ちょっと動くと汗ばみますが、それでも鉛色の空模様、依然と夏空とはならない二十日盆となっております。
二十日盆ということで、母親とふたりで墓参り、お盆に供えた花等を片付けて、一連のお盆はこれでお終い、肌身に感じるは秋ですが、これで気分的にも秋の到来という感覚でもあります。
そんな二十日盆を目前に地域で行う伝承宗教行事のひとつ、大沢不動の例祭、お神酒上げが福泉寺客殿で執り行われました。
旧6月27日は大沢(倶利伽羅)不動の例祭の日、今年は遅めの8月19日となっており、前夜は駒木の妻の神の奥深く、耳切山山腹の大沢川沿いのお不動さまが祀られているお堂にて宵宮が執り行われ別当さん、福泉寺ご就職、さらには別当さん縁の地元の菊池一族の家々が参拝し宵宮を執り行っております。
小生も縁ある家の末席におりますが、ここ10年近くご無沙汰している現実もありますが翌日の例祭が土曜日ということで休みに当たっているということもあり、こちらも10数年ぶりに参加いたしました。
駒木地区の上駒木、下駒木ふたつの集落、52軒によるお神酒上げ、今年は20軒程度の参加となりました。
別当家を中心に大沢川流域である上駒木、下駒木の集落が対象となっているようですが江戸時代末期頃から続けられている伝承行事という位置づけ。
ふたつの集落ということですが、当番家というのがあって、その年の会計及び料理等の手配の役目が順に廻ってきて、現状の計算では50年に一度、その役目が回ってくることになります。
当番家の体力及び精神的負担は大変という印象ではありますが、ここ十数年は各集落の班長さんが補助に当り、準備、片付けはだいぶ楽になったともいわれます。
でも会計というお金を扱う役目もありますので、ちょっと大変かもしれません。
さらに 駒木籾穀組合なる団体が存在している。
両集落が一堂に会する機会が、このお神酒上げということで、両集落合同による互助会というべき籾穀組合も同席で行うことに(同じ顔触れ)・・・
こちらも会計が当番制でふたつの集落から3家ずつ・・・今は自治会の班長さんが就くことになっているようですが、この辺が各集落で曖昧で小生の住む下駒木では2年任期とのこと、今年から自治会の班長になったので、こちらの会計を担うことになってしまう。
実は10数年前も名を連ねたことがありましたが、この時は初めてということで大きな役目は任せられることはありませんでしたが、今回は会計の中の会計、実際にお金を扱い金融機関の通帳を預かり受払を扱う役目、けっこう負担も感じている。
早めに出向いて会費の徴収
会計報告もあるということですが、これは前任者が行うべきものと疑問に思うも何故か現役会計の任とか・・・おかしいと思いながら致し方なし。
元々、宗教行事、伝承行事たるお神酒上げと地域の互助会という位置づけの籾穀組合の集まりは性質が違う内容であると小生は思うのですが、今回、ある方々からも疑問に感じるという意見が出されました。
籾穀組合には会長とか組合長という代表者は存在せず、無論、役員も規約もない、昔からの慣習で継続というところですが、賛否両論で結論は出ないのが現状でもあります。
果たしてこの問題、どのような方向となるのか?
いずれ事業そのものは現任務である会計に委ねられることでもあり、ますます憂鬱で負担を感じますね。
誰かが仰せでしたが、既に籾穀という内容は今にそぐわない内容なのかもしれませんし、皆さん、わかってはいても昔から継承されてきたから・・・ただそれだけでは済ませられない、本気で皆で話し合う時が来たということなのかもしれません。
帰宅してあらためて預かった書類等をみると・・・
確認した資料では昭和11年が一番古い内容でもあり、戦前は各家々米5升が集められていたようでもあります。
また、亡き祖父や祖母、父、親戚の小父さんの名も確認でき、これはこれで貴重ではあると思いました。
今でいう総会と直会を併任する宴という感じですが、飲み物はお神酒(清酒)と瓶ビールのみ、肴は数十年変わらず「きゅうりなます」・・・と醤油汁だけとシンプル・・・!
小生が賄いの当番になったら盛皿くらいは付けたいと思います。