「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

種山・遊林ランドの湯

2006-08-31 14:52:36 | 湯っこ・鉄道・旅・・・
 職場の後輩が、近々家族を伴って種山高原の星座の森でキャンプをするという、その下見に過日行ってきたそうで、眺めがよく、しかも近くには「湯っこ」があるという情報・・・。
 そういえば昨年、盛岡、紫波の知人と江刺人首の探訪をしたが、その際の昼食は種山高原の道の駅だった。
 確か、道の駅の向かいの山に入浴施設の看板を発見しておりましたが、やはり「湯っこ」があるらしい・・・・。

 そこで・・・・・。
 今回は、小友外山から種山高原へのダートに挑戦、種山高原といえば奥州市(江刺)、住田町、そして遠野市もその一部がかかっているはず、虎猫魂・・・いやっ、山猫魂に火がついた次第です。


遠野市小友町外山・・・外山集落を過ぎると舗装道路が砂利道に・・・。


外山をだいぶ過ぎ峠らしき頂上も過ぎて、一部草地が見え出したところから・・・
遠くに望むは早池峰山か?

 途中広めの道もございますが、左右草木が伸び、道も悪路も多いです。




種山高原

 いよいよ高原らしいところに至る・・・外山から20分程度か・・・。

 遠くに天文台らしきものが見えますが、何を血迷ったか、途中の星座の森へ・・の案内板を見損ない、悪路を下ってました。
 さらにT字路、感覚的に右へ折れると、これまた草木が道を覆うもの凄い道、さらにまたしてもT字路、こちらも感覚的に右ではあるが妙に道が新しい、しかも工事中とある。
 すると前方からジムニーが、中から人が降りてきて、「どこへ行くんですか」「何しに行くんですか」ときたもんだ。
 「えっ・・と、写真撮りです。」すると「風景ですか、この先は通り抜けできませんよ」「ありゃ、星座の森に行こうとしてるんですが・・」「星座の森は来た道を戻って、登り切った付近の草原の間に道がございますから・・」「すみません、ありがとうございます」・・・ということで、またもやひどい道を戻って、ようやく星座の森に行く着くことができました・・・汗


星座の森キャンプ場・・・こちらは奥州市江刺区

 なかなかの施設が展開されている、夜はすばらしい星座の数々がみられるという・・・一度泊まりにこなくては・・・。

 おっと、こちらには用はない、目的は「湯っこ」である。
 しばらく道なりに下りますと・・・。


遊林ランド

 こちらは住田町分のようです。


遊林ランドの浴場

 入浴施設はヒノキ風呂、ヒノキの香りがほのかに匂う、しばしリラックス・・・。

 感想・・・
 こじんまりとしておりますが、まあ広さは十分、また大好きなサウナもあります。
 サウナは5人も入れば満杯ですが、洗い場の数等からすれば無難な感じです。
 強いていえば、水風呂があればなお結構という感想です。

 年末年始を除いて定休日なしがうれしいですね。
 入館、入浴料・・・大人400円也

 ちなみに我家から赤羽根トンネル経由で50分の近さです。
 流石に小友外山越えは近いですが、冬は無理ですし悪路ですからね。

 
道の駅「種山ボラン」


 種山高原といえば宮澤賢治と縁があるところ、賢治関連グッズが結構売店に置いてございます。

 
 さて・・・帰りはどのルートか、江刺人首に出て五輪峠か国道107号に出て柏木平経由か・・と悩みましたが、江刺方面ですと以前山猫さんがご紹介しておりました木細工小学校跡(映画ロケに使用)や古歌葉(こがよう)集落、なんとも雅といいますか趣のある名ではございませんか、それと道沿いには石碑等も見られ、なかなか興味深いルートではありますが、今回は住田へ出て赤羽根経由の道を選択いたしました。

 高校生の頃、友人達とバイクで荷沢峠を越えて、途中で右折、種山高原、そして江刺に抜けてミニツーリングをした記憶があって、途中の大股、小股のどちらかが種山方向に向かって左手は川、右手はちょっとした町並みたいな感じて、そこで瓶コーラを飲んで休憩した記憶があって、その地を見てみたいと思ってのことですが、だいぶ道も変わっているし、その町並みたいなものがなかった・・・汗
 小股というところが少しだけその雰囲気があったけど、町並といった感じてはありませんでした・・・当方の記憶違いか・・・汗

 小股が出たついでに・・・・小股内膳

 小股内膳という人物・・・・阿曽沼氏が没落し完全に南部領となり、さらに遠野南部家時代初期に名が出てくる気仙の土豪。
 
 気仙と小友境に伊達領内の人足を連れて入り、小友地域の金山を盗掘する親分という印象(遠野からみれば)
 さらに鉄砲隊まで引き連れて小友赤坂金山を占拠したともいわれます。

 小股の地名からして、この地域に勢力を持つ一族だったと思いますし、荷沢峠も近い位置付け、小友地区への出入りも簡単に出来る地域性もあったかもしれません。
 
 それにしても今回は、遠野と種山高原、車でしたが割りと近かったという印象、古には隠し道や裏街道なんかもあって人々が密かに往来していたイメージが残りました。


 おまけ・・・


 遠野ブロガー達がよくエントリーする青笹のお堂・・・。
 オリンパスブルーを意識しましたが、露出補正が甘かったです・・・汗
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なすっ

2006-08-30 20:43:53 | その他
 夏野菜の代表、茄子・・・。
 ほぼ毎日食卓にのぼるが、焼き茄子に揚げ茄子、茄子炒れ、漬物も美味い・・。
 が、こう毎日は贅沢ながら飽きがくるものである。秋茄子は嫁に食わすな・・といわれるように美味い季節でもありますが、ユウガオと同じように、もう沢山が本音でもあります。

 贅沢といいますか、幸せな悩みかもしれません・・・。
 ちょっと飽きたけど「うめなっすっ」笑


我家の畑でとれた茄子・・・。
食べても食べてもキュウリ同様、少しずつ余ってしまう・・・。

 茄子といえば私は揚げ茄子ですかね、味醂と砂糖を加えた味噌ダレを茄子にぬって田楽風にいただく、これまた食が進みます。


 おまけ・・・・

狩人ネネ

ピンポケですが、スズメの三倍はあろうかという黒っぽい鳥を捕獲、決定的瞬間は逃しましたが、ジャンプ一番前足で叩き落としました。
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カテゴリー追加「湯っこ」

2006-08-28 16:48:43 | 湯っこ・鉄道・旅・・・
 趣味のひとつである風呂めぐり部門、題して「湯っこ」をカテゴリーとして追加いたしました。
 月に1~3回ペースで岩手の温泉やら健康ランド等をご紹介できたら・・・と考えております。 

 さて、第1回目は・・・・

 花巻南温泉郷「渡り温泉」の巻


渡り温泉さつき

 山の神さんも休みということで、ふたりで花巻市内に用足に出かけましたが、折角花巻に行くのであれば、温泉を堪能せずにはいられない、そこで久しぶりに夫婦で温泉にでも浸って日頃の疲れでも癒そう・・・なんてそれなりの言い訳をして了承をいただいて、花巻方面に車を走らせた。

 さて、車中、花巻温泉郷といっても、結構温泉もあるしホテル、旅館もそれなりの数がある、志戸平温泉は割りと行っているし、鉛温泉か、いやいや大沢温泉もあるぞ・・・頭の中は南温泉郷を既にイメージしておりました。

 午前10時半、志戸平温泉に到着、やはりここは入り慣れたところが一番か・・・そう思ってフロントまで行くと日帰り入浴は11時から・・・とある。
 う・・~ん・・少し早いか、それならば鉛温泉まで行ってみるか、ということで車を走らせると、左手に渡り温泉が見えてくる。

 そういえばいつか機会があったらと考えていたこともあって、試しに行ってみようということで、渡り温泉に決定・・・・。
 時刻はまだ11時前ながら、おそらくここも日帰り入浴は11時からであろうと思うも、館内の見学なんかしていればすぐ時間になるだろうということで、少し早かったですが、渡り温泉に突入となりました。


「かえで」と「さつき」の二つの棟からなっている温泉ホテルといったイメージ


地下一階の大浴場・・「せせらぎの湯」


大浴場


露天風呂

 さて、温泉評論家でもなんでもありませんが・・・・
 マイナス点・・・
○ 午前中といったこともあるのかはわかりませんが、お湯がぬるかった。
 ぬる目のお湯どころではない、私はぬるかった。
○ サウナ室のタオルが濡れたままだった。朝風呂を楽しんだ宿泊客と
 日帰り入浴客との入れ替え前の清掃等が行き届いてない。

 良い点
○ 大浴場内綺麗に整理整頓され、サウナ室のタオル以外は清掃等が行き届いてい  た。
○ サウナも完備、日帰り入浴者も楽しむことができ、サウナ好きにはうれしい。

 ということで、偉そうに批評じみた内容もしておりますが、これは批評ではなく風呂好きの私がただ感じたことであるということをご理解願います。
 全く関係各位との利害関係はございません、今後ご利用される方々も含めましてできれば改善願えるところは改善いただくという意味合いも併せて風呂好きの戯言であることもご了承願います。

 既に色々と遠野市内は勿論、岩手県内の温泉施設も結構行っておりますが、温泉、健康ランド、銭湯、都市部のサウナ等・・・とにかく湯っこに関連するものは、すべて取り上げたいと考えておりますので、よろしくお願いします。

 お断り・・・
 通好みの秘湯やら隠れた名湯をご紹介するものではございません、また○○○ラ○ドと名のつくものは含まれておりません・・・笑

 渡り温泉日帰り入浴・・・大人一人800円也
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君よ風になれ・・?

2006-08-27 13:17:17 | 遠野
 オリンパスのデジカメ、よくオリンパスブルーとか言われ、クツキリ、スッキリの青空が独特な色合いで表現される特徴があるとか・・・・たまにオリンパスの一眼デジカメを使用して、青空なんかも挑戦するのですが、なかなかこれが・・・と思う青が表現できていないと思っておりましたが、本日は朝から晴れ渡り、オリンパスブルーにはうってつけ、早速自宅下の農免道路に繰り出して、前薬師と早池峰を画像に収める。


薬師岳、早池峰山


八幡座と六角牛山

 画像を数枚ゲツト、一端家に戻り画像の整理等をしていると、外が微かに騒がしい・・・・先程までいた農免道に目をやると、沢山のランナーが・・・・・。
 「おっ、今日は、ほのぼのマラソンだっ」・・・早速カメラ持参で農免道近くまで行き、レースの模様を連写・・・・。









 早池峰に吸い込まれるように・・・・の表現をしようとしましたが、私が見たのは、まさにほのぼのマラソン、メインの20キロを走る強者達は矢崎方面へ過ぎ去ったあたり、・・・まさに老若男女(子供達は別コース)・・・女性からご年配の男性まで、しっかりとした足取りで快走・・・頼まれても走る気になれない自分は何なのか?この人達は自ら進んで過酷なレースに臨んでいる、いやっ、楽しんでいる・・・頭が下る思いです・・・汗

 毎年恒例の遠野ほのぼのマラソン、第24回民話の里ほのぼのマラソン大会とのことで、参加者は全国各地から、1千名以上のランナーが遠野路を「はしぇっこ、はしぇあるいだ」ことになります。

 私が見た駒木の農免道の沿道には私と係員さん2名の合計3名のみ・・・でしたが、皆さんの力走、快走を青空の下で見られたということ、きっと記憶に残るものと思います。
 また是非来年も遠野の風と共に・・・・「君よ風になれ」の心境です・・・汗



申し遅れましたが、当ブログ今月18日を持ちまして開設満2周年となりました。
 アクセス数はわかりませんが、皆様にお越しいただき、さらにコメントをいただきまことにありがとうございます。
 これからも、遠野の歴史を含み、管理人がみる日常の風景、出来事を中心に展開していけたらと考えております。
 今後共どうぞよろしくお願いします。
 
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山河・まつざき

2006-08-25 14:02:49 | 遠野
「川の流れのように」
秋元康作詞・見岳章作曲・・・・唄 美空ひばり

知らず知らず 歩いてきた
細く長い この道
振り返れば 遥か遠く
故郷が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
ああ 川の流れのように ゆるやかに
いくつも 時代は過ぎて
ああ 川の流れのように とめどなく
空が黄昏に 染まるだけ


猿ヶ石川と早池峰山(前薬師)・・・駒木橋から



猿ヶ石川と耳切山・・・上松崎橋から



上松崎橋と天ヶ森



猿ヶ石川と六角牛山・・・松崎橋から




猿ヶ石川と高清水・・・松崎橋から



猿ヶ石川と物見山・・・宮代橋から



小烏瀬川と六角牛山・・・大柳橋から



おやげ(大柳)と高楢山



 松崎町を縦断する母なる川、猿ヶ石と松崎町から見える山々・・・
 遠野の松崎町に生まれ、またほとんど松崎を出て生活をしたことがない自分にとっては、普段目にする何気ない、何の変哲もない景色ではあるが、実は幼い頃の記憶から少しではあるが、その景色も様相が変化していることに気が付く今日この頃・・・。

 しかし、それでも母なる流れの猿ヶ石川は、静かに滔々と横たわり、天ヶ森、高清水、六角牛、そして前薬師に早池峰の山々は不動の如くである。

 遠野を故郷に持ち、この夏に帰省された方々、故郷遠野の山河は昔と変わりなく迎えてくれたものと思います。
 
 この山河を永遠に残したいものです・・・心の中や記憶だけではなく、現風景として・・・そして帰省の折は相変わらずの姿でお出迎え、これが一番ではないでしょうか。


 おまけ


松崎小学校旧校舎・・一部
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暮坪そば

2006-08-23 17:40:28 | 遠野
 遠野食の名物といえば、まずはジンギスカン、ひっつみ、焼餅・・・・等、数々あれど、地元でしか収穫できない農産品を使っての暮坪蕎麦がある・・・。

 遠野に居ながら、なかなか食べる機会も少ないのですが、やはり究極の薬味である暮坪カブはともかく、蕎麦がそれなりに美味しくなければ、究極の薬味もへったくれもない・・・と思っている。

 ということで、春先と晩秋の頃の城館跡探訪の昼食場所としている「ジェストモアベ」にて、暮坪蕎麦を味わってみました。



 街道沿いの食堂といった雰囲気・・・・





 中に入ると蕎麦粉を製粉している・・・・これは期待が持てます・・・というか地元では美味い蕎麦を食べさせるお店として有名ではありますが・・・・。



 そして・・・



 暮坪蕎麦、大盛・・・。

 すりおろした暮坪カブがなんとも食欲をそそる・・・汗

暮坪かぶ


 大根ではない、カブである・・・・辛味大根よりは辛いかもしれない・・・。

 遠野にお越しの際は、ジンギスカン、ひっつみは勿論、暮坪蕎麦を味わってみてください。

 
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歴代防火看板

2006-08-22 18:58:07 | ファイヤー
 胃ガン検診でバリウムを飲んだ・・・ヨーグルト味だと思えばなんのその、しかし、下剤が効いて一日棒に振りました・・・・大汗

 ということで本題の歴代防火看板・・・・

 職場の出先機関、以前は分署と呼ばれ、宮守町をカバーする拠点でもありますが、国道283号線沿いに隣接、しかも交差点もあることから、行き交う車両が停止する結構目立つ場所柄でもあります。


2006年夏現在の防火看板・・題名「斬」

 職員手作りにして、描いている防火看板、建物の国道沿い壁を加工しての大看板、手本となる絵等があってのコピーみたいな内容も存在しますが、絵描きのプロが描いたものではなく、職員達の力作が勢ぞろい・・・地域に、行き交う車両の皆様へ防火を訴えているといった点にてお見逃しください・・・笑


第3作品・・・1988・・題名「スペースファイヤー」

 遠野を中心に当時の宮守村、釜石市、大槌町を巻き込んでのスペースプレーン誘致構想(宇宙港)を受けて、将来我職種も宇宙での活動も考えられる・・・笑・・そんな思いから描いたものなのか・・・?


第4作品・・・1990・・題名「足」

 歴代の看板の中で、その上手さが評価された作品、コンプレッサーを使用し、細かな部分まで手がけた力作として当時、結構評判だったと聞きます。


第5作品・・・1993・・題名・・不明

 平面的な作品ながら細かな部分まで丁寧に描かれ、和風的な内容に評価も上々だったようです。
 手本としたのはジグソーパズルか?


第6作品・・・1996・・題名「黄昏」

 赤と黒を貴重に大雑把に描いてますが、かなりのインパクトを与えたすばらしい出来だと聞き及んでます。
 

第8作品・・・1998・・題名「消防の源さん」

 賛否両論、パチンコ台のキャラクターをもじった内容に、「けしからん」の声と、「面白いし何よりも目だってよろしい」の声・・・テレビ岩手の番組「5きげんテレビ」での特集、岩手の変な看板、面白い看板という番組で取材を受けて、テレビ放映され、大いに防火をアピール・・・汗・・・描いたのは小生・・・大汗


第9作品・・・2000・・題名「火の用心」

 職員が手がけていた防火看板、この時は、広く住民にアピールして住民の方々から絵柄を募集したらどうか、いやっ、描きたいという方々を募って描いていただいたら・・・とか、色々と意見が出ましたが、宮守小学校の6年生の学年行事に是非描かせていただきたいとの声、当時の児童、父兄の皆さんによる作品です。 

 所ジョージさんが司会の「笑ってこらえて」での日本列島ダーツの旅の取材を受け、学年行事が大いに盛り上がった記憶があるも、放映されたか記憶にないっ・・笑・・岩手日報にも取り上げられた話題性抜群の看板でした。


第10作品・・・2002年・・・題名「炎の男」

 本来の職種の原点に還るといった意味合いで、描いた作品。


 そして、防火看板20年の歴史での記念すべき初代の作品


第1作品・・・1986・・題名「銀河鉄道の夜」

 先輩のTさんが国道沿いの壁をキャンパスに防火を訴えよう・・・の発案から始まった防火看板、宮守岩根橋のメガネ橋をモチーフとしたといわれる宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」、その縁でこの絵を描いたものです。 

 アニメの映画が上映間もない頃で、ポスターを買ってきて、コピーした内容でもありますが、当時の宮守村の花、山百合を中央に描いて村のアピールも少しだけいたしました。 
 私の初作品でもありますが、当時の先輩、同僚に助けられて皆で書いた思い出の絵です。

 若きしの小生も画像に写ってます・・・・汗

 さて、皆さんはどの作品が目に止まりましたか・・・・?
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土淵まつり

2006-08-20 21:52:02 | 遠野
 第5回目を数える遠野市土淵町の土淵祭りに顔を出して参りましたので、その模様を簡略ご紹介いたします。

 遠野市土淵町・・・遠野物語での主要舞台との位置付け、第5回目ということですが、地元の皆様の手作りのお祭りといった雰囲気が十分感じられ、しかも観光地でもある場所柄、観光客の方々も思わぬお祭りで十分楽しまれたのではないのか、そう感じられました。







 土淵町内各行政区毎に屋台が出店され、まずは焼き鳥と缶ビールを購入して、テント内へ・・・・午前10時半、早くもほろ酔い加減でもありました。

 テント内では顔見知りといいますか、それほど話なんかをした記憶のない方々からも声掛けをいただき、しかも瓶ビールやら焼酎までいただいて、かなりのほろ酔い・・・汗・・・・また、聞くことによると御神輿が来ないうちは出し物は前座であり、まだ開会宣言がされていないとか・・・・正午頃から開会するとか・・・。


 御神輿が会場である土淵地区センターへ到着・・・。

 それまでは地元中学の寸劇、吹奏楽、保育園児の太鼓等・・出し物は結構あったのに前座とは・・・・。

 まずは御神輿の到着で神事へ・・・・。

 神事が終了するといよいよ開会・・・・お目当ての郷土芸能等が繰り広げられると思いきや・・・・地元音楽演奏家グループによる演奏・・・でも上手い、結構楽しめました。
 すると・・・・。



 知る人は知る、知らない人は全く知らない・・・・遠野のヒーロー「カグライガー」が登場・・・・かなり小さい・・・笑・・・でも遠野らしいといえばその通りかもしれません・・・笑

 さて、正午前に山の神さん、そして地元民たる義母が会場入り、流石地元民であるが故に顔も広い、入れ替わり立ち代り顔見知りがテーブルにやってきてはビールのお代わり、焼酎を注いで行く・・・これでかなりほろ酔いどころではなく、効いてしまった・・・大汗

 そしていよいよ地元の郷土芸能・・・
 野崎神楽に続き、お待ちかね「えんで神楽」(飯豊)・・・・。




当ブログでも御馴染みの誰かさんのご子息さんです・・・左


恵比寿舞


華麗で優雅、しかもテンポもよい・・・山口さんさ

 もう既にロレツも回らなくなっている、しかも少し顔を見たことがある方に対しては、意に反して声をかけている自分、こんな性格ではないのですが、アルコールの力は恐ろしいといいますか、人が変わるものですね・・・大汗

 土淵祭りは、同町五日市の倭文(ひどり)神社の例大祭に併せて開催されているとか、市内では上郷町や綾織町で夏祭り的な地元による手作りの祭りが開催されている・・・私は良いことと思ってます。

 午後2時過ぎ・・・土淵の飯豊地区の野球チームが市民野球大会で準決勝まで駒を進めたとか・・・後輩やら知り合いがいるので酔いに任せて、後で祝勝会に顔を出すといってしまったが、不覚にも山の神様の実家にて眠りに入ってしまった・・・。
 目が覚めたのが午後5時過ぎ、酔いもだいぶ醒めたが、よく考えると野球に関係ない自分が行くべき場所ではないこと、知り合いも少ない・・・よって冗談話で済ませようと思ってましたが、後輩から電話が・・・・「待ってます」・・「了解」ということで、「こんじょ亀」本能丸出しで、出かけてまいりました・・・汗


市大会、第3位の好成績で盛り上がる・・土淵町えんでぃじょおーんずの皆様。

 ご馳走様でした。
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残暑決戦

2006-08-19 17:09:22 | ファイヤー
 12日に開催され降雨のため、延期されておりました遠野市少年消防クラブ防火野球大会の残り試合が市営球場を主会場に行なわれました。

 朝から蒸れるといいますか、結構温度も湿度も高い、しかも太陽もジリジリ照りだし、残暑どころではなく、猛暑といった暑さ・・・そんな中、子供達は元気一杯、グランド内に掛声と声援が響き渡る。




多目的グランド第一試合・・・準決勝、上郷小対鱒沢小

 私は多目的グランド担当でしたので、市営球場での試合はみておりません。

 優勝は、圧倒的な強さで達曽部小学校が優勝したそうです。
 攻守共に女の子が大活躍したとかで、本塁打を放った女子選手もいたとか・・・凄いですねぇ・・・。

 結果・・優勝 「達曽部野球スポーツ少年団」
     準優勝「上郷野球スポーツ少年団」
     第3位「小友ベアーズ」
 
 おめでとうございました。


六角牛山も残暑の中の熱戦を観戦しているかのようです・・・汗


そして物見山も子供達の背中を後押しして、頑張れといわんばかり・・・そう思っているのは俺だけか・・・汗

 とにかく残暑が厳しく暑かった・・・お盆も過ぎると秋風どころではなく、残暑厳しい毎日が続いております。

 おまけ・・・

某ブログでもご紹介しておりましたが・・・・



 とあるお寺さんが檀家さんにお配りしたものとか・・・粋な贈り物、うらやましいです。
  
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宮代と元八幡

2006-08-18 19:24:18 | 遠野
 松崎町宮代・・・行政区では松崎町第3区(光興寺)に組み入れられているが、江戸藩政期も光興寺村の一部だったのだろうか?


松崎町宮代
 
 遠野八戸氏(遠野南部氏)が八戸から寛永4年遠野へ転封、昨今話題となった南部藩主南部利直から八戸直義(八戸弥六郎)に与えられた新領地遠野の知行地、知行高の目録(黒印状)・・・寛永4年(1627)3月19日によると・・・。

 松崎関連だけをみますと・・・

 駒木村・390石531合  松崎村・419石716合  
 興光村・112石865合  畑中村・95石387合
 白岩村・57石56合    護摩堂村・86石263合
 小平村(バイパス泉スタンド裏付近)・14石937合

 ということで、宮代村という表示はない、しからば隣接の興光村か松崎村か、さらに護摩堂村というのもありますが、この3つの村のいずれかに含まれるものと思います。
 
 以前、名梨さんからいただいた古名や小字名を調べ上げた資料をいただいておりますが、その中に松崎町に護摩堂という地名、宮代とあるのが気にかかっておりますが、護摩堂村とは宮代のことなのか?・・・。(護摩堂とは旧横田城廻りも考えられる。)

 ところが、「三翁昔語」に収録の寛永11年、遠野八戸家諸士の知行地に・・
 小笠原治左衛門・・板沢村、中太田、宮代村、畑中村、横田村に20石とあり、宮代村が存在していたことも示唆する内容ながら、おそらく先に示した村内の一集落といった地名で呼ばれていたものと考えられます。

 まっ、古地名については、折をみて今後も調査研究、また南部氏時代の村の変革なども今後の課題ということで・・・・。

 ちなみに宮代は明治時代初期には既に光興寺村内の地域であったことが資料でも伺えますが、八幡宮というお宮さんがあったから宮代なのかもしれません。
 


宮代橋


宮代ゴミ集積場
 萱葺と木造のコントラスト、さらに屋根の天辺の草がなんともいえません。
確か、地元の方々と東洋大の学生さん達が萱の刈り取り等を行なったと記憶している。


 宮代といえば東洋大学の学生さん達との交流が毎年行なわれておりますが、その中で、元八幡の例大祭に地元の方々と共にお祭りに協力する姿が毎年見られます。
 すばらしいことだと私は考えてますが、それまで宮代の元八幡って機能しているのか、祭りがあったことすら気が付かないといいますか、知りませんでした。
 なかなか良い試みといいますか、松崎でもかなり伝承やら今流行のグリーンツーリズムといいますか、都市間との交流が進んだ地域かと思います。

 宮代の方々の苗字といえば・・・菊池姓も多いですが、糠森さん、昆野さん、小黒沢さん、阿部さん・・・が思い起こされます・・・。 

 さて・・・元八幡宮





 元八幡は、現在の遠野八幡宮が白岩の八幡(踊鹿山)に移る前の八幡ということになります。
 現在の地、白岩の八幡に遷されたのは、寛文3年(寛文元年、2年説有り)であるが、通説では遠野中世領主、阿曽沼氏時代の建保年間に阿曽沼氏の居城、横田城の鎮守として城の東北たる鬼門に勧請したといわれている。
 
 白岩の地に遷ってからは、宮代の元八幡は荒れるにまかせていたが、明治になり復興、現在に至っている。

 
 建保年間といいますと鎌倉時代、この時代の勧請ということには少し疑問も感じられ、遠野阿曽沼氏そのものの歴史等もかなり踏み込んで考察等をしなければならないことながら、祭りが盛大に伝えられ行なわれている現在、このことに水を差すつもりは毛頭ございません。
 私としては郷土史の分野にて、この元八幡の歴史含み、徐々に明らかになっていけばと考えているところです。


元八幡界隈のストリート

 9月末に例大祭が予定されておりますので、機会がありましたらお出かけください。


 
 
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