方を海に面し、斜面には3段程度の帯郭が配置されていますが、最下部は海面も至近ということで小船等を寄せれば城に入ることも可能ということで、とにかく珍しいものを見たという思いが強いものとなっております。

 

八幡神社から広田湾(太平洋)

 

千葉氏(浜田氏)

 鎌倉時代初頭、葛西氏領に千葉一族が何家が入部したと伝えられるもその詳細は不明とされる。

 気仙郡の千葉氏は、最初本吉郡南部に入部した千葉氏が兄弟の一人を気仙郡へ分立させたことが始まりと伝えられ現在の陸前高田矢作辺りといわれる。

 これが矢作千葉氏であり、矢作氏は高田、広田方面に勢力を広げ、さらに後に浜田・高田・長部となる兄弟を各地に分立させ、気仙郡内の一大勢力へと成長していく。

 南北朝争乱が終焉して間もなく、浜田氏、長部氏に亀裂が生じ、一族間の争いとなり、浜田氏が長部氏を破ってその勢力下へ置くと高田氏の後継問題に付け入り浜田氏が養子を送り込んで実質的に高田氏も把握する。

 永正元年(1504)、時の浜田氏当主、浜田基継は磐井郡大原山吹城の大原信明と気仙矢作で戦っている。

 この戦いでは、浜田氏の宗家矢作氏は、大原方となった模様で浜田氏が敗れ、浜田氏は一時成りを潜めた時代が続くことになったと思われる。

 

浜田広綱の乱

 戦国末期、浜田氏当主、浜田安房守広綱時代に気仙郡千葉一族の旗頭としての地位を確固たるものとしたと推測されますが、永禄3年(1560)、浜田広綱は惣領葛西氏に背命して騒擾し、熊谷直賢らと交戦したが、熊谷勢の必死の反撃で降伏。

 この頃、高田城から米ケ崎城へと拠点を移し、軍拡を進め、浜田氏の軍事力は最大となり、天正15年、本吉重継と不和となり、本吉郡に侵攻したが、葛西太守の仲裁で撤兵する。

 しかし、翌天正16年春、再度本吉郡へ侵攻、浜田勢は防衛の主力である気仙沼熊谷勢と篠峯山麓で激戦を繰り広げるも、熊谷勢の奮戦の前に終始劣勢となり徐々に戦線か本吉郡から後退、ついに8月に浜田広綱は降伏した。

 この一連の合戦を「浜田広綱の乱」と称される。

 

 千葉安房守広綱(浜田安房守広綱)は、熊谷氏との戦いで敗れ惣領葛西晴信により浜田領が熊谷氏をはじめ浜田氏との合戦で功のあった諸将に分け与えられ、没落する。

 広綱は文禄年中に病没と伝えられる。

 

千葉安房守の墓



 

 米ヶ崎城本丸跡、北東端に千葉安房守(浜田)の墓所がある。

安房守、安房守夫人、家臣の大和田掃部、それともう一基

家臣の苗?姓・・・読めなかった・・・汗

 

 なお、米ヶ崎八幡神社関連で記名されるものには大和田姓が書かれていた。

 また、陸前高田市内には大和田姓が確認できる。

 別説では大和田掃部は安房守配下の広田城主で、豊臣政権時代初頭、深谷で討死或いは佐沼城で討死ともいわれる。

 子息の右馬亟は難を逃れ遠野に流浪、潜伏していたともいわれる。

 

 浜田広綱の弟とされる浜田喜六(気仙上有住城主)の存在、また遠野阿曽沼氏に仕え、八戸から八戸直義が遠野へ入部前に南部利直より500石を給されていた浜田彦兵衛の存在等、かなり気になる内容なのですが、浜田を名乗ること自体、今回探訪した米ヶ崎城の浜田氏に何かしら無関係ではないと思われてならない・・・。

 

 気仙千葉一族の高田氏の居城、高田城(東館)、後に浜田氏が米ヶ崎城へ移るまで居城としていたともいわれ、高田城跡も探訪しなければと考えているところです。

 

ソテツ

 岩手県では一番温暖な地である陸前高田、遠野ではほとんどみられない木々が至るところで見られる。

 住田の世田米辺りまでは日陰等に積雪がみられましたが、陸前高田市に入ると高い山以外は雪が皆無、たまたま本日は南寄りの風が吹いて少し気温が上がったせいもあるかもしれませんが、高田の風は柔らかく、春先のような気候・・・

 

 こちらも無論、屋外の遠野ではほとんどみられない・・・というより見たことがない。

椿

終わりかけてました。

 

 

本丸の番犬

・・・

・・・

 

吠えない番犬でした・・・爆

 

 

そして心地良い汗をかいた後は・・・・

・・・

・・・

 

温泉

 

 

かなり久しぶりの五葉温泉

しゃくなげの湯

 

 

いい湯っこでした・・・。

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関東入・弐 浅草にて

2010-01-24 19:14:50 | その他

 関東二日目の宿は浅草に求めました。

 夕方5時前にチェックイン後、30分程横になってから夕方の浅草の街に一人繰り出しました。

 

 まずは定番、仲見世~浅草寺

 

 

 

 雷門前は待ち合わせスポットのようで、金曜日ということもあってサラリーマンやOLの方々が夜の街に繰り出す姿が多く見られました。

 団体客のほとんどは日本人かと思えば、大陸系の方々?

 仲見世は案外早い時間に店仕舞するところもあって、人通りは思ったより少なかったが印象でした。

 浅草寺にお参りして、それほど距離を歩いたわけではないですが、通りの縦横行ったり来たり、縦横無尽ですね・・・笑

 結局、同じところに出たりの繰り返し・・・汗

 

 

 表通りは結構な人出なのですが、週末金曜日、街のにぎわいが凄いという印象の上野とは大違いで、案外夜の街は閑散していて面食らったが本音でもありました。

 19時少し前に一旦宿に戻って間もなく、ひろゆさんから電話が入り、皆さんお揃いということで、ホテルロビーで合流してまずはホッピーで一杯ということでホッピー通りへ・・・・。

 

 

 

 

メディアやグルメブログで紹介される有名店も多数・・・・。

まさにディープな世界、ここに一時とはいえ身を置けたこと、ホント幸せでした。

無論、ホッピーと煮込みをいただく。

 

 ここはまずは手始めというところで予約したお店に移動・・・。

 

 こちらでは生で乾杯・・・

 

1時間半程で次のお店に移動・・・。

 

 

途中、かなりディープな通りが・・・昭和の匂いがブンブンしております・・・笑

 

 

しかし、金曜日なのに人通りがない・・・。

ディープ過ぎるのか?常連以外は怖くて近づけないかもしれない・・・。

 

さらに・・・・

 

 

知る人ぞ知る・・・・笑

 

案外有名ですが・・・・

暗いと雰囲気も違いますからね・・・。

 

遊園地・・・花やしき・・・ですね。

 

そして言問通り近くのお店で3次会

 

皆さん、この3次会のお店が一番落ち着かれたみたいでしたね。

 

それから〆のラーメンを食べに大きな通りに出て・・・

ラーメン食べて解散となりました。

 

なんとか終電に間に合う時間だったと思いますが、それでも上野まで出たら乗り換えなければならないということで、少し心配でもありました。

 

次回は、もっと皆さんが都合のよい場所等に宿泊したいと思います。

 

この度もありがとうございました。

 

 

飲会の前に、有名な「う○こ」を撮影・・・大汗

 

 

 

すみません・・・○ん○ ではありませんよね。

某ビール会社ですよね・・・笑

 

ということで、今回の関東出撃に関わるエントリーはこれにて終わります。

以上

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関東入り 壱 ダイジェスト

2010-01-23 18:48:51 | その他

 極めて重要な用向きにより、関東に2泊して参りましたが、宿泊地はすべて都区内でした・・・汗

 

 それと今回の関東入りに併せて、どうしても横浜みなとみらいの夜景を撮りたくて早くから画策、普段使っている三脚も持ち込んでの撮影となりました。

 「みなとみらい」の画像は姉妹ブログ「遠野発信・MAYAKUSYAず」に一応掲載しております。(ブックマークにリンク)

 天気は曇り空、前日は春を思わせるような陽気とはうって変わって冷たい強風の首都圏で撮影に少し難儀いたしました。

 

午後4時過ぎ、横浜桜木町に到着、適当な場所でスタンバイ

 

 東京駅で京浜東北線に乗り換え、途中の蒲田駅で下車、実は仕事明けでそのまま上京いたしましたので、何処かで下着等の着替えもしたかったし、趣味のひとつお風呂めぐりもしたかったので、以前、「あひるさん」のところで時折、コメントのやりとりがある大田区蒲田在の「チビの飼い主さん」から少し情報をいただいておりましたサウナ施設に入館、時間調整も含めて少し休憩となりました。

 

 

 

 その後、再び京浜東北線に乗って桜木町まで・・・・午後6時近くまで夜景撮影の後、同線で横浜まで出た後、湘南新宿ラインで新宿へ・・・・・。

 

 都内に暮らす長女と待ち合わせ、普段からホッピー、ホッピーと言っていたので、中野坂上の居酒屋チェーン店へ・・・ホッピーともつ煮が一応看板メニューで有名でもある。

 

首都圏入りでは今や定番となるホッピーともつ煮・・・笑

 

 2時間程、たわいのない話をしながら娘と過ごす。

 娘が住む街に安いカラオケスナックがあるということで誘われてその街へ・・・・

 

東京で「遠野物語」を唄う・・・汗

 

  夜11時までには宿へ帰るはずが、なんだかんだ言って深夜2時もだいぶ過ぎた頃だったと記憶しております・・・笑

 寝たのは4時近く、翌日の用向きに大きく影響してしまい、結局、遅刻してしまった・・・大汗

 それでもなんとか次回につながる布石も残してきたつもりで、一応なんとかなるという思いでもあります。

 午後2時前、用向きも終わり都内へ移動、宿泊地の浅草へ・・・・。

 

秋葉原

 上野で乗り換え、秋葉原まで来て、「つくばエクスプレス」に乗り換えで浅草へ・・・・

 今回宿泊したホテルと駅は地下で直結という便利さ・・・・。

 

 チェックインした後、荷物を置いてデジイチのみ持って浅草の街へ・・・・

 

 

 どこをどう歩いたかは不明ですが、色々とみて歩いたつもりで、1時間以上は歩いたと思う。

 

関東ぶれんど諸氏との新年会ということで、午後7時頃に合流・・・。

 

兼ねてからお願いしておりましたホッピーと煮込み・・・ということで・・・

 

有名な通りにて、まずは乾杯!

 

ホッピー通り

 

かんぱ~い・・・

 

 

こちらもかなりインパクトがあって美味しい煮込みであった

 

その後、〆のラーメンまで含めて3軒のはしご・・・・。

 毎度のことながら終電近くまでお世話になり、関東ぶれんどの皆さま、たいへんありがとうございました

 

 

横浜、浅草・・・そしてぶれんど新年会含みで第二弾も予定しております・・・笑

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雪の福泉寺 

2010-01-19 18:38:54 | 福泉寺・伝承等

 今朝は5センチ程の新雪が積もるも、日中はほぼ晴れあがり穏やかな一日でもありましたが、そんな午後のひと時、散歩がてら雪の福泉寺をカメラぶら下げて歩いて参りました。

 

福泉寺は只今閉山中・・・

3月末まで観光部門はお休みですが、大観音堂以外はお参りは可能です。

無論、入山料は発生いたしません。

 

2月3日は節分、厄年の方々は是非に豆まきにいらしてください。

 

 

 

 

ニャーゴ・・・笑

 

 

積雪は20センチ位、深いところで30センチ

 

 

 

 

ほとんど参拝客もない境内は動物達の天国のようです。

いたる所に足跡が・・・・。

 

さて・・・次の足跡はなんの動物でしょう・・・笑

 

まずは一問目・・・

 

二問目

 

3問目

 

ヒント・・・犬、猫以外です・・・笑

2問目は、わかりづらいですが、ほぼ一直線に足跡がついている。

3問目は少し難しいかもしれません。

 

 

正月以降、数人しか参拝者は来ていないようです。

 

 

まさに静寂に包まれて・・・です。

 

 

 

そしてご参拝後は温かいものでもどうぞ・・・。

食堂はやちね

 

 願わくば、もう少し濃い青色がほしいところでしたが、本日はサブ機のオリンパスE-500に14-54の標準ズームレンズにて撮影しました。

 コダックブルー、オリンパスブルーと語られる独特の青色が出るという最後の機種、今回はもうちょいといったところでした。

 

オリンパスEー500

 

 

午前中・・・・

 

 

 検診でのC判定ということで脂質関係の再検査を受けて参りました。

 結果は後日となりますが、検診以来、ほとんど生活習慣等改善しておりませんので、ここで数値が好転ということは絶対にないものと思います。

 検査結果後、改善に向けて少し努力する方向です・・・大汗

 

 

 ということで、今週末、土曜日夕方まで不在となります。

 少し更新ができないということで、まとめて画像を中心にアップしております。

 ネット環境は木曜早朝までは観ることはできますが、コメント返し等は20日朝以降はできませんのであしからず・・・謝

 

 土曜日夕方、別館ブログ「遠野MAYAKUSYA,S」をまずはご覧ください・・・笑

 

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白鳥さん探し

2010-01-18 18:24:03 | 遠野

 本日も氷点下二桁となった遠野・・・それでも日中は陽が射したり青空も見えたりと、まずまずな天候となりました。

 でも、寒いには寒いですがね・・・汗

 

 ということで新年となって、ほとんどデジイチを持ち出しての撮影をしていないことに今さらながら気がつく・・・汗

 初撮影ではないものの、望遠を付けて、ここは白鳥でも撮りますか?ということで日中に多く集まる場所を目指すことにする。

 

安居台(附馬牛町)・・・猿ヶ石川

 

20羽程度おりました。

 

 鳥インフルエンザ等で白鳥への餌付けの自粛が叫ばれる昨今、例年なら遠野で一番白鳥が集まる早瀬川と猿ヶ石川の合流する落合が代表的な場所なのですが、日中は、ほとんどその姿をみることはできないということで、こちらもここ数年その一部が飛来する場所でもある安居台にとりあえず行ってみることに・・・。

 

 

なんとか、まとまった数は確認・・・・。

 

餌付けはされていないのかな?

心なしか食べれそうなものはなんでも口にしている雰囲気・・・。

 

 

潜る回数も多いような・・・?

 

こちらは首の運動・・・笑

 

 

 

ちょっと物足りないということで別場所に移動・・・。

 

小烏瀬川(土淵町)

こちらは30羽位ですかね・・・。

久手という地域、須崎と野崎の間付近

 

こちらも近年、日中に多く飛来する場所・・・。

 

 

 

 

 

 羽根を羽ばたかせ水しぶきをあげる光景や離陸や飛来する姿は、待てど暮らせどお目にかかることはなかったので、躍動感ある絵は撮れず仕舞でした・・・汗

 というか寒くて15分もその場に居られず・・・大汗

 これでは、なかなか良い写真は撮れませんよね・・・汗

 

 冷え切った身体を温めるため、そして丁度、昼時ということでいつものラーメン店へ・・・。

 

 

あっさり味噌ラーメン

 

なかなか自分的には好きな味・・・美味い。

 

今度は汗をかいてしまって、いつもの湯っこへ移動してサッパリとして帰宅する。


風呂上がりを某ぶれんど仲間に目撃される・・・汗

 片方はお仕事中、こちらは休みということで、気まずい思いもありましたが、ご苦労さまです。

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充電中

2010-01-16 19:47:34 | その他

 野暮用で嫁さん、末娘と共に花巻経由の盛岡行き・・・・。

 昼食は、末娘のリクエストでステーキ、ハンバーグのお店へ入店するも、どうも肉類は食べたいと思わず、「えしぇぐれわらす」みたいに嫁さんには感じられたかもしれないけど、コーヒーのみ頼んで、頑として食事はチョイスしなかった。

 折角家族での外食なのに、ステーキとかハンバーグ以外のメニューもあったはずなのに・・・・結局、ひとりラーメン店に移動してしまった。

 

 

 こってり系の味噌チャーシュー麺をチョイスしてしまった。

 脂質系異常値で二次検査が待ち受けているのに、なんたることか・・・汗

 これではステーキでもハンバーグでも変わらないのではないか・・・汗・・・とひとり反省しながらもいただいた・・・笑

 

 その後、家族と合流して、こちらは一緒にいただく・・・。

 

 

 

 さて・・・・いつも途中で挫折を繰り返す禁煙・・・・今回はできれば禁煙といきたいところですが、まずは減煙から・・・・大きなことを言っても結局、意思の弱さがあるので、今回は絶対禁煙とは言わない・・・とりあえず煙草を少し休もう・・・・・その手助けに今流行りの電子タバコを導入しております。

 今のところ本物を吸わずに済んでおりますが、なかなか本物に近い感覚で少しはよさそうな雰囲気です。

 ただお店なんかでこれを吸う時は何処で吸ったらよいのか?害のない水蒸気を気化させて煙に見立てているとはいえ、やたらなところでは吸えないと思うし、喫煙室では、折角止めようと思っているのに本物の煙が漂う中で・・・・?

 

 

充電中・・・汗

 安いのを今回購入、高いのが良いとか日本製が一番とか、色々と口コミにありましたが、高いのはぼったくりと一緒という意見が多いのも事実で、まずは・・・安物買いの銭失い・・・かもしれないけど様子見的な使用ということで安価なものをネット通販で求めました。

 

まずはメンソール味から・・・

他にミント・コーヒー・イチゴ・レモン・・・等

タバコ味もあります・・・笑

 

 

いつまで続くのやらと無関心なネネ

すっかり親父化猫となっている・・・汗

 

 

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松虫・鈴虫伝説

2010-01-14 18:45:11 | 福泉寺・伝承等

松虫・鈴虫物語

 鎌倉時代初期、法然上人の弟子で住蓮房と安楽房の二僧は、京都鹿ヶ谷にて庵をむすび広く人々に念仏を広めていた。
  後鳥羽上皇が寵愛していた官女、松虫・鈴虫両姫が上皇が熊野参詣の留守の折、出家してしまう事件がおこる。
  激怒した上皇は法然上人一派の弾圧に乗り出し(建永二年・1207年)法然上人は土佐へ親鸞聖人は越後へ流罪、住蓮と安楽は斬刑に処せられる。
  松虫・鈴虫両姫は悲しみのあまり自害して果ててしまう・・・。

 以上が松虫・鈴虫物語の概要である。
 

 松虫・鈴虫物語では、両姫は自害という結末ですが、両姫は出家後、紀伊の粉河寺に身を隠していたが住蓮・安楽のことが気になり乞食姿で京を訪れる、その日は二僧が処刑された翌日で、処刑されたのは上皇の許しなく出家したことが原因と思い、二僧を慕って一日も早く二僧の元へ行きお詫びしたい一念で鹿ヶ谷で自害したいうことです。
 ところが、もうひとつの説では、両姫は出家後、安住の地を探していたといい、法然上人の弟子で後白河法皇の姫、如念尼公(親子内親王)に相談し瀬戸内海に浮かぶ生口島の光明坊(現広島県)を選び、光明坊で余生を過ごしたと伝えられている。
 松虫姫・・・元仁元年(1224)11月18日 36歳にて往生
 鈴虫姫・・・嘉貞元年(1235)4月29日  45歳にて往生

 

我家の伝説

 我家に伝えられている伝説は、その昔、松虫・鈴虫(我家では鈴虫・松虫)といわれる尼様が古に住まいしていたというのみで、詳細は伝えられていない、また古文書、史跡の類もなく、口伝えによるものです。

 我先祖がその昔、家を建て住まいした場所は宮中に関わった女性、すなわち尼様のお二人が住まいしたところといわれ、宮洞と地域では呼ばれていた場所で、このことで我家の屋号は「宮洞(みやほら)」となったと伝えられている

 

福泉寺 愛宕大権現

 

 


画像は昨年冬撮影

松虫・鈴虫物語の成立と史実

 一般的に広く知られ語られている松虫・鈴虫物語は、江戸末期発行の「安楽寺略縁起」・明治32年刊行されたという「住蓮山安楽寺鹿ヶ谷因縁談」等がある。
 上記の内容には物語でのヒロインとして松虫・鈴虫が登場しているが、史実としての建永の法難を紹介する文献には松虫・鈴虫の名は何処にもないとのこと。
 史実としての建永の法難という大事件の直接的な原因とされる官女の出家にもかかわらず、二人の女性について記述がどの文献にも書かれていないのは何故か?
 京都左京区鹿ヶ谷・松虫・鈴虫ゆかりの寺・「住蓮山安楽寺」伊藤住職様の研究論文によると両姫が登場する最古の文献は大分県浄土真宗西本願寺派専想寺に所蔵されている談義本「松虫鈴虫物語」で室町時代末期の写本との見解がされてる。
 建永の法難といわれる歴史的事件に関し、後鳥羽上皇に仕える官女等が法然上人一派による「六時礼讃」に魅了され御所を抜け出す女人もいたといわれる事実、実際に出家に及んだ官女もあったと記述する文献も存在しており、後鳥羽上皇に仕える官女の出家が引金となり建永の法難が勃発したのは間違いないとの見解であり、松虫・鈴虫のモデルとなった女性が実際に存在し、室町期、浄土真宗で説く女人往生にふさわしい出来事であり、さらに松虫・鈴虫という美しい響きの名として物語に命を吹き込んだものではないか・・・・とある。

 

住蓮山安楽寺(京都市)

 

 京都での松虫・鈴虫物語と遠野との関わりは、何処にあったのか?

 我家以外に遠野には似たような話が残されている雰囲気は皆無で、伝説といいながらも、ただ二人の宮中に関係した尼様が住んでいたというのみで、つかみどころがない。

 この調べもひとつの懸案事項として取り組んではみたものの、雲をつかむような内容で、原点を求めて京都安楽寺も直接訪ねましたが、全く以て手の付けようがないのが現状となっている。

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遠野のオアシスへ

2010-01-13 18:40:03 | 湯っこ・鉄道・旅・・・

 またまた雪降り、新雪が10センチほど・・・

 

 

 

 深いところで30センチ近くは積もっておりますが、暖冬との予報も今季は外れといったところ、遠野は本州の市部では冷え込みが厳しいトップクラスの土地柄、これから大寒を過ぎ2月上旬までには氷点下15度も記録しそうな雰囲気も感じられ、ひょっとして小生が少年時代によく経験した氷点下20度超えもあるかもしれない・・・汗

 とにかく寒く天候も悪いということで、ここは地元の湯っこへ行って温まろうということで、今年初となる「たかむろ水光園」ソーラートロンの湯で温まって参りました。

 

 

 太陽熱で沸かした湯を利用、人工トロン温泉でもあり、遠野産の角閃石使用ということで、身体に良いといわれております。

 角閃石はマイナスイオンと遠赤外線の効果が期待でき日本では唯一遠野で産出する天然石でもあります。

 そんな地元の恩恵を受けないわけにはいかない・・・笑

 風呂好きを自称しておりますが、年間における温泉、湯っこ巡りの約8割は遠野の湯っこ施設利用ということで、ほとんど、たかむろ水光園ということになります。

 ちなみに宮守町には光明石使用の大清水温泉がありましたが、こちらもよく利用してましたが、昨年夏に閉館してしまい、少し寂しい思いもしており、俄然水光園へ行く機会が増えている現状となっております。

 

小正月も間もなく・・・みずき団子

 

 水光園は、今や小生のオアシス・・・・というより市民のオアシスとなっております。

 

 

以前もやったような・・・・汗

続きをお願いします・・・笑 (チャンピオンの歌詞で)

  お風呂に向う、長い廊下で

    何故だか急に君は立ち止り、振り向きざまに

      俺にタオルを見せて、たのしそうに笑った・・・・

 

 

 ということで、くだらないことは無視して結構ですが・・・汗・・・帰宅すると太陽も顔をのぞかせ、青空も広がり出しました。

 早速、東の空にオリンパスブルーを求めてカメラを構えると、久しぶりに出たような・・・?

 

 

 

我家から福泉寺上空に出るということで・・・

ミヤホランブルーとも呼ばれている・・・笑

 

午前中とはまた違った午後の表情の我家周り

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